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月は欠損⑥:月(他人軸)→太陽(自分軸)→貢献という霊性の成長

月星座とその欠損の説明を、時々しています(対人で)。その中で、自分の中ではやんわりと分かっていたけど、最近しっかりと言語化できたものがあります。

月は光を反射する

月は自ら輝くのではなく、光を反射します。つまり、まるで鏡のように映し出す(光を光としてそのまま反射)。

それはまるで、太陽のステージを生きる前のわたしではないか!と思いました。「自分が生きたいように生きる」のではなく、自分がすることで、やることで、「映し出された世界」「映し出された他人」を見て、喜怒哀楽する。

まさに月。

他人の価値観やモノサシを採用して、他人軸で生きることは、いわば、「月のステージ」。

人生のある地点で「何か違う」と思ったとき、それは、太陽のステージに生き始めることになります。が・・・

月の癒しのワンクッション

すんなり、生きたい人生に行くと思いきや・・・たいていの人が「月の要素の癒し」から入ることが多いかと・・

というのは、私自身が

やりたいことをやろう!
生きたいように生きよう!

と、決めたあとに、まるで自分らしく生きているようで「月の要素ばかりを満たそうとしていた」

というのに、マドモアゼル愛先生の「月の欠損」のお話を知って、気づいたのです。

月の欠損ベースでの生き方だと、とってもわかりにくいけれども、まだ「月の反射を見て生きている」状態。

なぜなら、

わたしはこんなのが好きだ!(と思い込んでいる)
わたしはこういう人なんだ!(と証明しようとする)

価値観や思い込みから、確かめようとする、証明しようとする、が働いて、結局、太陽のような

「ただ、してみたい」

ではなく、

「証明することで得られる他人からの評価」

を深いところで求めているのです。なのでここは、まだ月のステージの後半のようなもの。

月からの幻想から徐々に脱していくと、太陽のステージになる。

太陽のステージ

ここで本来の自分軸になります。評価をもとめず、証明しようとせず、ただただ

自分で在る。

私の例でいうなら、月水瓶座(や月1ハウス)が無意識に働いている場合、「こういう自分であれるはずだ」とかがメインの動機でしたが、太陽蠍座など、月以外の天体がうまく働いているときは

人からの目線など気にせず、ただそれをする

という感じなのです。

深めようと思っていないのに、自然に深めている(太陽蠍)
真実を見極めようと思っていないのに、見極めていることがある(太陽蠍)

などなど・・・故意性がない、といえばいいのかな?

月が原動力だと、奥深くにどっか「故意性」があると思います。喜びを得たい、楽しい気分になりたい、ポジティブな気分でありたい(月の要素はみんなたいてい好きだから、こうなるのはしょうがないw。そうなってもいいが、気づくのが大事)、あるいは、どこか自分を証明しようとする部分がある。

「そうなってもいいけれど、気づくのが大事」というのは、私がそう感じているだけなのですが、なぜかというと、

気づいているか、いないか?で周波数が違う

からです。気づいていない(無意識)なのか、気づいているか(顕在意識に持ち上げられているか)で、自分の時間やエネルギーの使い方が

自分で舵取りをしている

状態になる。

そして、無意識を顕在意識に持ち上げられている、というのは、ある意味、第3の目の活性化につながるとも、思っています。

すべてに良い、悪いはなく
正解、不正解もない

そこから、自分が選び取っていく(舵取りは自分)

そして、その第3の目の活性化が、いわゆる「覚醒」につながっていく。つまり、太陽(や他の天体との調和)で生きる本来の自分になる。

太陽のステージが進んでくると、月のステージにいたときのような他人の目線の気になり方がなくなり、またエネルギーの枯渇が減るので、自分のエネルギーが溢れてき始める。世界の優しさを感じ、自分が世界の一部だと感じ、その調和を楽しみ始められる。

そうすると、人は世界に自分を差し出し始める。貢献のステージになる。

周波数に良い、悪いはないと思うのですが、分かりやすいように表現すると、以前海外の動画で「周波数のレベル分け」のようなものを見たときに、一番トップは「貢献や啓蒙」でした。楽しんでいる、とかよりも。

つまり、愛を世界に分け与えられるのですね。自分を枯渇させることなく。時々、スピリチュアル好きな方で「愛溢れる自分でいよう」とする方がいますが、月のステージでそれをしても結果的にはエネルギーが枯渇するだけです。

まずは他人の目線や月の幻想を認識し、地図上の自分の位置を認識する。(人生の霊性の成長の地図で自分がどこにいるのか?の確認。これが分からなければ動けない。地図の中で自分がどこにいるのか分からないのに動く人が居ないように)。

どこに居るのがすごいとか、先に進んでいるのが良いとか、全くないのです。自分の人生なのだから。

自分の今に集中する。それを毎瞬する。
できてなかったときは、それに気づけばいいだけ。それがダメなんてない。

ただ、自分の人生なんだから。
比べるものなんてないのです。

私は20代のころは、ダンスやヨガが好きで、でも一人ですることは続かず、レッスンに通っていました。でも今は、通うことができなくなった。若いころは周りと比べながら切磋琢磨することで、成長するのを楽しんでいたのです(あくまで私の場合ですw)。

でも今は、自分のことに集中するのが真理だ、と気づいてしまい、ヨガは家で動画を見ながらするので十分になってしまった。上手くできるとか、どんなポーズまでできるとか、全く興味がなくなってしまいました。

ただただ

瞬間瞬間に、自分の身体のどこにどんな感覚が走っているのか

それだけだから。自分で自分の内側に意識を向けるだけだから。

月の欠損のお話は、最初は「憑きものを祓ってくれた偉大な説」として私に存在しましたが、今は「霊性の成長の一部」としてもとても大事にしたい解釈だと思っています。

まとめ

他人軸(親含めた他人のモノサシとかで生きる)前半

他人軸後半~自分軸前半。月のステージ。(自分軸で生きよう!と自分を生き始めると月が活きだす。月は癒しや楽しみや喜びを与えてくれる)エネルギー枯れ(気枯れ)がだいぶん減ってくる

自分軸後半(月の憑きをはじめとする、潜在意識の主だった思い込みがなくなり始める)エネルギー枯れ(気枯れ)が圧倒的になくなる。自分の内側への気づきが深くなるごとに、また、思い込みが減っていることでジャッジメントが激減しており、「良い・悪い」「正解・不正解」の見方がなくなってくる

おこることが「ただそうある」という見方になり、第3の目が活性化

直観・気づきが溢れる&気枯れがないのでエネルギーが溢れて貢献のステージへ。

まだまだ検証中ですが、メモ的に。

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