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僕はメルカリで何を買っているのか、あるいはメルカリの哲学

 僕はもう、かれこれ200冊以上メルカリで本を買っている。メルカリはー出版業界に喜ばしくないのは知っているがー大変安価で古本が買える。絶版になっていてアマゾンでは狂気かと思われるほど値上げされている本も結構お手頃に購入できたりするので、結構ヘビーメルカリユーザーであると自覚している。

 ところで、メルカリでは、自分の欲しい商品を出品している出品者の、他の商品も見ることができる。僕は案外これが楽しくて、この出品者は他にどんなものを売っているのかチェックしてしまう。そして、そこで僕はメルカリが潜在的に持つ「哲学的意味」を考えざるを得なかった。

 具体的な例から見たい。例えば、僕は分裂病、現在では統合失調症と言われている症状に興味がある。もちろんR. D. レインの『引き裂かれた自己』は必読だろう。さて、僕はそれをメルカリで探す。見つかる。僕は気になる。この人は一体他にどんな商品を出品しているのだろうか、と。

 本を他にも出品している。『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』。なるほど、恐らく僕は本屋では決して(恥ずかしさから)手に取らなそうな本ではある。この出品者の方のどこかで、自身の問題関心が、「分裂病」と「セックス(しかも本当に気持ちのいい)」とぶつかることがあったのだろう。それを考えるだけでも、僕はワクワクする。僕のあまりに狭い視野や、問題関心では、「分裂病」と「セックス(しかも本当に気持ちのいい)」はどう考えても交差しそうにない。この人は一体どんな人なんだろう、なぜこの本を二冊とも出品しているのか。話してみたいと思う。

 あるいはいつかはバルトの『恋愛のディスクール・断章』が欲しくなった時もあった。見つける。あった。その人の他の出品物も見てみる。司馬遷『史記』、セネカ『生の短さについて』。うんうん。概ね僕の本棚と似ていると言っていい。しかし、その合間合間に挟まれる化粧品。しかも結構なハイブランドだ。僕は残念ながら、化粧はしないし、きっとこの出品者の方は女性だろう。メイクのことも詳しく僕は知らない。しかし、僕とこの人は、『恋愛のディスクール・断章』を読んだ(もしくはそれに関心があった)というだけで結ばれている。

 あるいは古着を買いたい時。なかなか好みの服だ。他の出品している品を見てみる。「コロナは中国共産党の陰謀であった」系タイトルの保守論壇による本が出品されている。なるほど、彼とは僕の思想は恐らく全く合わない。その点で言えば彼は全き他者であることは間違いない。しかし、その服は僕も好きだ。

 顔の見えないオンラインフリーマーケットは、相手がどのような人で、どのような仕事をしていて、どんな思想を持っていて、等々、何も知らないし、わからない。ただ、出品物を見ると、それが垣間見える時がある。そして垣間見えた時、僕の買いたい物以外の商品が、僕の普段の生活から、かけ離れたものであっても、せめて「僕の買いたい商品」を通じてならば、2人は分かり合えるに違いない。メルカリとは、全き他者が、同時に実はこんなにも近くにいたのだと、気付くことのできる最良のアプリだ。その点でメルカリとは連帯である。これがメルカリの哲学だ。

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