無知であることを知る
人間として何年か生きていく中で、いろいろな考え方、価値観に遭遇しますよね。
例えば子供のころ、父親がよく休みの日にパチンコに行っていて、負けて帰ってくると機嫌が悪く、母親とケンカになっていました。
そんな姿を見て、私の中ではパチンコはお金がたくさんなくなるものだし、ギャンブルは悪だという価値観が出来上がっていったのでした。
だから、結婚して間もないころ、夫が私の帰省中に3万くらいパチンコですってしまったとき、烈火のごとく怒りました。
それ以来うちの夫は、私にパチンコをしたという話は一切しません。
もしかしたら友人たちと行っているときもあるのかもしれませんが、少なくとも万単位のお金がなくなるということはありません。
うちの父は相変わらずパチンコ屋さんには行っています。そして母は、父親の健康が心配だと言いながら、相変わらず文句を言っています。
でも、私はこの十数年の間に考え方が変わってきました。
悪いのはパチンコではない。そしてお金をパチンコに使うことが決して悪いことではないと。
確かに昔は煙もモクモクしていて肺に悪そうな場所だったかもしれないし、不健康でお金を散財するようなイメージもありました。
ただ、どんなふうにパチンコという遊びを楽しむかは、その人その人の心の状態にかかっているんですよね。純粋に遊びのひとつとしてパチンコが好きなら、それを否定してやめさせるというのは行き過ぎかなと。ただ、お金があっという間になくなりやすいので、限度は必要だと思いますが。
私はやったことがないので気持ちはわからないのですが、遊びのひとつとして捉えるようになってからは、気にならなくなりました。
パチンコに行くということが、うちの父親の場合はストレス解消になっていて、もしも母親が本気でパチンコをやめてほしいのなら、居心地のいい家の雰囲気を作るしかないんだろうな、と思います。パチンコをやるより家にいる方が楽しいという状況を作るしか。
それはなかなか難しいことかもしれません。家にいたらいたで、結局文句のひとつやふたつ出るんだろうし(笑)
人によっては、お酒やタバコが悪の象徴みたいに思える人もいるかもしれません。子供のころに感じた嫌な思いがあると、そのままの価値観で大人になっていきます。
特定のものを否定したり、差別意識があったりすると、そこから心の分断が始まります。
でも私たちは、自分でも気づかない間にいろいろな価値観を身に着けているんですよね。言い方を変えると、自分のものさしで判断をしているということですが。
父親とは、母親とは、先生とは、子供とは、上司とは・・・みたいな。
判断するときには価値基準というものが必要ですが、何か問題が起こった場合、もしかしたら自分の中の価値観、ものの見方を変える必要があるかもしれません。
凝り固まった価値観でものを見ると、そこからはみ出している人が悪者のように見えたり、社会不適合みたいに思ってしまったりします。
でも本当にそうなのか?自分のものの見方は本当に正しいのか?
神様じゃあるまいし、絶対に私が正しい、と言い切れる人はおそらくいないと思います。
社会問題を取り上げているニュース番組やYoutubeを見るとすごく勉強になるなあと思うんですけど、たとえば貧困で苦しんでいる方々一人ひとりにさまざまな事情があったり、そこに至るまでの背景や心の変化というものを見ていくと、納得できるものがあったりします。
自分が体験していないものってなかなかわからないことが多いですね。
私なんかだと、流産や不妊を体験している人は世間では少数派で、なかなかそういう人の気持ちがわからない、というのが大半の方だと思いますし、それは当然のことだと思います。
私は逆に子育ての経験がないので、本当の意味でお母様方の大変さや苦しさは理解できないかもしれません。
だから、相手の立場を知るということはすごく大切なことだなと思います。
「この人なんか嫌だな」と思う前に、いったいこの人はどんなことがあって、どんな背景をもっていて今こんなふうになっているのか。
そういうことを見る、知ろうとする。すべては無理だとしても理解したいと思う。そういう姿勢を持っていたいと思うんですね。
まだまだ知らないことがたくさんあるんだということを知って、奢らず、裁かず。でも相手を傷つけることもあるかもしれない。そしたらごめんなさいと言える大人になりたい。
人生折り返しても、学ぶことは無限にあるんだなと思っている今日この頃でした。
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