何のために?ってある種の暴力だと思う
それって何のためにやってるの?目的は?
そう聞かれるとドキッとするし、嫌な未来を想像してしまう。
必死に説明しようとするけど、まだ言語化できていなくて、説明がそもそもできない。頑張って説明しても、また答えるのが難しい質問で返してくる。ちゃんと聞いてくれて、説明を理解しようとしてくれる人はいいんだけど、ときどき言葉のドッチボールを仕掛けてくる人がいて、自分のほうが正しいぞ!を言い張るためにだけに、言葉と首を突っ込んでくるそんな人。
そんな人から来る「何のために?」ってもはや暴力。
その暴力に耐える必要はないと思う(場合によってある)けど、その疑問に自分自身が答えられるように、努力はすべきだと思う。言語化するのはめちゃめちゃ難しいと思う。何が足りなくて言葉にできないのか、知識か見聞か表現力なのか。どれか、あるいは全部足りなくて、、その不足しているものをどうやって手に入れるのか。謎が謎を呼んで、分からないところがわからなくなって、ループになって。時間だけが過ぎていく。
もどかしい時間が過ぎていく。
そのもどかしさを抱えながら、少しづつ少しづつ言葉を見つけていって、描きたい未来を言語化することができたら、もう他人が理解するまで説明をしなくてもいいと思う。描いた未来にハマって、熱中して、夢中になれれば。人は後からついてくる。魅力ある人に引き付けられて、あこがれて、理想像となって、自分の未来が他者の理想となっていく。
言葉にするのはすごく難しい。
それも、誰もやっていいないことならなおさら。
もどかしさに、厄介さに負けないよう、言葉を見つけ紡いでいこう。
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最期に余談ですが、
「人は他人と分かり合えない。だから表現力が身につくんだよ」
という言葉が大好きです。説明をどうしてもわかってもらえないときにこの言葉を思い出すと、少し心に余裕ができます。
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