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マトリョーシカの中身を作りたい

こんにちはasです。
久しぶりの記事!前と口調が変わっているかもしれませんが勢いだけで書いてみますね。

ここ数日で色んな人のお話を伺っています。

18日はあきやさんの講演会、20日はかいりさんとビデオ通話、そして今日はユキノコさんとお散歩。

ここ半年ほど自分の中で溜まっているというか、燻っているものが山ほどある。お会いした人たちには聞いてもらっているのだけれど。

あきやさんが講演会で、「なりたい」はなかなか捕まえられないとおっしゃっていた。そしてやっと見つけたと思ってもそれがダウトの場合もあるらしい。

かくいう私も気づけば自問自答ファッション教室を受講して1年以上経ち、その当時着たかった服と180度逆まではいかなくとも、90度ぐらいズレているような服を着ている。

今日ユキノコさんとお話しているときに私が言ったのが、私の「なりたい」はマトリョーシカのようになっているということ。
ダウトのなりたいが層になってて、1つずつ着て成仏させていかないと本当のなりたいまで到達しない。
マトリョーシカの数はみんなそれぞれ違ってて、2、3個で本当のなりたいが出てくる人もいれば私のように「いつまで続くのこれ涙」となる人もいるだろう。

一年前に喜んで着ていたきれいめコンサバ服は、今見てもとっても可愛いし綺麗だと思う。
けれど今の私はその服を着て出かける気分にどうしてもなれない。
それなりに試着し悩んで買ったので似合ってなくはないのだけれど。

私は気まぐれというか気分屋というか、割と飽きっぽいほうなのは自覚している。
今気に入って着ている服を来年の私はどう思うのだろう?
昔から、1つのテイストの服を着続けるのが苦手だった。

そしてここまで書いて今気づいたのですが、もしかしたら、私のマトリョーシカの一番中心部にあるはずのなりたいがないのかもしれないのです。

暗い話になって申し訳ないのですが、私は30歳で自分の人生を終わらせようと思いながら20代を生きました。
そしたらうっかり29歳で結婚してしまって、夫に「まだ生きててほしい」と言われたので仕方なく生きています。
正直今も時々◯にたいなと思うこともあります。かなり頻度は減ったけれど。

今35歳で、正直この5年は余生を生きている気持ちで過ごしていました。そうじゃなきゃ5年も生き延びれなかったんです。
だからこの命が終わるときまで(生物としての寿命ね)、私の余生は何十年も続くのかなと思っていました。

でもここにきて、余生にも飽きてきた感じがしてきて(笑)
人生の長い夏休みをそろそろ終えて、自分の人生の本編にやっと入ろうかという気持ちになってきたんです。

なので、これから私は「なりたい」を作りたいと思います。
マトリョーシカの最後が空っぽだったら悲しいので。

私が好きなこと、やってみたいことを両親から否定され続け、やっと見つけたことも社会的にも難しく(憎きリーマンショック)、すべての事柄を周りの人から悪く言われなければ何でもいいです、と完全なる他者目線で選び続けた女の末路がこれです。
35になってやっとアイデンティティを確立しようとしていて、遅すぎるかもしれないけれど今から私は本当の私になると決めました。

ずーっと寄り道してた人生の本編を進める覚悟をしました。


この1年で沢山のガールズさんとお会いしたりビデオ通話でお話させていただき、人間って良い人もいるんだと心から実感しました。
ずっとずっと、他人は怖いと思い続けてきました。
武道館でコンサートを見たとき、ここには一万人以上の人がいて、それぞれ全員が別のことを考えていると思うと怖くて逃げ出したくなったりしてきました。
私は理解してもらえないんだと実感してきました。

でも、理解してもらおうとする努力の方向が間違っていました。
また、理解してもらう必要がない人に理解してもらおうとしてきました。

流されすぎて自分がないのが悩みだったけれど、何もなかったら流れることもできません。
ずっと憎かった自分の身体を、やっと許せる気がします。

私の中身は今は空っぽかもしれないけれど、それならこれから好きなものや綺麗なもので埋め尽くしたい。

あきやさんの講演を聞き、かいりさんと通話し、ユキノコさんとお散歩して出た現時点の結論でした。

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