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古代日本は女系首長軍団の存在も大きかった⑦(草薙の剣とは何なのか)

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このシリーズの続きです!(久しぶりすぎやろw)過去の①~⑥はコチラ↓↓↓

前回の記事から話が少しそれますが・・・

結局草薙の剣ってなに?

熱田神宮にある草薙の剣は、新羅の僧に盗まれたり、皇居に行ったりしたことがあるけれど、結局、熱田神宮に奉納されていることになっています。

なんでかな~。。。

と、色々考えてみたりしたのですが、一番しっくりくるのは、熱田の剣(や三種の神器や十種のなんたらとか)は、実は物理的なものではなくて、エネルギー体として存在し、物理的な「剣」はただのレプリカというか、象徴するものとして表されているだけなのではないか?と、思いいたりました。(あくまで私の妄想ですw)

なぜ熱田なのか?は、今のところはハッキリとは分かりません。が、もしかしたら、エネルギー体を管理できるだけの何かが、熱田にしかない、なんてこともあったりして?と思ったりするのです(妄想が爆走しておりますw)。

もしくは、剣自体は物理的にあるけれど、何らかの高度な呪術が施されたりしていて、その呪術を管理する場所(土地)や人がどこにでもない、ような感じ?

誰でも、どこでも管理することができないような、そういう「呪術」または「呪術が施されている剣」とみると、何かしっくりきます。

ニシキトベらが倒されたキッカケになった高倉下(タカクラジ)

ニシキトベ(和歌山の一部の族をまとめていたと考えられている女性首長の一人)は、神武天皇がやってきたとき、毒気をはいて神武たちを劣勢に追いやったとあります。(記紀のどちらかで「熊の毒気でやられた」とあります。ニシキトベは「熊野地方」の方のようです)。

その際、もともと地元の人間だった(あるいは渡来系だけれども地元に根付いた人間だった)高倉下(タカクラジ)が、高天原からのメッセージか夢で、霊剣、フツノミタマが家にあると知り、そのフツノミタマを神武天皇に渡して神武側が盛り返し、熊をやっつけた(ニシキトベ側をやっつけた)そうです。

『古事記』、『日本書紀』によれば、神武天皇とその軍は東征中、熊野で熊または悪神の毒気により倒れた。しかし、高倉下が剣をもたらすと覚醒したという。高倉下がこの剣を入手した経緯は次のようなものである。高倉下の夢の中で、天照大御神と高木神が、葦原中国が騒がしいので建御雷神を遣わそうとしたところ、建御雷神は「自分がいかなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、高倉下に「この剣を高倉下の倉に落とし入れることにしよう。お前は朝目覚めたら、天津神の御子に献上しろ」と言った。そこで高倉下が目覚めて倉を調べたところ、はたして本当に倉の中に剣が置いてあったため、それを献上したのである。この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られている。(ウィキペディアより

その高倉下(タカクラジ)。見方によっては「拷問された可能性があるのではないか?」という説もあります。(出雲の国譲りも、実は事代主さんとかは平穏に身を引いたのではなく、幽閉された、という説も見かけます)。

霊剣、フツノミタマ

は、おそらく、霊術(呪術のようなの)が施された剣。または、霊術そのものではないかと思います。ニシキトベ側の霊術が分かる身のものが、それを解くものを教えざるを得なかった、あるいはそうした方がいいと考え、解くことになったのだろうと思います。

それにしても、フツノミタマが後々、穂積・物部系の方が関わり、石上神宮にあるのが、興味深いです。(石上神宮の別名が「石」が付くものばかりだし、「布留」とか「布都」とかがすごく祝詞っぽい。やはり何か霊術を施したものなのだろうなぁ・・・)

縄文時代はきっと石で何かしていただろうし(ストーンサークルなど)、探るときっと面白そう・・・!!

高座結御子神社

今回、熱田神宮に参拝し、ご祈祷もしてもらったのですが、終わって持ち帰りするものの中に熱田神宮のパンフレットがありました。

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実は境外摂社で「高座結御子神社」という神社があり、なんとご祭神が

高倉下命(たかくらじのみこと)

なのです!(知らなかった!)

どうして熱田神宮に関連するお社でご祭神が高倉下(たかくらじ)なのか。ちょっと分かりませんが・・・「子育ての神さま」とあるので、もしかしたら後世に「命を繋いだ」という意味では、子育ての神さまと言えるかもしれません。(高倉下(たかくらじ)は生き残り、中央政権から左遷のような形で越後に移ったあとは、地域開発に尽力したそうです。それも、「子育ての神」と呼ばれる所以かもしれませんね。また、拷問されたから・・という理由で大事な情報を征伐側に与えていたとしたら、今までの縁のあるところから離れたところに住みたいと思うかも、しれません)。

熱田さんと高倉下(たかくらじ)さん

両者に感じるのはどちらも

中央(征伐側)と(自分の命を絶たずに)つながった

という点です。ですがですが、真敷刀俾(マシキトベ)さんのお社の雰囲気や、熱田神宮全体の雰囲気なんかを感じる限り、元々地元の豪族だった方たちの気高さのようなものも、私は力強く感じます。

内側に大切なものを持ちながら、相反するようなものを統合する道を探るー

そういうメッセージも、今回感じました。

歴代の権力者たちがこぞってあやかりたいと足を延ばした熱田神宮。

きっと、ここにしかない何かが、あるのでしょうね!!皆さんも、もし熱田さんに行かれることがありましたら、メインのご祭神さまたちの他にも縄文にも思いを馳せてみてくださいませ~~✨

私をここまで導いてくれた全てのご先祖さまたちとご縁に感謝です🌈

次の続き記事は未定です!(笑)次は熊野に赴いてみたくて、行った日記でも書くかもしれませんw。


オススメのトベ系の本。


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