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ひとり旅のこと〜後編〜

昨年のひとり旅に関する記録。後編は京都から伊勢へ移動して四日目以降の話です。

初めての伊勢

四日目、最終日がほとんど移動の予定で埋まっていることを考えると、丸一日を自由に使える最後の日である。この日は本来早起きをして二見浦の夫婦岩から登る日の出を見る予定だった。だが寝起きはしばらく体調が優れないことを考慮してこれは諦めることとし、伊勢まで来たのだから伊勢神宮へはなんとか参拝したいということで、お昼頃宿からバスに乗って伊勢神宮へ向かった。

バスを降りるとそこには大鳥居があり、その先に宇治橋というこれまた大きな木製の橋がかかっている。行ったことのある方は江戸東京博物館にある実物大復元の日本橋を想像してもらうとわかりやすいかもしれない。下を流れる五十鈴川は思ったよりも流れが早い。御手洗場と呼ばれる石畳の川辺が手水舎代わりになっており、参拝者は先ほど渡った五十鈴川の水で直接手を清めてから参拝へと向かう事になる。目指す正宮は最も奥にあり神苑となっている林の中を進んでいくのだが、これが涼しくて気持ちいい。ひんやりとした空気に心なしか体調も少し良くなった気がしてくる。砂利道を奥へと進んでいくとそこが伊勢神宮のメイン、正宮である。

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伊勢神宮はいつか訪れてみたいとずっと思っていた場所でもあり、少し緊張しながら参拝の列へと並んで順番を待つ。自分の前の人の参拝が終わり、ついに階段を昇りきって正宮の姿を真正面に見据えた時、自分の中に出てきたのは「何だか、すごく……斜めだな……」という感想だった。これは実際に行って見てもらえばわかると思うのだが、とにかく「すごく斜め」なのである!!参拝するところから見える砂利の地面が正宮からこちらへ向かってかなり急な傾斜を持っているために、迫ってくるように見える。

私自身は特定の宗教に強い信仰があるわけではないが、それでも過去の人が神仏といった超越的な存在をそこに見るのも無理はないと感じてしまうような対象に出会うことはある。例えば京都の東寺で仏像群を見たときの体験はそういった類のものだった。それなのに、日本における神社のトップと言っても差し支えはないであろう伊勢神宮の正宮参拝に際する感想が「すごく斜め」だとは、少し恥ずかしい気持ちになってしまった。

二度目の二見浦、賓日館

前日の二見浦での時間を気に入った私は、残りの滞在時間を二見浦で過ごすことにした。昨日浜辺に出たころにはもう日が傾き始めていたが今日はまだ日が高く、昨日と同じはずの景色もまた違って見える。二見興玉神社も連日二度目の参拝だ。曇り空の二見浦は不思議な落ち着きがあったが、きらきらと光を反射するこの日の波打ち際もまた綺麗であった。日が沈むのを座って見ながら夕食でも食べようと日没時間を調べていたものの、まだ時間がある。そんな時に通りがかったのが「賓日館」であった。私の泊まった宿周辺、二見浦には歴史的価値を持つような建造物を残した旅館が並んでいる。宿から二見興玉神社へ向かう途中にあるこの建物もそうした旅館であり宿泊者以外は入れないだろうと素通りしていたのだが、よく見るとこれは旅館ではなく一般公開された歴史的建造物であった。

元々伊勢神宮参拝者のために明治20年に建造された休憩・宿泊施設であり一般客に加えて皇族や要人が利用していたようで、現在では旅館としての役目を終え国指定の重要文化財として一般公開されている。建築物の好きな私にとってはまさに大好物である。門を入ってみると私以外に他の客の姿は無い。もう閉館30分前ですが…と受付のおばあ様に言われるも、すみません本当にすみません、とわざとらしいほどの謝罪で口数を増やす腰の低さで切り抜けた。

30分で全てを見終えなければならないため足早に館内を進みつつも、この時の私はかなり高揚していた。建物自体の魅力もそうだが、立地に加え、この日本家屋の造りでこれほど大きな規模を持つものに足を踏み入れたことがなかった。これまでに見た旧家などもやはり大きさには限度がある上に二階部分まで見られることは少ない。また、それ以上大きくなってくると時代的にもコンクリートの採用など洋風建築の要素が強くなってしまう。旅館という性格ならではの規模と様式、保存状態である。中庭や階段の配置、大広間の高い天井など、間取りや構造もやはり通常の住宅とは異なり非日常感がある。見学中もどこかずっとふわふわして浮ついた感じがしてしまっていた。

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それぞれの部屋に置かれた解説パネルは驚くほど詳細で、建築史でも勉強していないと気にならないような細かな構造まで専門用語の解説とともに説明されている。技法、部材の説明から意匠のこだわり、改修の経緯…ここで記憶に残って得た知識も少なくない。そして何より印象的だったのが室内装飾と建築意匠に関する記述であった。解説と実物を見比べる作業に夢中になるうちに、もしかしたら自分は「装飾」が好きなのかもしれないと気付き、これがのちに卒論をはじめとする自分の研究人生の指針になっていくことになる。そういった意味で賓日館との出会いは自分の人生のうちでも大きなターニングポイントだったのかもしれない。

一通り館内を周り終えて出口に向かう廊下には、なんと旅館時代に実際に使われていた食器類が「いかがですか」なんて粗末に書かれた紙と共に売られている。ちょうど翳り始めた広い座敷の静けさ、もう使われることのないたくさんの組みの食器たち、そこに往時の賑わいを幻視してしまったような気がして形容しがたい気持ちになった。「賓日館」という名はこの時の感傷にとても似合う。

賓日館を出て夕食を調達すると日没の30分前、日が沈むのを見るのにちょうどいい時間だ。先ほどまで綺麗にくすんだ青を見せていた空は段々と色付きはじめ、変化を追いきれない繊細なグラデーションを見せている。やはり昨日と比べて陽の映える空である。昨日には見えなかった向こうの山の稜線や建造物の影が美しい。曖昧だった空と海の境界は、今日はこんなにもはっきりとして恐ろしいほど真っ直ぐな水平線が見える。絵に描いたような雲の形と相まって、じっと見ていると遠近感の惜しい絵かコラージュのように見えてくる。

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浦には海へ向かって細く張り出した石垣の展望ゾーンがいくつかあり、そこから浜の方を振り返って波が打ち寄せる様をしばらくずっと眺めていた。よく考えてみると、浜から波がこちらへ来るのを見ることはあっても、海側から浜へ寄せていく波を見ることはあまりない。その時の波の姿の変化があまりにも美しく面白いためにじっと観察し続けてしまった。自分がイメージを作り出すタイプのアーティストやデザイナーなんかであればここからインスピレーションを得ただろうな、と思ったりもした。ふと足元に目をやってみると、石垣のうち波が当たって濡れた部分にだけ夕日が反射している。「濡れた岩肌」の語彙の使い処はここか、などと考えた。

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足にくすぐったさを感じて見てみるといつの間にかフナムシが登ってきていることに慌て、それほどまで自分がそこでじっとしていたことに気が付いた。フナムシは少しでも動く物の気配を感じると岩陰などに隠れてしまう。気が付くとすっかり日は沈みきってあたりが暗くなり始め、波も高くなってきていた。二見浦を十分すぎるほど満喫して、この日は早めに眠りについた。

帰路

最終日、東京へ帰らねばならない。実はこの日は伊勢湾フェリーを使って鳥羽から愛知県の伊良湖まで行き、豊橋から新幹線に乗って東京へと帰る予定であった。フェリー乗り場周辺の散歩、伊良湖から豊橋までのバス旅も含めてこの旅の一番の楽しみでもあったのだが、朝早く出なければならないこと、船旅を乗り切れるか不安であったことなどから泣く泣くこれを諦め電車で帰ることとした。事前に取った新幹線の乗車駅は豊橋、一度名古屋に出てさらに移動しなければならない。幸い宿の最寄りの二見浦駅から名古屋までは快速みえが走っており一本でたどり着くことができる。人のまばらな車内ではボックス席は独占状態で、旅の疲れかこの路線では車窓を楽しむ間も無くひたすら眠って名古屋に着いた。

さて名古屋駅。新幹線の時間までには少し余裕があり、豊橋よりも名古屋で時間を潰した方がよかろうと改札を出て初めての名古屋を散策してみることにする。だが駅から離れるには時間が無く、かといって駅周辺にめぼしい施設はない。結局駅地下のコンパルという喫茶店に入ることにした。出てきたココアには美味しそうな生クリームが乗っている。豊橋行きの予定列車まではあと1時間ちょっと、喫茶店にしては少し長めの滞在をどう過ごそうかと考えながらゆっくりココアを飲んでいると、あることに気が付いた。列車の発車時刻を1時間間違えていたのである。1時間以上あると思っていた猶予は実際には6分、ほとんど飲めていないココアに後ろ髪を引かれながらも急いで会計を済ませなんとか予定の列車に滑り込んだ。このタイミングで気付いていなければ新幹線に乗り遅れるところであった。

このあとは特に問題も無く豊橋で新幹線に乗り換え、無事東京駅から帰宅した。最寄り駅で親の迎えの車を見た時になんとも言えず安堵したのを覚えている。その足で親と地元の公園へ行き、散歩しながら特に何もなかったように旅のことを少し話したが、内心はいつもの場所に帰ってきたことにかなりの嬉しさを感じていた。結果的に振り返って良い旅ではあったものの、体調を崩した二日目からずっと「早く帰りたい」の気持ちがあったことも事実だった。一人暮らしをしたこともない自分にとって、初めてのひとり旅は実家と親の安心感を確認したところで幕を閉じた。

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旅行の日から大分経ったが、思いの外長編の記録になってしまった。
伊勢に行く予定のある方がいれば、ぜひ二見浦への滞在はおすすめしたい。

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