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おすそ分け

本などを読んだときに自分が惹かれた文章を集めている、いわば言葉の宝石箱のようなノートがあるのですが、その中からいくつかをここにおすそ分けします。

森英恵は古代においてそうだったように、最高に洗練された、微妙な彩色を施したビーズと刺繍を現代の服飾の語彙として付け加えた。
リチャード・マーティン、ハロルド・コーダ「現代ファッションとジャポニスム」上垣外憲一訳
ー『モードのジャポニスム』という展覧会図録に収録された論考から。ビーズと刺繍という技法を「現代の服飾の語彙」とするこの表現を学術的文章に見て衝撃を受けました。
シアタープロダクツ(THEATRE PRODUCTS)
「洋服があれば世界は劇場になる」というコンセプトのもと、2001年に設立。長野県生まれの武内昭(1976年~)と神奈川県生まれの森田美和(1979年~)がデザインを手がける。
『ファッション・イン・ジャパン』より
ーこちらも展覧会図録の解説から。良い靴は履き主を良い場所へ連れて行ってくれるというヨーロッパのことわざみたいな素敵なコンセプトです。
書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである。しかし多くのばあい、我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混同している。
ショーペンハウアー『読書について』
ー全人類は一度ショーペンハウアーにボコボコにされた方がいいと思います。
古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭におき、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇の中に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。つまり金蒔絵は明るい所でぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおりおりの風のおとずれのあることを教えて、そぞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったなら、蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、かそけく、ちらちらと伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』
ー蒔絵の漆器の効果を「夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。」と表現した最後の一文に嘆息。前後関係のために長く引用しました。さすが谷崎潤一郎と言いますか、ふとした一文がいちいち美しいので是非通して読んでもらいたい一編。この文章を読んでから、例えそこが無機質な明かりに晒された展示室であっても、一瞬で辺りにバァっと薄暗い空間が立ち現れ、翳りを含んだ煌めきや光の揺らぎを漆器や茶器にみるようになりました。
人を善くすることが出来るか知ら。そんな勇気は自分にはないが、おかねをより悪くしないことだけはできるかもしれない。
竹久夢二 日記 大正九年五月二十八日より
ー「おかね」とは当時夢二が想いを寄せていた女性・佐々木カ子ヨの呼び名。
 垣根
たゞお友達になつて遊びませうね。
お友達の垣根を越えないやうに
さうでないと
別れる時が辛いんですもの。
竹久夢二 『女学世界』大正八年十月号より
 求願
与えらえられぬことを恨むまい。
心からほんとに
すべてを捨てゝ
求めたことがあつたと言へるか。
竹久夢二 『夜の露台(改装版)』大正八年より
 越し方
不幸ではあつた。
だが幸福でなかつたと
どうして言へよう。
誰に言へよう。
竹久夢二 『夜の露台(改装版)』大正八年より
ー上の4つは石川桂子編『竹久夢二 乙女詩集・恋』から。初めて詩集というものを買って詩をまじまじと読んだきっかけの本。竹久夢二美術館のフライヤーに「垣根」の文章が引用されているのを見て、一気に惹かれて展示を見に行きました。
百合の花 わざと魔の手に折らせおきて 拾ひてだかむ 神のこころか
与謝野晶子『みだれ髪』
ー読了後に不思議と記憶に残っていた一句。
この書は、伝統色研究のひと区切りとして立てた、筆者の一里塚である。こうした塚を今後自身の研究の道しるべとして一つでも多く立ててゆきたいと希っている。
長崎盛輝『日本の傳統色 その色名と色調』
ー私もそうやって一里塚を立ててゆきたいものです。
 1954年10月27日
今のパリは天候がすこぶる悪く暗やみのパリとなる。しかしパリ情緒は身にしみて来た。しぐれようとでもいうのか。さあっと雨が降っては止み、時々雲の切れ間から太陽がさす。その瞬間はぬれた舗道が光ってみごとだ。良い場所でこんな瞬間にぶつかればしめたものだが、不幸にしてまだぶつからない。ここで良い写真をとるに相当ねばらなければだめなので、私のようなせっかちは我慢するのに一苦労する。気をながくしてパリの空気を身につけないといけないらしい。
木村伊兵衛 撮影日記より
ー奇しくも私の誕生日に近い日に書かれた言葉。戦後間もないヨーロッパ、特にフランス・パリをカラーで写した木村伊兵衛という写真家が残した撮影日記から。(『木村伊兵衛 パリ残像』収録。)全てのものが煌めいて、ミニチュアのおもちゃのジオラマのように見える雨上がりが大好きな自分には他人事と思えませんでした。
ぼく達はそこにねころんで なにもしゃべらず空をみていた
なにもしゃべらない なにも考えない 
するとにわかに天と地が逆転し ぼくは天を見おろすのだった
大島弓子「つるばらつるばら」
紅子さんによると パフェは思考力をマヒさせ失恋にはよいそうで
あたしたちは めいっぱい食べることにしました
大島弓子「毎日が夏休み」
ー友人が失恋する度に駅前のサンマルクでパフェを奢っていた高校時代のことを思い出します。
あの男といっしょにいるとき ちがっていたのは
全然不安も悲しみも感じなかったということだわ
それは「この人を失いたくない」という
切実な気持ちがなかったからなのね
それをあたしわかった時は遅かった
あたしはおろかにも
予感したことを 予感どおり
遂行してしまったのよ
大島弓子「毎日が夏休み」
1998年にね
大島弓子「恋はニュートンのリンゴ」
ー上の4つは母に薦められて読んだ大島弓子という人の漫画(作品集『つるばらつるばら』)から。自分かと思うほどに図星を突かれる文章を見つけて恐ろしくなります。
 林と思想
そら ね ごらん
むかふに霧にぬれてゐる
蕈のかたちのちひさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行つて
みんな
溶け込んでゐるのだよ
  ここいらはふきの花でいっぱいだ
宮沢賢治
 ためいき
  河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つている。
中原中也
ーこの二つの詩は特に理由があって選んだ訳ではなくて、好きな文体を示すための例です。「あすこ」とか「むかう」とか「だらう」みたいな表記が読んでいて一番しっくりくるというか、この位の時期の人の書く文章が一番自然な感じがするのです。現代の人が書く「ですます」も「であるだ」もなんだかわざとらしい演技的な感じがしてスッと入ってこないのですが、この表記は本人が話しているのをそのまま聴いているような、読んでいるようで声を聴いている感覚なのかもしれません。文語と口語の関係性が一番自然だった時期ということでしょうか。こういった詩を読んで意味を考えたり「ここが良い」とか考えることは全くなく、ただただ言葉が流れ込んでくるのが心地良いというだけです。だからどの詩を引用しても良かったのです。

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