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ご自愛、ご他愛

特権を持った人のエゴが嫌いだ、と言っていた。それを武器にして振り回した。

自分にとってのコンプレックスは、他人が手を伸ばしても伸ばしても届かない希望だった。

恵まれた私が叫ぶ狂気は、無意識に無自覚に、それでも確実に凶器となる。

隣人の痛みには気がつかないまま、突き刺してきたナイフのことを思う。

恵みが神の領域によるものだからこそ、無邪気に振り回していたからこそ、その暴力性は一層鮮やかに軽やかに。

特権を持つ者は、それを誇示することなく淡々と享受して、その傷みすらも一人で受け入れなくてはいけないのかもしれない、そうでなかったとしても、そのようにありたい。


他者からの肯定を持て余しながらも内心少し喜んでいる瞬間より、肯定を肯定しきって諦めきった時間の方が、甘い蜜の味がするのだろう。

先程まで滔々と特権者のエゴについて語ったにも拘らず、あいも変わらず自らの複雑さについて話してしまう、ここは自分のための場だから、そうであるはずだから、許されたい。

私の優れたところは全部他者の力でできている。ある程度顔が整っていることは両親の遺伝子のおかげだし、ある程度お勉強ができることも両親が私に費やしてきたお金と時間のおかげだ。

私の劣ったところは全部自分の努力不足なのかもしれない、と思う。家事ができないところも、押しに弱い性格も、自己嫌悪して反省したフリだけが上手いところも。

自己評価ができなくて、全て周囲の評価で成り立つ「私」の軸はどこにもない。他者からの肯定で形作られた「私」でさえ、他の人が作った「私」を他の人が褒めてるだけじゃない?

私不在で飛ばしあった私の評価に踊らされて落ち込んで、それを隠すために丁寧に化粧をして綺麗に髪を巻く。そうやって無理やり自己肯定感をあげる。

私のこと1番知っているのは私だから、自分にもナイフを向けないように。この意識はいつもなくしてしまう。


自分にも他人にも、優しくありたい。



連想ゲームのネタにしますね。