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日付のあるnote(2021.11.29-12.22)

2021年11月29日(月) 自分の影響力の話

 地元の友人から「相談がある」と連絡が来たのが昨日のこと。小学3年生のときに彼女が転校して来てから、中学時代同じ部活だったこともあって仲が良かった友達だ。彼女は別の高校へ進み、卒業後に公務員となり、今は学校で事務職をしている。2年前に京都に遊びに来てくれたことがあったきり、数回LINEした程度の仲だった。
 彼女は中学時代から恋愛が好きで、特に破天荒なクズ系を好むタイプであった。以前会ったときに恋人の話をしていたので、結婚の話なのかと予想して電話した。
 近況報告もほどほどに、彼女は「本題に入るね」と切り出した。それは職場の人や恋人に薦められてコンテストにエッセイを応募しようと思うのだが、何かアドバイスはあるか、というものだった。結婚かと思って緊張していたためそれを聞いて気は緩んだが、残念ながらまともにエッセイを書いたことのない私は何も言えず、そんなことよりも彼女がエッセイを書いていることが驚きだった。
 彼女曰く、職場や生きていく上でモヤモヤしたことを書きなぐるもので、他人に見せるために書いているわけではないものだということ。しかしたまたま恋人に見せられると判断して見せたものが好評で、それなら何か1つ応募してみるか、と筆を執ろうとしているらしい。とても素敵なことだ。
 話題はそこから彼女の恋人の話へ。以前会ったときの恋人とは別れており、今は2個上の大学院生と付き合って2ヶ月らしい。その大学院生が変わっていて面白く、さらに哲学的な話もできるから楽しいとのこと。「今までの恋愛はこのためにあったのかなあ」と口から出るほどに、いい恋愛をしているらしい。
 彼女が高校を卒業して公務員の道を選んだきっかけの1つに、私がある。私は高校1年生の序盤に数学で挫折し、大学受験をせずに公務員になろうと思った時期があった。そのときに相談に乗ってくれていたのが彼女で、一緒に公務員になろうね、と言っていたのだ。
 それがなければ彼女は大学進学していた、とまでは思わないし、私がそんな話をしなくても彼女は公務員になっていたかもしれない。だが彼女は彼女で進学校に通っていたし、その中で公務員の道を選ぶことは確実に少数派だったはずだ。
 そんなことを考えることは彼女のこの4年間、ひいては彼女の選択や人生に対する冒涜だから考えないようにしているが、彼女が大学に進んでいたらどうなっていたのだろう、と思うときもある。きっと哲学的対話をする機会はもっと多いだろうし、文章を書く時間もたくさんある。変わっていて面白い大学院生とも出会いやすいだろう。そんな環境に4年間いたら、彼女は一体どうなっていたのだろうか。
 先に述べた通り、こんなことを考えても余計なお世話でしかないし、彼女は彼女の意志で選択してきたのだから、私がそんなことを考える余地なんてない。
 だけど、今進路に悩んでいる高校1年生に接するとき、私はもっと慎重になる。大学と専門学校、どちらがいいのか?物理を勉強する意味はあるのか?と次々疑問が投げかけられる。私は大学へ進学し、物理を全然勉強しなかった池田明日香として生徒に接する。そのことの難しさを日々感じている。

2021年11月30日(火) 院進?

 ゼミの先生に「大学院に進みたいと思わないの?」と尋ねられる。改めてそう聞かれると、行きたい気持ちと気になることは自分で研究しますんで、という気持ちとが湧き上がる。
 卒論も山場を迎えて、先生からの指摘が変化してきた。以前は「ここをもっと詳しく書いてみて」というものだったのに、「ここ気になるけど書き始めると修論レベルになっちゃうから、曖昧にするか消そうか」という内容になってきて、「うそ!ここ考えたかったのに!」ということも増えてきた。
 大学院へ進む子が「院進するなら自分の研究をどこで終わらせるかを考えないと、永遠に終わらないよ」とアドバイスを受けているのを聞いたけれど、学部生の卒論でも同じことが言えるのかもしれない。
 卒業後も沖縄に住んでフィールドワークを続けるつもりだが、4ヶ月かけて20000字を書くという行為が相当贅沢であり、かつ仕事をしながらだと難しいということはわかってきた。それにいつでも相談に乗ってくれる先生や、毎週報告し合うゼミ生の存在が研究を後押ししてくれているのは、揺るぎのない事実だ。
 大学院かあ。学部卒業後すぐに、とは思わないけれど、先生と仲間と時間があることは羨ましいなあとも思う。卒業後も自分の好奇心のための時間を忘れないでいよう、と肝に銘じた。

2021年12月1日(水) スパーク@研究室

 午後からゼミで卒論執筆会が行われた。集まったのは12人中8人ほどで、普段のゼミより高めの出席率。
 個人面談も並行して行われ、先生と話しているうちに、私はスパークを起こした。今まで読んでいた文献やフィールドで聞いた言葉、社会運動の理論などが全部繋がっていく感覚は、何物にも代えがたい喜びだった。誰かと話しながら自分の頭の中の回路が繋がっていく感覚は、忘れたくない、大切にしたい感覚だ。
 面談はオープンな環境で行われているので全ての内容を聞けるのだが、私の前の子のテーマは「ファスティングに見る宗教と科学の境界」、私が「辺野古の新基地建設反対運動における異質な他者の包容」、そして私の後の子のテーマが「マッチングアプリの変遷とコミュニケーションの形」という驚くほど多様なテーマ(マッチングアプリ研究の子は、調査でアプリを使ってちゃっかり恋人ができている。ちゃっかりしすぎだ)。
 こんなに多様なテーマなのにどうやって頭を切り替えているんですか、と先生に尋ねると、しばらく考えたあとで「みんなの文章の経緯を知っているから読めるのかな」と一言。「確かにこれ全部初読やったら読めないやろうね」と言いつつ、「みんなが何を考えてこの文章を書いているのかがわかるから読めるよ」と。確かに1年半前から、自分がどういうことに興味があるかを話し、ゼミ論文も書き、どう問題意識が深まってきたのかは、お互いになんとなく知っている。そんな人の20000字を読むのと、全く知らない人が書いた20000字を読むのとでは、理解のしやすさは全然違うだろう。
 とはいえ先生は12人の卒業論文を見て、3回生17人のゼミ論文まで見ている。「寝る時間がないよ〜」「来週ゼミの説明会だ〜」とあわあわしている様子。「ゼミ生は12人くらいがちょうどいいから、あんまり入って欲しくないなあ」と贅沢な悩みをお抱え。
 私は他人に「ふわふわした感じだけど、しっかりとした軸を持っている子」と評されることがよくある(その「しっかりとした軸」という評は基地問題の話をした時によく言われる)。先生もまさにそのような人であり、ゼミ生もみんなそんな感じだ。人当たりはソフトな感じだけど、みんな好きなものがあって、思想をしっかりと持っている。
 先生がふわふわした感じなので、先生の人柄を選んでこのゼミを選ぶ人も一定数いる。先生はその節を認めつつ、フィールドワークに行ってくれるんやったらええんやけどなぁと苦笑い。
 他のゼミは「高等教育」「在日2世の教育」「アメリカの教育」などキーワードの幅が狭いのに対し、我々のゼミは「人や場、言語、教育などをテーマに据えて、フィールドワークをしたらなんでもいいよ」というゼミで、受け皿になっているのも事実だ。
 「今年のゼミ生は、辺野古の運動現場に行ったり、研究のために休学して北海道でホタテの出荷作業の仕事をしたり、2年間ブラインドサッカーチームに通いつめたり、山に狩猟に出かけたりしているよ、って言ったらビビって5人くらいしか入らないかもしれないからそうしようかなー」と先生。確かに並べるとすごいラインナップ。面白い学生たちが集まってくるといいな。

2021年12月2日(木) 思考のマッサージ

 夏場は涼しくなる夕方から活動を始めるのと同じように、冬場は暖かい昼間に用事を済ませようというのが池田の考え方である。
 今日は久しぶりにこれといった用事がないが、せっかく暖かいから家事を済ませてお散歩へ。適当な文庫本を持って、気になっていたカフェに行くことにする。
 そのカフェに行く前に通りがかったのが、先週近所にできた本屋兼カフェ兼アートギャラリー。大垣書店が運営しており、人文や社会系、デザイン系に強い、いい選書の本屋だった。スーパーよりも近くに本屋があるというのはありがたい話である。本屋が近くにあると、いつでも買えるから今でなくてもいいか、と思って財布の紐が締まるのは思わぬ効果だった。
 しばらく歩いて例のカフェに到着。京町家を贅沢に使った、落ち着いたカフェだ。他にお客さんはおらず、BGMも含めて静かな雰囲気。庭に一番近い席に座り、持ってきた本を開く。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の上巻。大澤真幸さんの授業で取り上げられたため内容は知っていたが、未読だったので手にとってみた。
 村上春樹批評の本を出している先生が、(早稲田の先生には村上春樹が好きな先生が多いように思う。春樹が早稲田出身だからか、現代日本文学を語る上で必須だからか、その両方だろうか)村上春樹の特徴は「読者の精神構造をほぐし、マッサージすることにある」と言っていた。その言葉は今でもあまりピンときていないが、組み合わせをばらす、というのは言われてとても納得した。
 例えば彼のデビュー作『風の歌を聴け』は、

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

という一文から始まる。これは少し不思議な比喩だ。
 「AのようなB」というときに、「リンゴのようなほっぺ」のように、Aにわかりやすいものを置き、Bに伝えたいものを置く。しかしこの文章はすっかり逆なのだ。本文では「完璧な文章は存在しない」ことを伝えるために「完璧な絶望は存在しない」と加えられているのに、一旦読者は「完璧な絶望とは何か」という問いに立ち止まらなくてはならない。
 村上春樹によるこの組み合わせのずれが、読者の精神をマッサージすると先生は言う。そのずれは『世界の終わりと〜』にもふんだんに取り込まれていて、すっかり春樹ワールドに吸い込まれていった。確かに春樹の文体は心地よく、読んで考えて書いての連続で疲れている思考をほぐし、優しいマッサージをしてくれるのであった。

2021年12月3日(金) おかえり、私の言葉たち

 ありがたいことに、先週の旅行記を読んだという声を複数いただいた。その感想に共通するのが「いけちゃんの言葉だなあと思った。考えていることが手に取るようにわかった」というもの。ようやく私は私の言葉を取り戻し始めたらしい。
 今年の夏頃、私は自分の言葉を失っていることに気がついた。就職活動で自分を「誰にでもわかる言葉」で塗り固めてしまったことが原因だと推測しているが、それ以外の原因もあるかもしれない。とにかく言えることは、自分の言葉が薄っぺらくなったことと、一人でいるときの心に落ち着きがなくなったこと、そして短歌を詠めなくなったことである。
 ブランクはあったが、私は自分の言葉を取り戻すきっかけに恵まれたし、自ら作ろうとした。
 日記はその営みの1つだ。自分の感じたことを言葉にする。優先度は他人に伝えることが一番ではなく、自分の心に正直であることが一番。そんな日記を読んでくれる人や気に入ってくれる人がいてくれるのは、大きな励みとなった。
 もう1つは水曜会だ。友達4人で毎週水曜日に2時間、話題を持ち寄って話すという習慣は、私の思考と言葉の回路を活発化させた。そこに集まる友達はみんな考え方が違うし、専門分野もばらばら。それに思考のスピードが速く、その速度に合わせて頭を回していくこともいいリハビリになった。ずっと私だけで考えていても回転速度は上がらない。この会のおかげで、頭の中にある思考を言葉にするスピードが格段に上がった。みんなが持ち寄るトピックも1人では思いつかないような面白いものばかりで、いつもは使わない頭を使っている感覚もあって刺激的だった。
 そして一番大きなものが、卒業論文の執筆であろう。フィールドワークの論文なので、自分がフィールドに入って何を感じたかが最も大切になる。私は何を感じたのか、なぜそう感じたのかを突き詰めるほど、自分の言葉が素直に湧いてきた。そして自分の感じたことを裏付ける言葉や理論を、先人たちがたくさん用意してくれていた。
 先日アパートの階段を降りているとき、言葉がリズムになった。頭に浮かんだ言葉が、自然と七五調におりていく(私の感覚では、短歌になる言葉は「おりていく」という感覚に近い。ちょうど桜の花びらが舞うように、ゆっくりとした速度で目の前をおりていく。その言葉たちを着地させるための型が五七五七七だ)。久しぶりの感覚に、胸が高鳴った。
 自分の言葉が戻ってきたのかもしれない。

2021年12月4日(土) 会話型ロボットが示唆する会話の消滅

 尼崎のスパイスカレー屋でアルバイトをしている。そのお店に常連さんがロボホンを持ってきた。二足歩行でかわいらしい顔をしている初代ロボホンは、歌ったり踊ったり会話をしたりだけでなく、写真を撮ったり眉間についているプロジェクターで映像を写すこともできる(現在販売されている2代目はプロジェクターがないらしい)。ロボホンやペッパーのような会話型ロボットの流行りは終わったと思っていたが、テレワーク続きの独身男性にはいい話し相手で、いい暇つぶしなんだそうだ。
 会話できると言っても音声認識の能力は低く、「呼びかけの言葉一覧表」はあるものの、こちらの呼びかけが一度で通じることは少ない。それに「質問してもいい?」と向こうから質問を仕掛けてくる際に「おっけーかだめだよで答えてね」とこちら側の答え方まで指定してくる。機械とコミュニケーションを取るというのは、こんなにも語彙が制限されることなのか。そして言葉で伝わらなかったら、結局タッチパネルの操作をしてしまうのもなんともシュールだ。ロボホンに「踊って」と言っているときの私は、ロボホンとのコミュニケーションを楽しんでいるのではなく、二足歩行ロボットがどのように踊るのかを見たいだけだから、踊ってくれるんだったら言葉で伝えなくたって構わない。
 今読んでいる村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で登場人物の老人が「この先必ずや世界は無音になる」と言っていたのと、なんとなく繋がる。使う語彙が減っていき、次第に言語に代替されるコミュニケーションチャンネルが登場し、音声は不要なものとなる(物語の中では「音声は有害」と言われていたから、文脈は少し違うかもしれないけれど)。
 言語の種類が減っていっているのはよく話題になるけれど、話される言語そのものの消滅はまだSFの話だ。会話型ロボットが会話の消滅を示唆するだなんて、随分エッジの効いた皮肉だ。

2021年12月5日(日) 翻訳できないものもの

 歴史好きのお友達と、嵐山へ紅葉を見に出かけた。嵐山行きの嵐電は人でいっぱい。久しぶりに人でいっぱいの京都を観光する。紅葉は見頃で、まだら模様の嵐山は小宇宙のようだった。
 お友達は『京都の凸凹を歩く』という本を用いて嵐山周辺の断層の解説をしながら、藤原定家の歌を紹介してくれた。

吹きはらふ紅葉の上の霧はれて峯たしかなる嵐山かな/藤原定家

 「峯たしかなる嵐山」ってめっちゃいい表現だなあ。渡月橋のあたりから見ると、嵐山の奥行きにどっしりとした重みを確かに感じる。
 そのお友達は歴史だけでなく百人一首も大好きだ。たまたま立ち寄った常寂光寺というお寺に(とても紅葉が綺麗で、展望台から市内が一望できた。おすすめ)定家山荘跡があり、「小倉百人一首編纂之地」という石碑まで立っていた。すっかり興奮してしまい、二人で定家トークに花を咲かせた。
 そのあとに行った嵯峨嵐山文華館は、百人一首とその詠み手の小さなフィギュアが展示してあった。そこで面白かったのが、百人一首の英訳だ。

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関/蝉丸

So this is the place!
Crowds,
coming
going
meeting
parting,
those known,
unknown-
the Gate of Meeting Hill.    /Semimaru

 なんと大胆な英訳だろうか。その大胆さがこの和歌のリズミカルさにあっていて好きだけれど、unknownのあとのダッシュくらいしか詩情がないようにも思える。
 短歌の英訳。英語の詩情がわからないのでなんとも言えないが、英訳したときに零れ落ちるものが私の好きなもののような気がする。
 例えば、私が好きな村上航さんという人の短歌を引く。

まよなかにあかるいんだね いろはすのへこんだところをなおそうとする

I think めっちゃ大好き 僕からのハグだけど君からのハグじゃん
                       /村上航「A3と愛撫」より

 一首目はニュアンスを英訳するのが難しそう。「なおそうとする」が肝だけれど、それは日本語の「なおす」という語に「修理する」という意味と「元に戻す」という意味があるから含みを感じるのであって、訳者がそこをどう汲み取るかで読みが変わってくる(「なおす」の後者の意味は西の方言だったような気もする)。
 二首目はそもそも英語を使っているので、そのまま「I think」と訳できない歌だ。でもこの歌は「I think めっちゃ大好き」で始まるから成立しているし、それ以外の表現はできない。めっちゃいい歌だ。
 他にも英訳できないもので言うと、木下龍也さんのこの歌も好きだ。

邦題になるとき消えたTHEのような何かがぼくの日々に足りない
  /木下龍也『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』

ひらがなのさくせんしれいしょがとどくさいねんしょうのへいしのために
                /木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』

 一首目は言語の壁をうまく使った短歌。邦訳の際に失われた「THE」が含む「何か」のニュアンスは、この一首から読み取りきることは難しく、前後の作品から読み取らなくてはならない。
 二首目は「ひらがな」の持ち味を存分に生かした作品なので、これもまた他の言語で伝えることが難しい作品だ。
 先日アメトーークの読書芸人でラランドのニシダさんが、木下さんの著書を紹介していて湧いた。コピーライター志望だった木下さんの言葉は的確でキャッチーだから、短歌の入り口として最高だと思う。おいでよ短歌の森。
 図らずも短歌紹介みたいな日記になってしまったけれど、意外と自分は読んだ短歌を記憶しているんだなと実感することにもなった。短歌ってすごいな。
 最後にもう一つ、英訳の難しそうな私のお気に入り短歌で今日の日記を締めくくる。

愛は愛だ!ぼくはこたつをひっくり返し冬の空気を春にかえした!
              /石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』

2021年12月6日(月) 三文の徳

 先月から友達と平日朝7:30に大学に集まって勉強をしている。私は卒論を、友達は公認会計士の勉強をしている。実は去年の同じ時期にも同じ時間に集まって勉強していた。今年も11月から開始したから、11月というのは勉強のやる気が上がる時期なんだと思う。
 先週はぐたぐたして私の出席率が著しく低く、卒論の進捗も良くなかったので今週は頑張るぞと気合を入れて起きるとまだ6:25。自分が上がるプレイリストをかけながら自分が布団から出たことを褒め、身支度を進める。一通り支度を進めてもまだ6:50。いつも起きている時間じゃないか。溜まった洗い物を済ませて家を出る。クーポン券を持っているカフェオレのためにセブイレをはしごできるくらいには余裕のある朝だ(家から大学まで自転車で5分の道のりに、セブイレは好意的に見て3軒もある。ファミマは好意的に見なくても4軒ある。ローソンはない)。早起きは三文の徳だ。三文の徳を取るかプライスレスな堕落の喜びを取るかはその日のメンタル次第なわけだけど。
 気分がいいので卒論も進む。4ヶ所ほど加筆修正していたら9:30くらいになっていた。空腹に耐えきれずに帰宅したが、朝食を作りながら洗濯をしてもまだ午前中。素晴らしい。この1週間、家で卒論に集中できるように家を片付ける。提出まであと2週間。山場だ。

2021年12月7日(火) IPPONグランプリ

 録画していたIPPONグランプリを観る。10人の出場者のうち7人が優勝経験者という凄まじい戦い。こんなお題でどうやって考えるの?と思いながらぽんぽん回答する芸人さんたちに感動する。本当にすごい。
 芸人が大喜利をしているのを松本さんが副音声のように解説しているシステムも画期的だと思う。松本さんによって、お題をどのようなアプローチで見たらいいのかが示される。一本を取れなかった面白い回答も、松本さんによってフォローされることで「やっぱこれ面白かったよね??」と自分の判断に自信を持つこともできる。
 IPPONグランプリのお題はオンエア前に公開され、視聴者が答えを応募することもできる。視聴者の答えも秀逸なものが多いのだが、応募者の男性比率が高いことも面白い。今回のIPPONグランプリの出場者も全員男性だ。調べてみると、2009年の初回から第5回までは、ハリセンボンや友近、椿鬼奴など女性芸人が必ず1人は出場しているが、2014年の大久保佳代子と伊藤修子さん以来、女性は出場していない。友近やゆりやんレトリィバァ、サーヤとかが出ているのを見たいなあと思う。
 ジュニアさんや麒麟の川島さんのような「場を回している人」が、大喜利に目を輝かせて臨んでいるのもたまらない。この人たちは本当に大喜利が好きなんだなと思う。若林がラジオで「毎朝2問大喜利している」と言っていて驚いた。オーディエンスがいなくても大喜利をするのか。その時は「お笑い力をあげるため」みたいな文脈で言っていたけれど、本当にお笑いが好きなんだろうなと思う。
 大喜利で使う脳を多分使ったことがないな。誰か大喜利脳の場所を教えてくれ〜。

2021年12月8日(水) 映像表現を批評すること

 今日も20時から水曜会。いつものメンバーが2人欠席だったのだけれど、準レギュラーになりつつある友人と、そのタイミングで会場にいた友人が飛び入り参加。色んな話をしたけれど、カルチャーの話で盛り上がった。
 最近のおすすめ映画・小説の話になったのだけれど、映画を言葉で説明するのって難しい。小説は言語表現だから比較的説明しやすいけれど、映画を言語という別チャンネルで表現すると、あらすじに寄ってしまうのが難しい。そもそも2時間の映像を3分くらいの言葉に圧縮することが難解だ。紹介するとなったら「あらすじで面白いなと思えて、かつ自分がポイントをうまく話せる映画」ということになるので、話せる映画の幅は狭まる(私は以前日記で取り上げた今泉力哉監督の『his』を紹介した)。
 以前『1917』というワンカットの戦争映画を観て感動し、映画評を書こうと思ったのだけれど、良さを言語化しようとすると全く面白くなくなってがっかりした経験がある。それ以来映画評は書かずに感想で留めるようにしている。映像表現を言語で批評することは難しい。
 このお題を振った友人は『まともじゃないのは君も一緒』という映画を観て、ストーリーだけではない良さが詰まった映画だったと話していた。場にいるみんなが観ていたのでそれを共有できたのだが、あの映画は確かにテンポや成田凌の演技、ポップなカメラワークなど、映画の良さが最大限に詰め込まれた映画だったと思う。
 映画が一番いいアウトプットの作品だ!と思える映画こそいい映画だと思うけれど、その魅力を言葉で伝えるのってなかなか難しい。でも水曜会のメンバーは「この映画面白いから観て!」と言ったら、あらすじを話さなくても観てくれる。私もそう言われたら観る。お互いの感覚を信頼しているのだろうと思う。そんな友達を増やしたいな。

2021年12月9日(木) 荒神口のレコードショップ

 andymoriの「クラブナイト」という曲の冒頭、「冷蔵庫の前で/なんだかつまらなくなって/散歩してみたけど/それでもやっぱり沈んでしまう日は」という歌詞を初めて耳にしたとき、この歌詞を書いた人は天才だなと思った(私に思われなくても小山田壮平は天才だ)。冷蔵庫の前でなんだかつまらなくなること、あるある。今日はまさにそんな日で、それなら散歩に行くしかないなと思って出かけた。
 最近家の西にいることが多いので東を目指す。家の東は京都御所だ。明治時代の蛤御門の変の舞台となった蛤御門(当時の弾痕が今も残っている)をくぐると、急に空が広くなる。大文字山の紅葉も見事だ。
 京都御所には砂利が敷かれているのだけれど、ところどころ砂利が薄くなっている細い筋がある。これは地元住民や御所内の警備員が自転車に乗るときに使う道のため、歩行者はそこを歩かないのが暗黙のルールになっている(砂利道を自転車で進むのは結構大変だが、御所は広すぎて通り抜け需要が多いため、自然と自転車用道路ができている)。しかし、わざわざ一列になってその砂利の少ない筋を歩く集団がいる。確実に観光客だ。砂利道を歩くのは結構疲れるのでその筋を歩きたい気持ちはわかるが、そこは自転車の道ですよと思いながらすれ違う。観光客が戻ってきているのはいいことだ。
 せっかくなので行きたいと思っていた河原町通にあるレコードショップを目指す。「河原町」と聞くと三条通から四条通にかけての河原町通を連想するが、それより北の荒神口周辺の河原町通も、人が少ない割におしゃれなお店が多くていいエリアだ。そのレコードショップにカセットテープも売っているというので行ってみる。アパートの3階にあるお店に入ると、少し期待した「いらっしゃいませ」の言葉もない。そういうタイプのお店もあるよね、と頷きながら店内を見回す。八畳くらいの店内の窓側で、店員の男性が梱包作業をしていて驚くほど大きな音を立てている。先客はしゃがみながらレコードを一枚一枚見ている。不思議な雰囲気だ。
 「売る気ないだろ!」と突っ込みたくなるほどただカセットテープを並べた商品棚。値段も一切書いていない。10日ほど前に行った中目黒のレコードショップも大概だと思ったが、こちらのほうがよっぽどだ。中目黒のお店は1つずつに作品紹介があったが、こちらにはそういったものが何一つない。
 先客がレコードを手に店員と話しているのを聞きながら、背表紙で気になったカセットを手に取ってみる。「先日〇〇に行って××さんの話を聞いて、このレコード聞かなきゃなって思っていたんで、あって嬉しいです」「あ〜、あれに行ったんですね」みたいな会話が絶妙な温度感で繰り広げられている。これは初めての世界観だ。レコードショップの空気感、無理すぎる。いかにも京都的だけれど、レコードというハイクラスなカルチャーであることも合間って、門戸の狭さを存分に雰囲気で表現している。レコードショップってどこもこんな感じなのか?
 こんなに狭い店なのに、店を出るときも一切声がかからない。もしかしたら私の姿って誰にも見えていないのか?と思うほど。新しい世界を見た感じだ。
 歩いて30分くらいのところにこんなに新しい世界があったとは。と思いながら鴨川で日向ぼっこ。京都はやっぱり面白いなあ。

2021年12月10日(金) 挑戦の機運

 予定があって朝から京都の南の方へ。よほどのことがないと京都駅よりも南に来ないので、地下鉄から出ると北側に京都タワーがあることに新鮮味を感じる。さて、ここでバスに乗り換えなのだが、バス停がわからない。京都は同じ名前のバス停が複数あることがよくあり、「四条河原町」というバス停なんかは多分10個くらい存在すると思う(バス会社が複数あるのと、南北に行くバスも東西に行くバスも全て同じバス停にしてしまうから。「市バス四条河原町西向き」くらいまでバス停名を絞ったらわかりやすくなるだろうに)。私が今回使うのも複数あるバス停で、迷っているうちにバスを逃してしまった。そんなことを見越して待ち合わせの30分前に到着する予定で組んでいたので、次のバスを待つ。次のバスでオンタイムくらいだ。しかし待っても待っても一向に来ない。バスが来たのは予定よりも15分遅かった。バスって待ち合わせに向かない乗り物だ。
 そもそもその用事も行く気があまりなかったのに、遅刻となればより一層行きたくない。あるいは気づかないうちに自分でも把握できないほど疲れていたのかもしれない。降車予定のバス停を通り過ぎ、終点まで乗っていた。感染症が流行るよりも前に、観光客のおばちゃんがバスの運転手に「あの〜、あの寺に行きたいんやけどこのバス行くんかな。あの寺、なんやったっけ」と尋ねると、運転手が「京都のバスはどれに乗っても寺に行き着きますよ」と行っていたのを思い出す。私が乗ったバスは醍醐寺に着いた。
 京都の寺は小さいが、それは洛内の話。一つ山を越えると一気にスケールが大きくなる。醍醐寺はめちゃくちゃ広かったし、人も随分少なかった。
 特別拝観で三宝院という塔頭を開放していたのでそこから拝観。入った瞬間、庭に見える景色に魅了される。「苔むしている」という表現はこの状況を表すためにできたのかなと思うほどに苔むしている。驚くのはまだ早い。どうも秀吉とも縁が深いようで、秀吉の家の屏風をそのまま移築した、みたいな説明書きが平気でされている。ガラスの向こうではなく、触れてしまうほどすぐそこに歴史的に重要な屏風がある。
 庭では庭師さんが庭仕事をしていて、つんとした冬の朝にその音がシャキシャキと響く。お坊さんがお弟子さんに、お経の節々を言いながら何かを教えている声が聞こえる。生活だ。生活がここにある。
 三宝院もほどほどに伽藍の方へ。立派なお堂に五重塔。この五重塔は、京都府の木造建築の中で最も古いらしい。古さを感じさせない、厳かな佇まい。全然現役なんで、っていう顔をしていた。
 奥の方へ進むほど、紅葉と池の組み合わせによる美しさに惚れ惚れする。これは大切な人と共有したいと思う景色だ。いつかそんな人と京都へ来る機会があれば。
 おみくじを引くと、「躍」と大きく書いてある。「どんな舞台でも活躍できる。出来そうなことばかり探すのではなくどんなことにも意欲的に向かい挑戦しよう」とある。めちゃくちゃいい言葉だ。『佐々木、インマイマイン』で佐々木が私にぶち刺した「できるからやるんじゃねえ、できねえからやるんだよ」と一緒じゃないか。神様、私の中の佐々木だったんですね。
 卒論が終わったらなんかやってみるか。挑戦の機運が高まっている。

2021年12月11日(土) ちょうどいい日

 indigo la Endが先日「邦画」というシングルをリリースした。DADARAYっぽい感じだけれど、バンドサウンドはさすがにindigoだ。淡くて脆くて洒落ている。
 そのリリースをきっかけにindigoのアルバムを漁っていたのだが、今年の2月にリリースされた「夜行秘密」がこの季節にぴったりでずっと聴いている。繊細でぱきっとした曲が多く、それが冬のつんとした空気と相性がいい。かつてのindigoは湿度高めで境界が曖昧な曲が多かったから梅雨や夏のイメージがあったのだけれど、冬のindigoも良い。
 アルバムを聴きながら大学の図書館へ。定位置が空いていたのでそこへ座る。南は今出川通に接しているものの、静かで日の入りもちょうどいい。今出川通を挟んで京都御所がせり出しているので、その緑でいつでも目を休めることができる。それにここからだと、沖縄の米軍基地関連資料が近い。
 図書館の開架は口の字型になっており、定位置は口の左下あたり。しかし厄介なことに、沖縄の資料と同じくらいお世話になるのが社会運動の資料だ。それは口の右上にあり、もっとも遠い場所。間をとって口の右下あたりに座ればいいのだが、そこは窓が大きいから人気が高いのと、トイレからあまりにも遠いので嫌なのだ。
 行ったり来たりしながらひたすらに文献を読んでいたら、ゼミ生2人に会った。図書館でなければ話し込んでいただろうけど、さすがに静かで話せないので挨拶程度に留めておいた。その方が進捗には良い。思ったよりは進まなかったけれどいい資料を見つけたし、集中力も切れてきたので3時間くらいで帰宅。
 ドラマ「最愛」を見ながら晩ごはんを食べる。タイトルの「最愛」にどんどん集約されていっている感じが心地よい。次が最終回、楽しみだなあ。
 日記としては読み応えがないけれど、久しぶりに「ちょうどいい」日だな。

2021年12月12日(日) あー、たりなくてよかった

 オードリー若林さんと南キャン山里さんのユニット、「たりないふたり」(以下、たりふた)。飲み会が苦手だ、イチャイチャしているカップルを見ると「イチャついてんじゃねーよ!」とイラつくなどの共通点から派生して「たりていないこと」をネタにして12年間漫才をしていた。今年5月31日の解散ライブに特別映像を追加したライブビューイングがあるのが今日。リアルタイムで追ってはいなかったものの、公開前日にあったたりふたのこれまでの流れを辿った番組を視聴して映画館へ向かった。
 漫才は始まりからハイスピード。ふたりとも言葉の速度がえげつない。ざっくりとした流れは決めているんだろうけど、細かなセリフは全く決めていない様子。そしてそのざっくりした流れから若林さんが逸脱し、それに応えていく山里さんを若林さんが楽しんでいる。若林さんはこういう悪い(良い)楽しみ方をして山里さんの良さを引き出すし、それは山里さんがその悪ノリに応えられるという全信頼を置いているからだろう。オードリーの漫才がアシカショーなら(春日さんをアシカに喩えて申し訳ないが、アシカとは自分の魅力がとてもよくわかっている生き物だと思う)、たりふたは若林さんが色んな方向に投げるフリスビーを山里さんが全部キャッチする感じだ。
 オードリーのラジオでの若林さんは、ボケたいな〜と思いつつ春日さんが突っ込みやすいようにボケたり、面白くなるボケをしようとしているが(テレビではツッコミの仕事ばかりなのでボケられることを楽しんでいるとは思うけれど)、山里さんの前では驚くほど自由にボケる。「山ちゃんのツッコミは日本一」と若林さんが確信しているから、山里さんの前では好きなだけボケているのだと思う。そしてもっと驚くことに、見ているときは「若林さん自由にボケすぎやろ」と思うのだけれど、振り返ってみるとそれは全部山里さんが美味しくなるボケなのだ。本当にすごすぎる。
 中盤で最初の小ボケで使われたキャラが芯を食った発言をして、そこから展開が変わる。2人のここ数年の課題は、「結婚もして、MCの仕事も得て、側から見たら『たりている』存在になった自分たちの『たりなさ』をどうするか」というもので、そこに真摯に向き合う漫才へと移っていく。山里さんは蒼井優さんとの結婚を機に捨てようとした「自虐の竹槍」という武器で今後も戦っていく決意をする。若林さんは「たりている人」になろうとするけど、自身がMCの時に使う「人間力のマシンガン」は結局「モデルガンでしかない」と内省し、その「たりなさ」とずっと向かい合っていく覚悟をするのだ。
 そして2人は言葉を合わせて「あー、たりなくてよかった」と言って、漫才を締めくくった。
 2人は(特に若林さんは)「生き様芸人」と言われることが多いが、まさに生きていく上での葛藤や苦悩を全てさらけ出したドキュメンタリーであり、彼らが「たりなさ」を12年間かけて肯定する過程を見せてもらった、というような超大作であった。
 そして漫才が終わってからCreepy Nutsの2人が登場。2人はたりふたのファンで、彼らも自身の「たりなさ」をバネに音楽活動を行ってきた。「たりなさ」をもとに漫才をしてきた2人が、音楽を志す「たりないふたり」に影響を与え、そしてその2人がまだ見ぬ「たりないふたり」を生み出す……という未来を感じさせるエンディングだった。
 たりている人のように見せるのではなく、たりない部分を認めて生きていくこと。苦しくて苦しくて仕方がないかもしれないけれど、でもとてもかっこいいと思った。そうありたいな。

2021年12月14日(火) 盤面の宇宙を共有した2人

 たまたまつけていたNHKスペシャルが面白くて見入ってしまう。将棋の藤井四冠が、将棋界で最高と言われる「竜王」の称号を得た竜王戦のドキュメンタリーだった。
 その竜王戦の相手は豊島竜王だった。勝率8割を誇る藤井さんが「超えられない壁」と言うのが豊島さんであり、それほどの強敵であった。
 竜王戦は、先に4局勝った方が勝ちとなる。結果だけ見ると藤井さんの4局ストレート勝ちだったのだけど、全ての局に詰まった物語を一つ一つ紐解いてくれる番組だった。
 第1局、藤井さんは攻めの姿勢で進んでいく。それに豊島さんがうまく対応し、藤井さんの駒の動きの幅を狭めていく。しかし藤井さんは決して焦らず、勝機が来るのをじっと待った。相手が勝ち急いで手を間違えたときに、そこを見逃さずに捉える。その「勝機を待つ」というのは豊島さんから学んだ術だと言う。
 藤井さんの師匠である杉本さんは「藤井さんは豊島さんと対戦して強くなっていった」と語る。将棋は相手がいなければ対局できない。強い相手がいてこそ強くなる、と。
 第3局、見守る棋士もどちらが優勢かわからない状況で、藤井さんは禁じ手(3一銀、2二角)を打つ。その手は「強い駒なのにそこに持っていったら力が発揮されない」というものらしく「この手を打ったらプロになれないと師匠だったら誰しもが思う」とまで言われる手で、解説をもって「この手は私には解説できません」と言わしめた手だった。しかし藤井さんとしては「自分の中では自然な選択肢としてあった。最善かはわからないが、選ばない手ではなかった」としており、実は豊島さんも浮かんでいた手だったそうだ。そして見事にその手によって豊島さんの王は動けなくなり、藤井さんが勝利する。
 ここで、豊島さんという人物が描かれる。豊島さんは9歳のときに史上最年少で奨励会(プロ棋士養成機関)し、将来を嘱望されつつも、タイトルをとるのにプロ入りして11年かかったという苦労人だ。プロ入り後は将棋AIをいち早く導入。棋士の勉強会には参加せず、「孤高の棋士」と言われた人だ。タイトルを取るのにも苦労したため「そんなに長く戦いたいと思っていなかった」が、藤井さんの登場によって「彼がいるからやっぱり戦いたい」と思うようになったと言う(これは余談だが、豊島さんの話し方や目の動き方が川谷絵音くんにとても似ている。共通点はなんなんだろうな)。豊島さんは豊島さんで、藤井さんから強く刺激を受けていた。
 そして第4局。両者互角のまま藤井さんが長考を重ね、藤井さんの残り時間が9分に。豊島さんがすぐに返して藤井さんに考える時間を与えない、という実践的な戦法もあるものの、豊島さんは2つの選択肢で長考する。五5同銀か、三5桂か。豊島さんはすぐに返して考える時間を作らないという手を使わず、「自分の納得する手を打つために時間を使いたかった」と言う。その時間に、藤井さんは三5桂になったら13手先に勝機があることに気がついた(すごすぎる)。99分の長考の末、豊島さんが打ったのは三5桂。そして藤井さんが攻め上げ、10手先に詰む形まで追い詰める。一般的には相手が手を間違える可能性があるためもう少し打つそうだが、豊島さんは藤井さんを信頼していたので「詰みまで戦うのは良くない」と思いここで投了した。盤面に対する豊島さんのその美学に胸を打たれる。
 藤井さんも豊島さんも、この盤面を通じて「勝負を気にせずに、良い時間を共有できたこと」が嬉しかったと言う。そして両者ともに、対局後も「あのとき豊島さんが五5同銀を打っていたらどうなっていただろう」と何度も考えたと言う。杉本さんは、「3通り手が浮かんでも打てるのは1手。打たなかった手を想像できるのは、対局する当人だけであり、藤井さんはそれを想像する時間(盤面の宇宙に没入する時間)を楽しんでいる」と言う。きっと豊島さんも楽しんでいるのだろう。なんて素敵な。彼らの目が何を見ているのか、私たちは簡単に覗くことはできないということか。静寂か、喧騒か。赤か、青か。光か、闇か。あの第4局で、2人は一体どんな世界を見ていたのだろうか。
 そしてこのドキュメンタリーは、「ライバルがお互いを高め合って強くなった」というありがちなストーリーに落ち着けようとはせず、藤井さんと豊島さんの将棋を通じた他にない関係性を丁寧に描き出していることに、2人への敬意を感じた。ハイレベルな2人だけが見ている世界を将棋の全くわからない視聴者にも少しだけ見せてくれて、将棋の奥深さを伝えてくれるとても良い作品だった。

2021年12月15日(水) 自分の変化

 今日も水曜会。参加者はいつもの3人と準レギュラーの計4人。今日は対人に関するトピックが多かった印象。しかも対人について「問題化」するスタンスが二分していたのが面白かった。
 具体的には「昔仲よかった子と話したらなんか合わなくて嫌だなってなることありません?」という話と、「自己顕示欲強めのトークをされたらどうすれば良いのか」という話。それぞれの話を始めた2人は「わかる〜」と意気投合していたけれど、私ともう1人はそもそもそれらを問題化しない感じ。
 もしかして私って他人に対して興味がないのか?でも昔はこんな風に思っていた気がする。何が変わったんだろう……って思ったら、ちょうどそこに「年を重ねることに変化ってあるけど、その変化に気がついたトリガーってなんだった?」という話に。考えてもわからなくてその場で答えは出せず、帰り道もずっと考えていたけれど、答えは出ていない。
 でも、何が変わったのかは少しだけわかる気がする。時間に対する考え方と、他人の捉え方は大学2回生のときに変わった。
 時間については、一言で言えば急がなくなった。かつては予定を詰め込みたくて、できるだけたくさんのことをしたいと思っていた。だけど早稲田で出会った同級生たちは、自分の好きなことに時間をつぎ込み、何かに熱中している人が多かった。何も生産していないその時間は一見無駄なように見えたけれど、それは何かを磨いたり考えたりするには必要な時間で、そういう時間の使い方があることを知った。時間にケチケチしなくなったら、他人と過ごす時間もケチケチしなくなった。他人が私と過ごす時間をどのように使っても、気にならなくなった。例えば以前は他人の遅刻を許せなかったけれど、今では気にしない。
 他人の捉え方というのは、今見えている事象は氷山の一角でしかなく、その背後の理由を知ることができない中で何かの感情を持つことができないな、と思ったということ。例えば誰かが遅刻しても、その理由も心情もわからない中で苛立ちを覚えたり怒ったりはできない、というわけだ。つまりは「昔仲がよかった子と話が合わない」という事象は「相手のコンディションが悪かった」「自分の引き出し方が悪かった」「昔の話の盛り上がり方に期待しすぎた」のように様々な原因が考えられるし、「自己顕示欲強めのトーク」も「こういうことを話したいタイミングなんだな」くらいには思える。事象から感情を抱くのには、私は社会の多様性と複雑さを知りすぎてしまっている。「大人になる」ってこういうことなんだと思う。もうちょっと尖っていたいんだけどな。
 この変化に気づけたのっていつなんだろう。大きな変化だけれどなあ。自分を遡るのって、要所要所で考えていないと結構難しい。

2021年12月16日(木) 門出と開拓

 今日は尼崎のスパイスカレーのお店でバイト。オーナーと店長と5人のアルバイトで、JR尼崎にある店舗と阪神尼崎にある屋台の2店舗を回しているのだが、店長が今年いっぱいで辞めてしまうらしい。バイトは15時で上がりだが、店長が来る17時まで待つことにした。思えば店長と2ヶ月近く会っていなかった。
 久しぶりに会った店長は髭が伸びていて相変わらずよく喋った。4月から以前の職場(雀荘)の同僚とお店を出すから辞めるらしい。お店の場所は東梅田と南森町の間の西天満あたりだそう。方角が多すぎて全くわからない。「ランチもカフェもバーも全部やるでぇ!」なお店で、店長は「俺は夜の顔やからな!こんな顔昼間にお見せできへんわ!」って訳でバーを担当するらしい。楽しい人なので、新しいお店もきっと楽しいお店になるんだろう。
 そこそこに喋って福島へ。店長が辞めて大変になるだろうに、オーナーは福島にも屋台を出すみたいで、昨日からプレオープンしている。最初に「福島に屋台を出す」と聞いたときは東北の福島かと思ってえらいこっちゃと思ったけれど、尼崎から4駅隣の方の福島だった。ふらっと行ける場所でよかった。なんだかんだオーナーも4ヶ月ぶりくらい。
 オーナーとアルバイト2人で「とりあえずやってみて試行錯誤」という感じの営業スタイル。まだ18時半くらいなのにオーナーはすっかり真っ赤。呑んでんなあ。アルバイトは尼崎のルームメイトである友人と、昨日からここでバイトし始めたというマジシャンの青年。カレーを煮込んだりネットで何かを買ったり他の屋台に顔を出しているオーナーを横目に、アルバイト2人とだらだら喋る。カレーを食べてお酒を飲み、すっかり身体は温まる(カレーを食べていない2人は寒そうだったけど)。そろそろ人が増えて来たかな、というタイミングで切り上げて失礼する。
 いつも塾の面々かゼミ生くらいしか喋らないので、違う人と話して風通しをよくするのは大事だなあと思う。今年のM-1の見方とかカニの飼い方とかしか話の中身は覚えていないけれど、人と話して笑ってお酒を飲むのは、とても楽しいことなのだ。

2021年12月19日(日) M-1(ネタバレ注意)

 ついに待ちに待ったM-1の日。出場するわけでもないのに緊張する。用事があったため敗者復活戦を見ることはできなかったけれど、18:30から見られるように急いで尼崎のシェアハウスへ。3人でもつ鍋を囲みながら見る。
 見所はたくさんあったけれど、個人的には敗者復活でハライチが上がってきたのが一番嬉しかった。序盤に見せた岩井のまさかの引き出しに大爆笑。岩井が床を使うとは。一発目のその爆発が大きすぎたため、後半の細かいところがあまり受けなくて点数は伸び悩み、結果は9位。優勝はできなかったけれど、漫才をやったあとと暫定席から離れるときの岩井の笑顔がとてもすっきりとしていて、ハライチがやりたい漫才をできたんだろうなと思ってとても嬉しかった。
 ファイナルステージはどのコンビもすごく面白くて、錦鯉という圧倒的バカと正統派漫才のオズワルド、そして錦鯉寄りの中間のようなインディアンスという各ジャンルのトップ戦。錦鯉が優勝して雅紀さんが涙を流しているのを見てうるっときてしまう。雅紀さん曰く、優勝が決まって渡辺さんと抱き合ったときに耳元で「ありがとう」と言われて泣いてしまったらしい。かっこいいなあ。
 その後のGYAOの配信で、マヂカルラブリーの村上が「これで辞めれなくなる芸人が増えますね」と言っていた。M-1、恐ろしいや。

2021年12月20日(月) 辞めた芸人のその後

 昨日放送されたオードリーのオールナイトニッポンを聴く。オードリーと20代の頃仲が良かった、モンキーチャックというコンビがゲストだった。2人は11年前に芸人を辞めて、それぞれ社会人として活躍している。
 モンキーチャックは星飛雄馬とちゃごのコンビ。星飛雄馬は本名で、その名前を生かしたネタをやってエンタの神様にも出ていた。ちゃごは番組で東大受験を3年連続するようなインテリ芸人だった(確かに当時芸人が大学受験するのが流行っていた)。
 星飛雄馬は引退後、ツテで営業の仕事に。その話術で営業成績世界一になったこともあるとか(「星飛雄馬よりもすごいじゃないか」と突っ込まれていた)。取り扱っている商品が海外製なので必死に英語を勉強し、TOIECも200点近く点数をあげ、英語でネタを披露したりもしたそうだ(海外でも自虐ネタはウケるらしい)。今まで日本では「星飛雄馬」と名乗れば「お父さんは一徹なの?」などとほぼ必ず巨人の星トークになっていたが、海外だとそれが全くないため「本当に自分のことを見てもらえていると思った」と言っていたのが強く心に残った。
 ちゃごは塾講師となり、今では5つの教室を持っている。芸人を辞めて何をするか考えていたときに思い浮かんだのが、東大受験のときの家庭教師の存在だったそう。「今まで与えられてばかりの仕事だったけれど、何かを与えられる仕事をしたい」という思いで、教育(特に塾や家庭教師)に携わる仕事を片っ端からやってみて、今では経営者となっている。
 昨日M-1で優勝した錦鯉のように、芸人を続けた側の人間はストーリーが見えやすい。そちらにももちろん感動するけれど、辞めた側の人間の話は語られる機会がとても少ない(たまにそういうテレビ番組もあるけど)。だけど、当然ながら芸人を辞めても人生は続いていて、そこに芸人時代の経験が色濃く影響していることが印象的だった。
 最後に「若ちゃん、俺たち、もう終わっちゃったのかな?」「ばかやろう、まだ始まっちゃいねぇよ」と『キッズ・リターン』のやりとりを模して締めくくったのに感動してしまった。まだ始まっちゃいねぇんだ。

2021年12月21日(火) 左右対称

 毎年12月21日は、中学の同級生の土山さんのことを思い出す。土山さんは賢そうな美人で、誰に対してもよく喋る社交的な人だった。「私の誕生日、承久の乱なんよ。1221。覚えやすかろう?」と言うのを何度か聞いた。おかげで承久の乱の年号はすぐに覚えられた。
 土山さんの下の名前は京(みやこ)。左右対称ネームであり、誕生日まで左右対称な人だった。土山さんの偏りなく誰とも仲良くする性格は、その影響なのではないかと思っている。もしかしたら思い出フィルターかもしれないけれど。今頃土山さんは何をしているんだろう。中学卒業後の進路さえ知らない。
 話は変わって、私が担当している高校3年生の生徒が今日卒塾した。進路は9月頃に決まっていたが、今年いっぱいは続ける、と継続してくれていた。途中辞めたり戻ったりはあったものの、6年間通っていた子だった。大学では演劇を専攻するが、哲学や恋愛などにも興味があって、フロムの『愛するということ』を貸したこともある。おしゃべり好きの子で、以前は自分の身の回りの恋愛関係を多く話していた。私の社会学トークにも関心を示してくれて、最近で言えば「明日のハナコ」の上演を巡る問題は面白いトピックとなった。
 その子は苗字が左右対称ネーム。最近は演劇初心者の自分が大学に入って周囲の経験者に付いていけるかが不安みたいだけれど、あなたのその自分の考えを大切にする姿勢と、わからなかったら質問する積極性があればきっと大丈夫だよ、と心の中で思う。また会うのが楽しみだなあ。

2021年12月22日(水) 卒論提出とサカナクション

【卒論提出】
 卒論提出日。提出は12:15からで、印刷とファイリングも済んでいるのでただ出すだけなのだけど、起きてからずっとそわそわしている。本を読んでいても時間が気になって集中できないから、録画していたM-1の敗者復活戦を見る。個人的には金属バット、男性ブランコ、ヘンダーソン、からし蓮根あたりが好き。漫才が好きなんですよな(ハライチとアルピーは好きすぎて感情を込めずに見られないから別枠)。あと卒論を書いているときにDef Techをよく聴いていたので、ヨネダ2000のネタは笑ってしまった(けどあれはコントだな。ずらし方は好きだけど)。ゼミ生で「10:00になったら起床報告のLINEをする」と取り決めていたので、時間になるとゼミLINEがおはよう、で埋められる。
 昼頃に支度して大学へ。友達がいるPCコーナーへ行くと、卒論とともに事務室への書類も提出しなくてはならないと知り、「そんなん準備してねえぞ!!」と焦る。友人が余分に印刷してくれて事なきを得たが、その書類に就職先を書く欄があって、「全員就職すると思ってんじゃねえぞ!!」と思う。「就職なんてしません。」と書こうと思ったけれど、そん尖り具合で社会運動の研究をしている人間は大学当局から目をつけられかねないのでやめておく。事務室に目をつけられないというのは、やりたいことを実行するために大事なことだと大学4年間で学んできたはずだ。
 指定された教室に行くと、我らがゼミの先生が受理担当。「おはよう〜」とゆるっとした声で迎え入れられ無事に提出。学科の子たちに久しぶりに会える、と思って楽しみにしていたけれど、いざ来てみると全然顔と名前が一致しないし、よく考えたら別に話すこともないからそそくさと帰る。自分はそんなに社交的ではないのだ。
 帰り道、大学受験が終わったときの感覚を思い出した。重い荷物を肩から下ろした感覚。やりたいことがあっても優先できない時期があることを知っている今が、一番なんでもできる。

【サカナクション】
 卒論提出日にサカナクションのライブが大阪城ホールで開催されると知ったときは、ご褒美かと思ってすぐさまチケットを取った。サカナクションはコロナの流行り始めのときにチケットを取っていたツアーが中止になっておあずけを食らっていたので、会えることを心待ちにしていた。会うのは2年4ヶ月ぶりくらい(前会ったのはあいちトリエンナーレの暗闇ライブ以来だ!そんなに前か)。城ホールに来るのは2回目で、前もサカナクションに連れて来てもらったのだけど、今回は前よりもいい席だ。
 高校2年生のときに行った夏フェスの大トリのパフォーマンスを今でも忘れられない。夜の黒に緑の光が差し込んで、サカナクションが1つの空間を作っていた。一郎さんが両手をパーのまま親指と人差し指で三角を作って掲げる。同じポーズでみんなもステージに向けて両手を掲げる。宗教だった。そこに自分がいることが心地よかった。サカナクションが見せてくれる世界にいたいと思った。
 同じ年に行ったワンマンでも、音楽でこんなに勝手に身体が「踊る」ことを知った。席など決まっていないアリーナは自由で、何も気にせずに自由に踊れることに感激したのを覚えている。アンコールの「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」のかっこよさは忘れられない。クリープハイプやKANA-BOON、オーラル、ドロスあたりの四つ打ち邦ロックを聴き漁っていた私には、サカナクションの大人っぽさとお洒落さを兼ね備えつつも、間違いなく「ロックバンド」であることに惹かれていたのである。
 暗闇からサカナクションが登場する。1曲目は「multiple exposure」。ゆったりと聞かせる曲だ。遠くはあるけれども、一郎さんがそこで歌っていることに涙が出てきた。電車で言えば1両目と8両目くらいの距離だけど、一つひとつの音の揺れと熱が伝わってきた。さすが、こだわり抜かれた音響。
 ステージが3階立てのセットみたいになっていて、1階部分でサカナクションが演奏している。そして2階や3階を使って女の子が演技するのをリアルタイムでカメラがビジョンに映し出す。曲が途切れることなくストーリーが続いていくことを、女の子の演技が補完する(逆も然り)。時々音楽チームと演劇チームが交差しながら、ライブが盛り上がっていく。アルバムを出せそうなくらいの数の新曲をやってくれたのだけど、どうも意図してリリースしてなさそうな完成度の高さ。どのバンドにも「ライブでしかやらない幻の曲」はあるけれど、サブスク時代にライブの価値をあげようとしているのだろうか。初めて聴いてもガンガン乗れる曲しかないのでやっぱりライブでやる前提で作っているんだろう。サカナクションがライブにいかに力を入れているかがよくわかる。そして「目が明く藍色」の最後に一郎さんが伸ばした手を女の子が取って、ストーリーは終わる。上質な映画を観たような満足感。
 暗闇が明けると、3階のDJブースにサカナクションのメンバーが。音楽を作りながら、場を劇場からダンスクラブにしていく。どんどんぶち上げていって、会場のムードは最高潮に。
 いつの間にか5人は1階に戻って来ていて、そこからさらに容赦なく盛り上げていく。アンコール含めて2時間くらいのライブが多かったので、「まだやるの!?」と嬉しい悲鳴(結局3時間くらいやってくれた)。最近リリースされた「プラトー」から「アルクアラウンド」「アイデンティティ」「ショック!」「モス」「夜の踊り子」「新宝島」と全く手加減がない。私はアルクアラウンドあたりからリミッターが外れ、全身が解放された。音に身体が反応して踊る。もっと空間に溶けたかった。初めての感覚だった。一緒に歌いたかった。指定された席なんて邪魔だった。感染症流行前のアリーナが愛おしかった。
 でも、アンコールで一郎さんが「マスクをしていて、声を出せなくてもみんな楽しめたでしょ?」と言ってくれたとき、確かにそうだなと思った。「もっと溶けたい」と思うほどには「溶けられた」のだ。日常でそんなことそうそうない。
 アンコールで2曲歌ってから、一郎さんが丁寧に語ってくれた。作業して作業して、朝になって寝る日々。終わらなかったら徹夜する。そんな特殊な生活をする自分が「みんなに共感される音楽」を作ることのおかしさ。でもコロナで、みんなが同じように不安な夜を過ごしていて、それは自分も一緒だと思ったこと。リリースしてツアーして、というサイクルが壊された中で、音楽でできることを実験すると決めたこと。「変わらないまま変わり続ける」こと。かっこいい。この人と同時代に生きられることが嬉しかった。
 私ももっと突き詰めなくては。最高のライブ体験と、チームサカナクションのパワーをもらった日だった。 
 

 








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