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挑戦記:自分を認めてあげれてないこと

こんにちは、あっすーです。

自分が一番自分のことを認めてあげれないことに、酷く気が付きました。
そんな今日です。

「自分のことが好き」だったのは、小学校5年生くらいまで。
小学4年生のときに、同級生の女子たちが、「自分のこと、好きじゃない。」と言っているのを聞いて、「え、そうなの。自分のこと好きじゃないとか、正直に言えない…」と皆と同じこと言えないことが引っかかったことを覚えています。

少しずつ、みんなに寄せていった気はしていて、ちょっと「私も自分のこと好きじゃないかもしれない」とか言ってみたりして。
言葉は本当になるとは、この事かもしれないというくらい、今のわたしは自分のことを好きと心から言えません。
たまに、心から言えるタイミングもあるけれど、大抵は、言えません。

あれができていない、これができていない、あれもやりきれなかった。
あれの期日を守れなかった。
これをアツアツの盛り上がりがあるときに送れなかった、できなかった。
やると決めたことをやりきれなかった。

などなど。。。。

永遠にそんなことを思いながら、自己嫌悪なのかなんなのか、
自分の脳みそ、心、頭の中をギュッと締め付けて、自分を苦しくさせて、
それで許されようとしています。

今朝同じような事を考えていたら、急にハリーポッターのドビーが思い浮かびました。

「ドビーは悪い子、ドビーは悪い子」

といいなが永遠に頭を何かに打ち付けるあの様子が、私が許されたい時にする自分の心をぎゅっと苦しめるやり方と似ているなと。

ドビーは別にやりたくて頭を打ち付けている訳では無く、そうしろと主人に言われているから、そうするのです。ドビーは本当に反省しているわけでもなく(悪いこともしていないから本当に反省する必要も無いのだけれど)、ただただ機械的にそうする。そうしないといけないから。

私も、本当に悪いと思っていなくても、そうする。
じゃないとケロッとしている自分を見せて、怒られるの馬鹿らしいから。
だったら、しょげている姿を見せて、同情をさそって許されたほうが、怖くない。痛くない。苦しくない。

意味がこもってないし、行動変容の意欲もこもってないけれど、とりあえずそうするというのが、ドビーの行動と私の許されるためにする行動の共通点かと。


ただ、この行動の悪影響はちゃんと会って、
ちゃんと心が萎縮するから、身体も萎縮して、思い切った行動や、恥をかくこと、挑戦すること、いつもと違うことができなくなります。

そして、何より、自分の頑張りや、自分自身のことを大事にできなくなります。

人に怒られるのが嫌で、自分があんまり悪いと思っていなくても、相手に失礼だなと思い、必要以上に自分のことを傷つけるからです。


そして、最近、皆からもらうメッセージは、「もっと自分の「できないこところ」を認めて、自分を大事にしてあげて」ということです。

「できないところ」があると、どうしても隠したくなる。
ちょっと一個事実を言わないことで、自分のできないを隠せるのであれば、さらに、隠したせいでなにかあっても、しらばっくれられそうならば、隠してしまいたくなる。

とりあえず今、できているように見えないことを私はすごく嫌がる。
自分のできない部分を認めてあげれない。
いつも人の目を気にしている。

いつも、あれもこれもできないことを隠していて、すみません。
と謝るのだけれど、世界はものすごく優しくて。
一番謝るべきなのは、「できない自分」をいないことにし続けて、否定し続けている、その「できない自分」に対してだなと何度も気が付かされる。

認めてあげる。
何度も、忘れて否定するけれど、その度に、認めてあげる。

よしよしと撫でて、ギュッと抱きしめて、
そんな自分がいることを許してあげる。
どうしても許せななくても、その許せないことを認めてあげる。

そんな、じぶんがいるね。と。


1つずつ、自分の決めたことをやれるように、
私の周りの優しい人達に優しくできるように、
一番は、自分に優しくできるように、
します。

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