世界の科学者よ、今こそ立ち上がれ

※このテキストはこないだ学会利用のお客様(科学者)にアドリブで解説したネタを焼直したものです。
あくまで科学者を弄るその場のネタです。

現在、さまざまな社会問題が取り沙汰されるなか、新しい科学技術は「倫理観」「哲学」によって否定されることが増えてきている。
これは大いに問題であり、今こそ全世界の科学者が立ち上がって、科学の進歩に見あった新たな「倫理観」「哲学」を発信してゆくべきなのである。

確かに高度に全ての物事が専門化されている時代。
科学と哲学が別の学問、とされれば、科学者と哲学者が別の人であるように世の中は変わっていったのであろう。
しかし、もともと哲学とは当時最新の科学とセットであり、科学の発展と共に進歩してゆくべきものだったはずである。
現に、ピタゴラス、ターレス、アリストテレスなどといったギリシャ哲学の大物に、科学者でもある、という歴史上の人物は多数いるし、その後に、西洋科学においてもガリレオやケプラーも、哲学者として知られている。

では何故、科学者は哲学と解離させられたか。
つまり、このガリレオの発見が、それまでの哲学、キリスト教の教えに反するものだったことが原因と考えられる。
ガリレオは、望遠鏡の発見により木星の衛星を研究し、そこから、キリスト教の教えである天動説が誤りであることを説いた。
これが赦されずに軟禁状態のまま最後を迎えた、とされるのだが、キリスト教から破門され、キリスト教はその新たな科学的発見を倫理観、哲学に組み込まない事を決定したのである。

つまり、この瞬間から、哲学は新たな発見を拒否し、新たなものを受け入れられない、「老害どもの小道具」に成り下がったのである。
新たな知見を得てその中でのあるべき姿を模索してきたはずの学問は、もはや新たな世代への足かせでしかなくなった。

それは、ちょうど「見えないもの」が見えるようになった時と一致する。
哲学は「目に見えないもの」に対しての考え方について「わからないから受け入れ拒否」という姿勢で固まってしまっているのだ。

この事は現代の科学の実用化に一番の足かせとなっている。
3年前の原発事故とて、つべこべ言わせずに新型の原子炉に切り替えられていたら防げていた事態でもあった。
科学の暴走、とそれを言うなら、400年の間、進歩を拒み足を止め、古くさい言説しかしてこなかった哲学者の側に責任はある。
今もなお、無形の恐怖を拒否し続けるのであれば、科学はその言説を断ち切るべきなのだ。

そのために、現在の科学に基づいた、新たな哲学、宗教が求められている。
400年の間に露見した矛盾を科学的に説明し、新たな考え方を提示する科学者として一線で活躍しうる哲学者の出現が待たれる。
それに対する科学的な考察が待たれる。 

実際にその渇望は噴出しはじめている。
エセ科学を取り入れた新宗教。
オウムだって研究者を厚遇した結果、高学歴が嵌まったとも言える。
メディアで活躍している、新たな考えだって科学の分野で認められてない言説を科学っぽく修飾してアハ体験。
アハハハ

だからこそ、いま待たれる科学的な哲学。
全世界の科学者は、倫理学哲学がいまや科学的に遅れた学問だと徹底的に立ち上がって打ちのめしていく時がやってきた。

そう、時は来ているのである。
ガリレオの裁判が誤りと認められたのが1992年で、今年で23年。
その功績をローマ法王が称えたのが木星の衛星発見400年を前にした2008年末で、そこからも6年が経過した。

今こそ、続いては新たな知見を取り入れてゆくことを拒んだ倫理学哲学をこじ開ける時である!

全世界の科学者よ、立ち上がれ!

さて、いつも通り投げ銭でもつけとくか。
この下に内容はないよう!

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