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ひとり旅のこと〜前編〜

少し長くなるが、昨年した人生初のひとり旅について記しておきたい。

きっかけは京都への"必要至急”の用事であった。院進を控え気になる大学の院試の過去問をのぞいていたところ、どうしても現地の大学事務室でしか過去問を入手することができない大学があることに気が付いた。たったそれだけのために、と今では思うのだが、その時の私にはどうにもこれを口実にしてひとり旅を実行したい思いがあった。

結局「交通費が勿体無いから」という理由をつけ京都の他に三重県の伊勢方面にも足を伸ばすことにし、京都で二泊、三日目に伊勢に移動しそこで二泊、合計四泊五日という初めてのひとり旅にしてはいささか大掛かりな計画が完成した。手帳には今でもその時の緻密な計画が残っている。しかしこの後、私はとんでもない苦難を伴って四泊五日のこの旅をなんとか乗り切ることになるのである。

いざ、京都へ

一日目、心配していた早起きも成功し、予定通りの新幹線に乗って無事京都へ到着した私はまず宿へ向かった。京都の町家を改造した趣ある家屋に漫画やヨギボーといった至れり尽くせりのサービスがついた破格のプランで非常に楽しみにしていたのだが、予想を裏切らない素晴らしい宿であった。手入れの行き届いた中庭、可愛いタイル張りの洗面所、そして建築好きには刺さる構造・・・そうした建物の細部にひとしきり感動した後、目的の過去問を手に入れるべく大学へと向かった。今回はもちろんこのために京都へ来ているため、もしここで暮らすことになった場合のシミュレーションも兼ねて大学の近くに宿を取っていた。

宿から大学は散歩にちょうど良い距離だ。ひとまず過去問の印刷を済ませた後は、吉田神社をはじめとするいくつかの寺社に寄り道しながら辺りを適当に歩いてみた。びっくりしたのは本当に人の姿が見当たらないことである。人のいない境内ではカラスが幅をきかせており、その中を進んでいくのはなかなか怖い。たまに人の気配を感じたりなどするとそれにもまたびくっとしてしまうほどであった。これまでの私の京都の経験には必ず人混みがあり、観光地としての京都の姿しか知らなかったために、これほどまでに人のいない京都で一人過ごす時間は、旅というよりも一人暮らしのはじめのような「生活をしにきた」という独特の感覚を強く私に与えた。高台から見た盆地・京都の姿、本堂から続く坂を下りて鳥居を境界にするように途切れた険しい緑、狛犬の足元で眠る黒猫、傾斜地に密集する独特の民家の連なり、写真には残っていないものの今でもどれも頭に強い印象を残して離れない景色である。

その日の夜は近所の銭湯ついでに夜の鴨川を楽しんだ。行きはいつものようにイヤホンから音楽を聴いていたが、帰りに髪を乾かしながら橋を渡るときに聞こえた川の音に、行きもイヤホンなんてしなければよかった、と思った。思えばこの日が旅の幸せのピークだったかもしれない。

苦難のはじまり

二日目、大波乱の日である。この日には兼ねてから気になっていた京都の美術館をできる限り全部回るという無謀な計画が組まれていた。元から歩くことが好きだった私は、朝から30分ほどかけて徒歩で目的の美術館へ向かった。無事目的地に到着し展示を見始めた辺りから嫌な予感がし始める。あれ、この体調は貧血の予兆だ、と感じ始めたのである。低血糖か低血圧か、とにかく段々頭がぐるぐるしてきて意識はキャプションの文字列をなぞるだけ、焦りも相まって体が震えてくる。気が動転して、誰かに助けを求めるよりも人目につかずとにかく座れる場所として平静を装いながらなんとかトイレに逃げ込んだ。とりあえず貧血を収めようとしばらく座ってみるが、焦りと貧血は酷くなるばかり、少ない個室に長居もできない、とどんどん事態は悪化する。冷静になって考えれば施設の人に言って少し休ませてでも貰えばいいのだが、自分の元々の性格もあってそれはかなりハードルの高いことだった。このままトイレに篭っていても治らないと判断した私は、結局アプリの配車サービスでタクシーを呼び、死にそうになりながら雨の中なんとか宿へたどり着いたのであった。(この時のタクシー代は高かった・・・。)

しばらく横になって眠るととりあえずは体調が落ち着いたらしい。私の泊まった宿はゲストハウスであったので食事は自分で調達しなければならない。計画では湯葉の美味しいお店でちょっとお高めのご飯を頂く予定であったがそんな余裕はない。体調が落ち着いたと言えど、吐き気とうっすらとした貧血が残っており食欲もなかった。しかし何か食べなければ体力が落ちて更に体調は悪化する、なんとか布団から這い出て近くのコンビニへ向かう決心をした。

宿から出た私を襲ったのは、経験したことのない「湿気」であった。湿気の中でも昼間の雨上がり特有のあの湿気。通り雨というよりもスコールと呼ぶにふさわしかった。盆地の京都がジメジメしているというのは何となく知っていることだったが、私はこれほどまでの湿気を体験したことは後にも先にもない。サウナを含めてだ。かつて経験した雨季の東南アジア、それよりもひどい。この時に私ははっきりと「ああ、ここには住めないな」と思って京都の大学への進学を諦めた。文字どおりの「肌に合わない」という感覚を味わった。それほど私にとってこの時の京都は強烈なものだったのである。体調の悪さに加えてこの湿気、信号を立って待っている時間さえ辛かった。立ち止まると貧血の感覚に襲われるため、なるべく歩いていたかった。何とかしてコンビニでポカリとウイダー、そしてかろうじて食べられそうに見えたカット野菜などを購入して宿に戻ると、その日は気を紛らわすためにひたすら布団で宿の漫画を読んで眠りについた。

京都から伊勢へ

三日目、決断の日である。何の決断かというと、この旅を続けるか否かの決断である。一晩休めばよくなると思っていた体調も、よくなるどころか下手な食事のせいで朝からひどい。一人暮らしも一人旅の経験もない自分にとって孤独な状況での体調不良はかなり精神的にも来るものがあり、残りの宿代と交通費を犠牲にしてでも帰りたい気持ちがかなりあった。加えて京都から伊勢まではどう頑張っても三時間、山間部を経由する列車のためリタイアは許されない。伊勢まで持ちこたえられるか不安であった。結局チェックアウトギリギリまで布団で休んでからタクシーで京都駅まで向かい伊勢へと出発するのだが、この時の自分がどうして旅を続行する決断をしたのかは覚えていない。

出発前の不安に反して、伊勢への電車旅はなかなか良いものであった。奈良の山深い地域を経由する鈍行列車の車窓はいくら見ていても飽きない。電車に乗るとすぐ寝てしまう自分だが、結局3時間の乗車中一度も寝ることなく車窓の風景を楽しんでいた。機会があればもう一度乗りたいと思っている。

さて、伊勢とは言ったものの今回の宿は伊勢から少しだけ離れた二見浦というところである。夫婦岩で有名な場所であり、海沿いに泊まりたいという気持ちから二見浦の浜辺すぐそばの宿を予約した。体調の方は相変わらずであったが、貧血の感覚をごまかしながら何とか宿にたどり着くことができた。私はこの旅から帰ってからもしばらく体調を崩していたのだが、恐らく軽いパニック障害のような状態になっていたのだと思う。すぐに座って休める浜辺や宿周辺、そして電車に乗ってしまえば比較的体調は落ち着くものの、宿から大幅に離れる場所やすぐに座って休むことのできない場所では「体調を崩したらどうしよう」という不安から体調不良を催す、という状態になっていた。

そんなこんなで、この日は予定していた朝熊岳への参拝は諦め、宿のそばの二見浦と二見興玉神社をじっくり散歩することにした。曇り空の独特な明るさと砂浜に隣接する林の独特な暗さのコントラストが好きだ。千葉の泥っぽい砂浜と違って粒のあらい二見浦の浜はとても綺麗だった。水も深いところになると青さがわかるほどには澄んでいる。浜の彼方を見ると水平線には何もない、空と海の境界は曖昧だ。太陽が出ていないから空にも海面にも表情が生まれない。真昼の日差しと夕日という強い光を遮れるほどの厚い雲ではない、薄曇りの昼過ぎという数時間だけに許された景色だったように思う。その証拠に、日の入りの時間になると徐々にこの均衡は崩れて陳腐な夕焼けの眺めになってしまった。

この日に見た独特の色彩を私は忘れることができない。残った写真にうつされた色彩を見るだけでも十分すぎるほどに惚れ惚れするが、そうでなくても、あの日あの色の世界に包まれて、自分の肌や顔までがあの彩度の中にあったことを度々思い出すのである。

(後編へ続く)


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