ひとつ、ひとつやりたいことを

自分のやっていることに
「なんの意味があるんだろうか?」
と、つい考えてしまうことがある。

というよりも
大人になってからは特に
「なぜ、それをやるんだ?」を
求めてしまう。

効率を求めて
結果を求めて
脇目もふらずに
せっせとせっせと進む。


いつの間にか
ただのんびりすることが
苦手になっていた。

ただ遊ぶとか
ムダに思えて
どんどん自分を窮屈に
追い詰めていってた。


子どもを見てて思う。

生産性とか
そんなもの
何も求めていない。

目の前のやりたいことに
ただただ夢中になっているだけ。


「わたしは、何をやりたいのか?」
その「やりたい」に対して
結果を得たいからこそ
損得勘定がはたらいていく。

損をするならやらないほうがいい。

失敗しないように
先回りしていようとする自分。


なんてつまらない人生なんだろう。と
かなしくなってきた。


やりたいことを
無意味に自分が感じたとしても
やっていくしかないわけだ。


子どもと一緒にいると
ついつい、子どもにすべてを合わせてしまう。

もちろん、
子どもの喜ぶ顔を見て
一緒に楽しむのもいい時間。

しかしね。
その時間だけだと
わたしは疲れていくんだ。


子どもが嫌いなわけじゃない。

要はバランス。


わたしの時間が必要。
その時間に何をしたいのか?

ちょっと昔は、
いない間に
たまっていた家事をして
すっきりさせようとしていた。

旦那さんがくれた時間だからこそ
家のことをして
喜んでもらおう。なんて
よこしまな考えをしてた。

加えて、
自分のためだけに過ごすなんて
罰当たりのように思っていた。

くだらないことをして
過ごしていたと
思われたくなかったからだ。


その考え方こそ、くだらない。


結局、
自分のやりたいを我慢して
人に尽くしていたら
せっかくの自由時間すら
自由じゃなくなるんだ。


目の前のやりたいを叶えていく。


子どもが見本。
そして、
かつては、わたしも子どもだった。

できないわけがない。

大人になっていくにつれ
周りに合わせて
社会のつくった道から
はずれないことに
神経を注ぐようになっていた。


ここまでを、2020年8月に書いてから
下書き保存のままになっていた。


今のわたしはどうか?


自分の生きる時間を
満足に使えているか?


やりたいことをやるために
やりたくないことをすることもある。

そのやりたくないことを
いかに、面白がってやれるか。が
考えることのできる人間の
面白さのように思う。



家族のためにやることも
自分のためにやることも。



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