公募の推薦書って意味あるんだろうか
大学や研究機関の公募に応募する度に思っているんですけど,推薦書ってどれくらい意味があるんでしょうか.
応募者が推薦者にお願いして書いてもらうわけなので,基本的に応募者は応募者のことをよく書いてくれそうな人にお願いするわけで,応募者について良いことしか書いていないですよね.書かれていないことからその応募者の良くない点が推測できる,っていう機能は果たすかもしれませんけど,なんだか回りくどい.審査の際にどれくらい参考にされてるんでしょうか.
何より,推薦書を書く方の時間を奪いすぎるんじゃないかと思うわけです.
それって研究とはまったく異なる業務ですし.応募者が複数箇所に応募する場合は,たいていそれぞれの応募先で求められている条件は完全には一致しなくて書き直さないといけない部分が出てくるので,コピペで量産することも難しそうですし.
推薦書書きで失われてしまう生産的な時間ってどれくらいなんだろうとか思ってしまうわけです.
推薦書をお願いされる側もおそらく自分が応募者だった頃に上の方々にお願いをしてて,めぐりめぐって自分の番がきたから自分がお世話になった分だけ次の世代に貢献してあげよう,みたいな心情もあるかなと思うのですが,
誰も幸せにならないと思うんですよね,このシステム.
悪しき慣習にしか見えない.
そもそも,似た業界の人なら,選考委員の中に知っている人がいておかしくないですし,知人をたどればどんな応募者でも知っている人は出てきそうなので,そうしたツテから候補者について率直な意見を聞くことはそんなに難しくないんじゃないでしょうか.現状よく要求されるような推薦書という体裁を取らなくても,アポを取って軽めに意見を聞くだけで十分な気がします.応募者がお願いした人の意見より,何人かのツテを頼りにいくつかの方面から意見を聞くほうが情報の信頼性は上がりそう.最初から全員の推薦書を参考にしているとは思えないので,限られた候補者に対してならツテを探すのもそんなに大変でない気がしますし.そもそもよく知っているなら意見不要ってこともあっていいですし.そして,それなりに知人をあたっても知っている人が出てこないなら,その程度の知名度しかないということになるのではないかと.
もし自分が選考する側に回ることがあったら,現状のシステムが良いと思われる事情が見えてくるかもしれないのですが,現在の私から見える印象はこんな感じ,っていう覚え書きでした.
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