見出し画像

二つの『ドライブ・マイ・カー』、二つの他者性について

備忘録としてー.

 車を運転する、とは何だ?他でもない車を。僕は別に特別運転が好きなわけではないし、それにしなくてもいいなら出来るだけしたくないほうだ。第一、やることが多すぎる。出発地点から目的地まで、目視で様々な箇所をーそれは(何個もある)ミラーから、道路、標識、歩行者ー確認し続けなけらばならないし、その道路や交通状況を把握して、スピードを早めたり緩めたりしなければならない。それから、恐らく誰かと同乗であれば、きっと、その気まずい沈黙を破るため会話にも集中しなければならないだろう。と、ここまで書いていて僕は思う。これってなにかに似てないだろうか。突如生じるイレギュラーな事象に対応するために、常に予め準備(資格、保険、貯金)をしておく。常に近しい関係の家族や恋人、友人ーといった同乗者ーに気を配る。それは出発地点である誕生から、目的地である死までのロングドライブだ。だから、もしかすると、次のように言える。「車の運転は人生に似ている。」と。

 車の運転は人生に似ている。

 なるほど確かに、些か凡庸すぎる命題だ。しかし凡庸すぎると誰かが判断するとき、その裏側にはもうその命題をあらかた認めていると言えるのではないか。それに、凡庸な人間から提出される命題は凡庸なものに決まっている。話を戻そう。「車の運転は人生に似ている。」、そう僕が述べるとき、その延長上にあるのは、二つの『ドライブ・マイ・カー』という作品である。そのうち一つは、もう一つの小説を元に作られた映画である。小説を書いたのは村上春樹であり、映画は濱口竜介によって監督された、目下話題にの映画作品だ。二つの『ドライブ・マイ・カー』は、だから、一方がもう一方を下敷きにして作られている。しかし、この二者は、決定的に違いを孕んでいる。それは後に述べるように、「モダン・『ドライブ・マイ・カー』」と「ポスト・モダン・『ドライブ・マイ・カー』」の違いだ。二面性のある『ドライブ・マイ・カー』。ここで僕は、恐らく村上がこのタイトルを付けるにあたったビートルズの『Drive My Car』を思い出さずにはいられない。この曲自体が、その歌詞を確認すればわかるように、一見ドライブソングにみえるが、それはまた性行為メタファーにもなっているように、二面性を持つからだ。

両者は、途中までは、極めて同じ方向に進んでいる。二つの『ドライブ・マイ・カー』に共通するテーマは、他者の分かりあえなさ、言い換えれば、他者の他者性についての問題だ。しかし、この両者は、途中でーしかも極めて重要な地点でー分岐し、最終的な到達地点が異なるように思える。僕は、この違いに大変興味がある。換言すれば、村上の原作を乗り越えるべく、映画を監督した濱口が返答している、その内容に関心があるのだ。それでは、まず、その原作の問題点を見ていこう。

 僕は、繰り返しこのnoteで、村上春樹にふれてきた。いや、というより、何か問題を意識すると、村上春樹に出会わざるを得ない、自然と村上春樹に出会ってしまうのだ。

 しかし、同時に、その、僕がいつも出逢ってしまう村上春樹とは(それは換言すれば僕の好きな村上春樹とは、と言ってもよい。)、転向ーここではそのような言葉を用いたいー前の村上春樹である。どういうことか。村上の初期作品に登場するモチーフは、徹底的な他者性の排除、内閉性である。それは、村上自身が、学生運動に参加していた学生たちから距離を取っていたこと、そのある種の時代にそぐわない政治的な距離感を持っていたことに基づいている。この時期の村上は、だから、初期作品の彼の名セリフ、「やれやれ」に代表されるように、公/私、政治/文学、システム/個人の分野において、徹底的に前者と距離を取り、後者を重視する「デタッチメント」の作風を貫いていた。例えば、村上は、彼の上の世代の極めて政治的な作家に対して、『ノルウェイの森』で、主人公ワタナベの口を借りて以下のように述べる。

僕はよく本を読んだが、沢山本を読むという種類の読書家ではなく、気に入った本を何度も読みかえすことを好んだ。僕が当時好きだったのはトルトマン・カポーティ、ジョン・アップダイク、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・チャンドラーといった作家たちだったが、クラスでも寮でもそういうタイプの小説を好んで読む人間は一人も見あたらなかった。彼らが読むのは高橋和巳や大江健三郎や三島由紀夫、あるいは現代のフランスの作家の小説が多かった。だから当然話もかみあわなかったし、僕は一人で黙々と本を読みつづけることになった。

 村上は、同世代が政治的な作家を好んでいたことに対して、自分はそれとは距離を取っていると明確に述べる。だから、僕は、かつてリオタールが述べた議論をまた踏襲するならば、近代で主流であった宗教や国家、伝統といった人々の価値判断の基準となるような「大きな物語」から距離をとり、個を徹底して擁護する作家、それが転向前の村上だったと定義したい。

 しかし、その村上が旋回を始める。理由は主に二つある。これは時を前後する形で、しかし同時にほぼ同時期に生じたことである。まず一つ目の理由。これは村上が、日本を離れ、渡米したことに関係している。さて、僕たちはそれについて、心理学者河合隼雄との対談『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』内の「コミットメントということ」から伺うとしよう。この対談タイトル通り、村上は、明確に彼の「デタッチメント」性を取り除き、かつての彼の政治運動に明け暮れた同世代と同じような「コミットメント」性をー彼なりの仕方でー復活させる。それはなぜか。

とくにアメリカに行って思ったのは、そこにいると、もう個人として逃げ出す必要はないということですね。もともと個人として生きていかなくちゃいけないところだから、そうすると、ぼくの求めたものはそこでは意味を持たないことになるわけです。

 村上は、とにかく、同世代の学生運動という、公・政治・システムを重視しそこへのコミットメントを求める動きから、逃げた。逃げ続けた。そしてその逃避先に彼の初期作品はあった。彼は個人として、逃げ続けて、アメリカまで行った。しかし、アメリカへ行き彼は気付く。もうこれ以上「個」を守るために逃げ続ける必要はない、と。するとそこで、今度は村上は、自分自身の立ち位置を定める作業に取り掛かる。河合に対して、村上は以下のように述べる。

結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを自分できっちりと認識するしかない。

 さて、それにあたって村上が重視したものこそ、「物語」の概念である。自らの居場所を紡ぎ出し、自身の欠落を埋め、それを確認するもの、それこそが物語に他ならない。彼はこの対談とほぼ同時期に、浩瀚な小説である『ねじまき鳥クロニクル』を書き上げる。ここで記される物語は、その題材がノモンハン事件であるからもわかるように、まさしくアジアの、あるいは我が国が深く関わった戦争についての物語だ。まさに村上が「歴史」という「大きな物語」へと目を向けた瞬間であり、そこには大江の『万延元年のフットボール』を茶化し、歴史を希釈した『1972年のピンポンボール』を書いた村上はいないと、大胆に断言してみよう。

 先ほど確認した、村上の渡米による旋回が村上の内的要因から生じたものだとすると、1995年3月に起きた、あの地下鉄サリン事件は、村上の転向を促進させた外的要因であるということができよう。村上は、その地下鉄サリン事件の関係者62名へのインタビューを載せた『アンダーグラウンド』の中で、「なぜこのようなことが起きてしまったのか?」という問いを立てる。村上は、「人は、物語なしに長く生きていくことができない」とした上で、現代という物語の欠如の時代において、結局その主犯オウム真理教の教祖麻原彰晃の提示した「ジャンクな物語」にある種の人々が魅了されてしまったことがその原因であるとして、対抗策を以下のように述べる。

私たちが今必要しているのは、おそらく新しい方向からやってきた言葉であり、それらの言葉で語られるまったく新しい物語(物語を浄化するための別の物語)なのだーということになるかもしれない。

 もう、ここには、『風の歌を聴け』にて、架空の小説家デレク・フィールドに語らせた「気分が良くて何が悪い?」と、全てを一蹴し「個」を守る村上はいない。「気分が良くて何が悪い?」ということを許容していた結果としての地下鉄サリン事件だったのだとすれば、必要なのは、提示すべきなのは、コミットメント可能な物語なのではないか。実際、その後の村上は、『海辺のカフカ』では、精神分析的な大文字の<父>の問題、『1Q84』では宗教、そして信仰の問題と、やはり「大きな物語」と向き合い、急旋回をする。僕は以後の村上春樹からは、どうしても、カチカチに凝り固まったある種の「真面目さ」を感じずにはいられない。それは時代に要請された、必然のものであることはよく理解できる。しかし、ある意味で優等生的な、もう「やれやれ」とは言わない以後の村上の物語に登場する主人公たちは、簡単にいうと、緩みがないように思える。そして僕は、その緩みーあるいは空間/距離といってもよいーこそ、他者と向き合う際には必要不可欠なものだと考える。いや、ここで僕は、濱口もそのように思ったのではないかという仮定をしてみたい。話を、ようやく、一つ目の『ドライブ・マイ・カー』に移そう。

 この物語は、村上の短編小説『女のいない男たち』に収録されている作品だ。物語のプロットはーこれは映画も概ね同様だがーそこまで複雑なものではない。浮気していたと思われる妻に先立たれた主人公で俳優の家福は、彼の妻である音に、最後まで浮気の真相を聞けずじまいだったことから、猛烈な喪失感を抱えて生きている。同時に彼は、緑内障の症状(これは殊更論うまでもなく家福の音に対する盲点のアナロジーになっている)で運転事故を起こしてしまう。運転を控えるべく、彼は、ネグレクトの母子家庭で育ち、彼と同様また傷を負っているみさきを運転手に雇う。彼と彼女の交流は、家福に、正しく傷つくことの重要性を解き、物語は終焉を迎える。しかし、僕が村上版、原作の「ドライブ・マイ・カー」で問題にしたいのは、この家福とみさきの最後の、彼の傷が癒えていく際のやりとりだ。ここで家福は、(ここも映画版と異なるところなのだが)浮気相手であると訝しむ高槻が、別にさして惹かれるような容姿も、心情もないような価値のない男であること、それにも関わらず音がどうしようもなく彼に惹かれていたことに対する隔靴掻痒さをみさきに伝える。そこでみさきは以下のように述べる。

「それはある意味では、家福さん自身に向けられた侮辱のようにさえ感じられる。そういうことですか?」
 家福は少し考え、正直に認めた。「そういうことかもしれない」
「奥さんはその人に、心なんで惹かれていなかったんじゃないですか」とみさきは簡潔に言った。「だから寝たんです。」
 家福は遠い風景を見るみたいに、みさきの横顔をただ眺めていた。彼女は何度かワイパーを素速く動かして、フロントグラスについた水滴を取った。新しくなった一対のブレードが、不服を言い立てる双子のように硬く軋んだ音を立てた。
「女の人にはそういうところがあるんです」とみさきは付け加えた。
 言葉は浮かんでこなかった。だから家福は沈黙を守った。
「そういうのって、病のようなものなんです、家福さん。考えてどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、呑み込んで、ただやっていくしかないんです。」

 僕が注目したいのは特に以下の部分だ。

「女の人にはそういうところがあるんです」

 女の人にはそういうところがあるんです、果たしてこれはふさわしい解答だろうか。家福は、唯一の、単独性を帯びた、かけがえのない、「あの音」についての問いがある。それは、煎じ詰めれば、他でもなく、なぜ「あの音」が浮気をしなければならなかったのか、という問いである。しかし、みさきが提示するのは、「類的存在」としての女性一般における病(としての浮気)という答えだ。かつて『探求II』の中で、柄谷行人が、恋人にフラれた友人に「男(女)は星の数ほどいるから」と言ってなぐさめるのは相応しくない、なぜなら恋人が無くしたのは「他でもない彼(彼女)」であって、「男(女)一般」ではないからである、という論旨を僕はここで思い出す。実際、この小説はそのはじめから、女性を分類し理解しようとするのだ。

これまで女性が運転する車に何度も乗ったが、家福の目からすれば、彼女たちの運転ぶりはおおむね二種類に分けられた。いささか乱暴すぎるか、いささか慎重すぎるか、どちらかだ。

 そして、僕はどうしてもここに、転向後の村上の不可能性があるように思えてならない。先ほど取り上げたみさきの発言に戻るならば、村上は、「小さな物語」の問いに「大きな物語」の解答を対置している。上半身と下半身がまるで別のものを取り付けたのかのように思えるこのやりとりは、お世辞にも家福をなぐさめられるものだとは僕は思えない。僕はここに、僕がこの文章のはじめに述べた「モダン・『ドライブ・マイ・カー』」である所以を見出したい。村上は他者に接近するにあたって、この作品の中では、「大きな物語」的な、「類的存在としての女性の女性性」というイデアを経た後になされている。いや、というより、より正確に述べるならば、村上はそれ以外の解決策を見つけられていないのではないか。僕にはどうしてもこの原作版『ドライブ・マイ・カー』は、何かぎこちないものに読めてならない。

 では、映画版『ドライブ・マイ・カー』はどうだろうか。映画版『ドライブ・マイ・カー』に最初から最後まで流れる通奏低音は、結論から先に述べてしまえば、「他者との繋がれなさ、それそのものを共有することによる繋がり」であると言ってもよい。例えば、原作にはなく、映画版から追加された部分として、しかしこれは大きな要素なのだが、多言語演劇がある。僕たちは、その練習風景すら映画で確認したので、よくわかると思うが、これは、相手の言葉を理解しているのではない。映画内では、日本語、韓国語、韓国語手話、タガログ語、北京語と全部で5つの言語で『ワーニャ伯父さん』が演じられるのだが、出演者は、相手の言語がわかっていない。だから、極めて単純に自分が演じる直前の相手のセリフを、音声的にまた徹底的に暗記し、それを受けて自分が演じている。だから、ここには、相手と意味内容を交換する、我々が一般的に考える意思疎通の形態であるコミュニケーションは存在していない。彼らには、舞台上に上がる同言語を話す者以外の発言の意味内容が、わからない。しかし、それでも演劇は成立している。

 僕はここで、どうしても、デリダの、全ての言語発言に伴って根源的に働く「ウィ(Oui)」の存在を思い出さずにはいられない。『ユリシーズ グラモフォンージョイスに寄せるふたこと』の中で、デリダは、肯定を示す副詞「ウィ(Oui)」は、否定を示す副詞「ノン(Non)」と対立するように見えるが、それは実は間違いであるばかりでなく、他の語と並んで言語を構成する一要素ではなく、メタ言語として働いているとする。何らかの発言がなされる際は既に、それに伴って最初に「ウィ」が伴うのだ。それは、相手の発言を「ノン」と否定する場合でも、嘘をつく場合にも、沈黙の中で他者と向かい合う時でさえ、「監獄の壁を叩く音のように、<私はここにいる、聞いてほしい、応えてほしい>という「最小かつ第一のウィ」が、「電話の<もしもし>」が働いている」(高橋哲哉)のである。そして、この一度目の、最初の「ウィ」こそ、他者の肯定に他ならない。相手の言語は圧倒的にわからないが、しかし、それでも相手を分かり合おうとする姿勢相手の存在を肯定する姿勢、その根源的な「ウィ(Oui)」を放とうとする構えだけで演劇が、コミュニケーションが成り立つのだとすれば、僕たちもここで、発想の転換が要請されている。あの有名なルビンの壺のように、図と地を逆転させることが必要なのだ。村上には、それができなかった。あくまでも図の中だけで、他者に接近しようと試みていた。その結果、彼は「女性一般」という物語を立て、それによって他者と接近するしかなかった。しかし、それは、先ほどみたように、うまくいかない。意味内容の共有がコミュニケーションであり、相手と分かり合うことなのではない。そうではなく、他者は分かり合えない、この地点から始めて、それでもその「分かり合えなさを共有する」こと、それこそが僕たちが「大きな物語」崩壊後に志すべき他者との関わり方なのだ。

 それから、僕は冒頭に家福が演じていたべゲットの『ゴドーを待ちながら』にも注目してみたい。これは、世に言われるような、存在しているかもわからないゴドー(=ゴット、神)をただ待っているウラジミルとエストラゴンの不条理演劇、なのではない。ゴドーは確実に存在している。しかし、それは、ウラジミルとエストラゴンが待っている限りにおいてだ。彼らが待つ限りにおいて、絶対にゴドー(神)は存在している。ゴドーの存在が本当にいないことが明らかにされるのは、もはや2人がゴドーを待たないときだ。さて、このゴドーの位置に、家福における音や僕たちにおける他者を代入してみたらどうなるだろうか。僕たちは、他者とは、つながれない。他者は、どうしようもなく、僕たちにやって来ない。しかし、同時に、ただ、自動詞的に待つこと(鷲田清一)、その構えにおいてのみ他者は存在しているのだ。僕たちが他者を待たなくなったときーそれはデリダの述べる根源的な「ウィ(Oui)」を発さなくなったときー他者は存在していない。ここにも、やって来ない(分かり合えない)他者を待つ構えがあることがわかる。

 だから、ラストシーンの北海道の雪景色で、家福とみさきは互いの傷を開示したことで、互いが互いを理解し合えて傷が癒えたのだ、などという勘違いをしてはいけない。彼らは互いが互いにあまりにも遠い存在である。それは性別の差、年齢の差だけのことを言っているのではない。みさきは妻に浮気されたこともなければ、それについて話し合う前にその妻が突如亡くなる経験をしていない。同様に家福も、父のいない環境で、精神を病んだ母に育てられ、そして1人で逃げるように暮らしていた経験をしているわけではない。互いが互いを理解できないほどの傷を持っていること、その理解不可能な傷の存在を共有したのであって、決して彼らが互いを理解して傷が癒えたわけではないのだ。

 他者の理解不可能性そのものを分有(ナンシー)することによって、逆説的に他者に接近すること、これが濱口の映画版を「ポスト・モダン『ドライブ・マイ・カー』」であると言ってみた所以である。しかし僕は同時に、この二つの『ドライブ・マイ・カー』は、途中まで同じ道を走っていると述べた。それではその村上と濱口が共通して走ってきた道とは何だったのだろうか。濱口は、村上の原作版『ドライブ・マイ・カー』を読んだ際の高槻のあるセリフから、この映画を作成するという意思が出てきたという。そしてそれは、実は、映画版『ドライブ・マイ・カー』の中でも、原作と寸分変わらず採用されている。それでは、最後に、それを僕は確認して、終わろうと思う。

どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛しているはずの相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけす。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくっちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人の心を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?