ベンジャミン・バトン 数奇な人生

何度も繰り返して鑑賞している作品のひとつ。老体で生まれ次第に若返っていく男の数奇な人生物語。哀愁漂う映像美、もの静かな背景音楽、個性的な登場人物、囁くよなうなナレーション、印象的な台詞、そのどれもが綺麗にまとまり、観終わったあと、とても心が穏やかになる。

心に残るシーンと台詞のいくつかをまとめておきたい。

“青い瞳を忘れられない”

主人公・ベンジャミンと運命の人・デイジーがはじめて対面するシーン。バレエダンサーを夢見るデイジーがパーティー会場でふわりと舞う姿から目が離せないベンジャミン。互いに見つめ合い優しく惹かれあう運命的な瞬間が、“青い瞳を忘れられない”という短い台詞に込めれられている気がした。人を好きになることに大きな理由など必要ないことを知らされた。


“名前も覚えていない人がいちばん印象的だったりする”

ベンジャミンの住む老人介護施設に入居する老婦人とのシーン。誰と会うわけでもなく毎日宝石を身につけ、読書を嗜み、優しくピアノを教え、凛とした姿勢で生きる老婦人。“大切なのは上手く弾くことじゃない。どういう気持ちで弾くかなの”。彼の記憶に大切なものを残してくれた。名前こそ思い出せないが、過ごした時間や出来事だけはずっと記憶に残り忘れないものだ。


“人妻がすべきことなんて僕は知らない”

船乗りの仕事に就いたベンジャミンは、その一時期を見知らぬ街のホテルで過ごす。そこでエリザベスという名の人妻と出会う。多忙な夫のもとで寂しく過ごす人妻と、船仕事での労を癒すベンジャミン。ふたりは毎晩のように夜があけるまで果たせぬ夢や自分の人生について語り合う。淡く惹かれ合うも互いにその先へは踏み込まず、最後はそっと別れを迎えてしまう。静かに流れる時間の描写がこの作品を象徴しているかのようで心に残る名シーン。時として人生には担保されることのない形のない関係性の中にほんのひとときの安堵感や癒しを求めることは必要なのかもしれない。


“死を前に腹わたが煮え繰りかえり運命の女神を呪いたくなる。でもお迎えがきたらあきらめていくしかない”

醜い姿で生まれた自分のことを捨てた父が、病に苦しみ死を目前にして、複雑な心境になるベンジャミン。それでも穏やかな最期を迎えさせてあげようとする心の流れが、死を悟った台詞と美しい景色に写されとても印象に残った。どんな人であっても人生の最期は穏やかに迎えさせてあげたいと思う彼なりの愛情なのだろう。


“人生というものはどうにもならないことの積み重ね。誰にも予測はできない”

不慮の事故で重傷を負ってしまうデイジーを見舞うために病院へ駆けつけるベンジャミン。しかし「そっとしておいて!」とあしらわれてしまう。いつでも完璧に振る舞う彼と、二度とバレエを踊れない身体になったことを悲観する彼女の心が大きくすれ違う。不甲斐ない自分を受け入れられず、それを誰にも知られたくない時もあるだろう。相手を思うが故の行動であっても、報われず、運命に贖えず、どうしようもない結末になることはある。それは生きていれば幾度となく訪れる。


“私は若すぎてあなたは歳をとりすぎていた。結ばれるときに結ばれた”

その後ベンジャミンとデイジーはそれぞれのときを過ごす。長いときを経て生まれ育った家にベンジャミンが戻ると偶然そこにはデイジーの姿が。何度も出会ってはすれ違いながら、ふたりはようやく結ばれることになる。それはちょうどふたりの心と身体の年齢が近づいたタイミングだった。その瞬間を鏡越しの目に焼き付けるふたりの姿をみて、いずれまた離れてしまう運命を予感して儚さを覚えた。


“何をするにも遅すぎる事はない。なりたい自分になればいい。タイムリミットはない。いつ始めてもいいんだ。変わってもいいし、変わらなくてもいい。ルールなんてないんだよ。人生は最高にも、最悪にもなる。もちろん、最高のほうがいいけど。驚きに満ちたものを見つけて、それまで、感じた事のない事を感じて、人と出会い、様々な価値観を知ってほしい。誇りを持って、人生を生きるんだ。道を見失ったら、大丈夫、また、自分の力で、やり直せばいいんだ”

デイジーとの間に子供を授かり幸せなときを過ごすベンジャミン。しかしいずれは成長していく子供より若くなってしまう自分の運命を悟り、父親から譲り受けた財産を残しそっと家を出ることを決める。そして世界中を旅して周りながら多くの手紙とともに、子供へのメッセージをしたため続ける。上の写真は、かつて多くを語り合ったエリザベスが英仏海峡を泳いで横断するという長年の夢を叶えたことをニュースで知るシーン。微笑ましく眺める彼の視線がとても印象深い。“何をするにも遅すぎることはない。なりたい自分になればいい”


“故郷の川のほとりで暮らす人。雷にうたれた人。音楽が得意な人。アーティスト。泳ぐ人。ボタンを作る人。シェイクスピアが好きな人。母親になる人。そして、踊る人”

物語の最後の回想シーン。彼の生きる人生という時間のなかで、多くのひとが互いに物語を紡ぎ合い、様々なものをもたらしたように思う。そのどれかひとつが欠けたとしても彼の物語は成立し得なかっただろう。まさに“人生というものはどうにもならないことの積み重ね。誰にも予測はできない”。それがたとえ老体で生まれ若返っていくという数奇な人生を選ぶことになったとしても。

人と人との偶発的な出会いが織りなす物語。それは私自身の生きる世界とを重ね合わせて観ることができる。それこそが私がこの作品をこよなく愛する理由かもしれない。とても優しく心地よい作品なのでぜひご鑑賞あれ。

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