見出し画像

夜明け前の登山で気づいたこと

元旦、3時に起きて、初日の出を見るために登山をした。

一緒に登るのは、実家の父と子どもと私、父の元同僚のおじさま2人の計5人。子どものころ、父が福岡に赴任して、そこからのお付き合い。中学生以降は登っていなかったと思うから、もう何年振りだろう。

もともとは、子どもだけ連れて行ってもらうつもりだったのだが、子どもの登山靴やくつ下、手ぶくろを買って用意をしていたら、なんだか私も無性に行きたくなった。

で、おおみそかの日、あわてて登山靴を買いにいった。運良く、サイズもぴったりで、はきごこちはもちろん、色や形も納得のいく登山靴を見つけると、もうそれだけで気分が上がる。やっぱり私は形から入るタイプなんだな、と実感する。

そして当日。子どもと起こしあって、ごそごそと着替え、父の運転する車で出発、途中、おじさまの運転する車に乗り換えて、神社のある山へ向かう。

登山、といっても、道はしっかりと整備されていて、初心者でも、子どもでも登りやすい。しかし、真っ暗で、冷たい空気の中、急な坂を登り続けるのはやっぱりしんどい。私はすぐに音を上げたくなった。

でも、そうせずにすんだのはなぜだろう?いや、大人なんだから、当然ちゃ当然なのだが、登っているあいだ、頭の中は余裕があったので、ぐるぐる考えてみた。

ひとつは、「山に登って、一緒に乾杯をして、初日の出を見る」という目的がはっきりしていて、父やおじさまたちが先導してくれて、その背中が見えていたから。もうひとつは、真っ暗な中でも足元を照らしてくれる懐中電灯のあかりがあったから。そして、隣に子どもがいてくれたからだ。

なんか、これって、ひとつのプロジェクトに取り組む時に似てるかも!って気づく。山を人生や仕事に例えるのは、よくあることだと思うけど、自分なりの状況に置き換えて、書き記したくなった。

ひとつめの「目的」は、山の頂上が「Goal」で、そこでどんな景色が見えるか、というのは「Vision」という言葉そのものだ。しかも、登った先で味わえるものも、明確にイメージできる。おじさまたちの準備は、本当に用意周到で、焚き火を囲んで、お雑煮やお刺身も食べられるように準備をしてくれていた。それが事前にわかっていたので、苦しい道でもがんばれた。

加えて、それらの荷物を持ってなお、おじさまたちはスタスタと登っていく。経験と体力の違いはすごい。先達の積み重ねって、お金では手にいれられない、すごい財産だ。

ふたつめの「懐中電灯」は、まるで仏教の「一隅を照らす光」のようだと思った。真っ暗な道、先の見えない道でも、自分たちの足元を照らして、確かめながら、一歩ずつ進むことでしか、先へは進めないし、山頂にもたどり着かないのだ。

みっつめの「子ども」は、プロジェクトに取り組む仲間の存在と同じだと思った。うちの子は、私に似て、けっこう弱音をすぐにはくタイプ。だけど、互いに未熟者であっても、隣を歩いてくれて、お互いに励ましあって、小さなあかりで足元を照らしあって、背中を押し合える人がいてくれるって本当にありがたいことなのだ。

人の行動に影響されやすい、身に着けるものや場所など「形」でテンションが変わったり、おいしいものを食べるという「ごほうび」で、モチベーションが上がる、というところまで含めると、5〜6つくらいの気づきになってしまった。

去年、さまざまなプロジェクトに取り組む中で経験してきたこと、改めて気が付いた自分の傾向、大事だな・ありがたいなと思ったこと・・・などなどとリンクするところが多くて、ひとりでにやけてしまう。

こうやって気がついたことを、今年のプロジェクトでは意識的に生かしていけたらいいな。。

画像2

画像1

頂上で、うつくしい朝日を見ながら食べたあったかいお雑煮のおいしさは格別でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?