中小阪村と愛宕社
【彌榮神社から西の村内は、川の土砂の堆積作用で 土地が高く綿畑になっている所が多かったようですが、東 (居村部) は、土地が低かったので、東北、南に堀をつくり、土堤で囲み、ま たその内容に神社から少し東ま で、二重の堀をつくり、 洪水を防 ぐ村づくりをしていました。 このような村を環濠集落といいます。 愛宕社は村の東入口に位置し、他所からの火災及び盗難など、村への災害を防ぐ神としてまつられて います。】
(東大阪市の説明板より)
今その環濠や土堤の痕跡は、歩いて観察した限りでは全く確認出来ませんでした。
洪水から村を守るものとして築かれたなら、それは豊中市の「穂積村囲堤」の様なものだったのでしょうか?
明治時代の地図を見ると、今の万代から八戸の里公園に行く道と、旧楠根川沿いに土堤が残っていた様です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?