ジンテーゼ

みなさんは自分が今まであたりまえだと思っていた日常や、概念が大きく崩れた瞬間を経験したことがありますか。

わたしは、去年の夏、自分の中のあたりまえが大きく変わりました。

カンボジアで、ホームオーナーさんの今まで暮らしていた家の写真を目にしたとき、一瞬思考が止まりました。
藁で紡がれ、なんとか形を保っているその家は私が想像していた‘困っている状態‘とは大きく違ったからです。


というよりも、
実際どんな状態なのだろうと思いを十分に巡らせていなかったからなのかもしれません。

居住環境に困っている人が世界にはたくさんいる。
文字として、事実として、言葉では分かっているつもりでした。
しかし、言葉としてしか認識していませんでした。

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派遣期間中、『幸せとはなにか』考える時間がありました。
その時の私の考える幸せとは ‘人の温かさにふれられること‘
友達や家族と話したり、おいしいごはんをみんなで食べたり、こういう日常のひと時が幸せだな~と思う瞬間であり、私が思う幸せの定義でした。
しかし、このことさえもある人にとっては日常ではないのです。
私にとっての幸せは安心できる住まいがあるという前提で考えられていました。次の日、ホームオーナーさんに幸せに感じる瞬間はいつですか?と尋ねると、
幸せと感じたことはあまりない。というのが答えでした。
水も汚いし、病院も近くになくて、満足のいく生活が送れてないから。という理由で

自分の求めている幸せって世界の人から見たらくだらないことなのかな。生きていることが幸せっていう人もいるんだろうな。でも、十分な暮らしではなかったら幸せとは思わないしな。じゃあ、幸せな瞬間を味わうことなく人生を終えるひともいるのかもしれない。

自分の中のあたりまえが大きく崩れて、初めて現実的に世界中の様々な暮らしをしている人に思いを巡らせました。
そして、今まで自分が思いを巡らせてきた範囲がどんなに狭いものだったのかを痛感しました。

自分の中でのあたりまえが崩れること

言葉では分かっているけれど、実際に体験することで、なにか心の奥に響くものがあって、知らない世界と対峙するから怖い面もあります。


だけど、知らないままで過ごしていく方がもっと怖い、とも思います。
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時代の中で不況になったとき、人々は社会に疑問を持ち始めるそうです。
そして、この‘疑う‘という行為が新しい哲学の誕生につながっていきます。
今の政治のやり方は正しいのか、幸福の在り方はどうあるべきなのか、死とは何なのか、とか、今までは気に留めずにいたことに目を向け始めるのです。

今までの日常を疑い、たくさん考えて、その日常と現状の矛盾・対立の中から新しい日常や概念が生まれる。
去年の夏、自分の日常と世界の現状の矛盾を体験してから
この繰り返しが人を成長させるのだとより強く思うようになりました。
だから、いまもこれからもたくさんの刺激をうけて新しい自分へと成長したいです。

自分の目で見なければ思いを及ばせることのできない範囲がある。
自分が体験しなければ持つことのできない疑問・考え方・視点がある。

2019年の夏の二週間は改めて私にそのことに気づかせてくれました。

そして、私たちは新型ウイルスの蔓延によって、今までとは違う社会の動きの渦中にいます。

今一度、自分のとっての日常について思いを巡らせてみてもいいのかなと思います。

今のあなたにとっての幸せは、三か月ほど前のあなたにとっての幸せとは違うはずです。
それも、経験を通して新しいジンテーゼへと進んだから。

沢山のいつもと違う出来事は成長のチャンスかもしれない
目に見えないウイルスとの戦いも、海外で家を建てることも、

一歩を進むために、たくさん考えて、悩んで、
そして、一歩先の新しい世界を一緒に見てみませんか。


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