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亀に乗ったお墓

 このお墓は、1615年(慶長20年)の大阪夏の陣で、徳川方の武将として木村重成率いる豊臣方の軍勢と戦い没した山口重信の墓です。
 そう言う昔の武将にあまり興味がない私は、この前を通ってもさらりと眺めるだけでほぼスルーして来たのですが、藤井直正氏が書いた「郷土史のたのしみ」という本でこの墓碑が「亀砆(きふ)」と言う亀に似た贔屓(ひいき)と言う伝説上の動物の上に乗ったものであることを知り、改めて観に来ました。

 この墓碑は東大阪市若江南町の第二寝屋川沿いの若江南墓地内に有ります。


河内名所図会(1801)に描かれた墓碑

 この墓碑が弟の弘隆によって建てられたのは1647年(正保4年)。
 今、第二寝屋川のちょうど向かいあたりには敵同士だった木村重成の墓が有ります。

木村重成の墓


 こちらは1764年(宝暦14年)に重成の首を落とした安藤長三郎の子孫が建立したもので、元は今の場所から50m東に有ったのを、昭和42年の第二寝屋川の開削のためにこの場所に移動したとの事です。

「贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つで、その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。」(Wikipediaより)


 で、この亀砆に乗った石碑、元は中国の南北時代(5〜6世紀)から作られた形式だそうですが、日本で作られたのは江戸時代になってからで、主に顕彰碑と大名家の墓が多いとか。

墓碑が砂岩で出来ている為、劣化が激しくて碑文もボロボロになって落ちています。

 ところで墓碑の上に乗っている半円形の傘というか屋根もちょっと珍しい形式ですね。

同じようなものを東大阪市下六万寺の墓地でも見かけました。

 これは何か呼び名でもあるのでしょうか?

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