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古書店にて

地元で典型的な古書店を一軒見つけた。神保町にあるようなこうした古書店は地元ではあまり見かけないと思っていたのだが、自分の行動範囲の中に一軒そうしたものがあるのを見つけた。

入り口を入ってすぐ横のスペースに全集や長編の書籍が巻を揃えた状態で括られているのがいくつもうず高く積まれている。私はその群の中に「日本の工芸」と書かれた背表紙の並びを捉えた。値札がわりの小さな裏紙には赤いペンで「800」と書かれてある。ゼロを一つ見間違えたのだと思った。全部で11巻に及ぶそれなりの規模の全集だったのである。

私が初めてこの店に足を運んだのは雨の強い日であった。おまけに人を待たせているので時間に余裕はない。この魅力的な本の束を見つけたのはそんな日であった。書籍の中身を見てみたかったが、人見知りな私はなんとなく無愛想な感じのする店主に声をかけることができず、かといって人を待たせている焦りの中でこの大仰な買い物をすぐに決断することもできなかった。

それからしばらくは私の頭の中で常にこの本の影がちらつき、11巻にわたる仰々しい全集を手に入れることは研究者への第一歩のような感じもして、早くこれを手に入れたいと機会を窺っていた。

さる日の夕方、突然思い立った私は外も暗くなりだした頃に家を出、例の古書店へと足を運ぶ。目的はただ一つ、あの大仰な書籍のセットを手に入れることであった。いつまでたっても地元の図書館も大学の図書館も再開しない状況の中、大学の課題を進めるのに必要だし、どうせいつかはこうした全集のようなものを買うのだから、と考えたのである。

結局私はこの書籍のセットを手に入れた。見間違いかと疑った値札の数字は、ちゃんとゼロが2つで合っていた。無愛想だと思っていた店主は実に優しい人であった。しかし私は彼のことを無愛想だと思い込んでいたから、わざわざ積んである大量の本の中からお目当の本の束を取り出すのにかけてもらう労苦を想像して面倒がられると思い、最初から「あの本の束を買いたいから取り出してくれ」と頼んでしまった。彼が優しい人だと知っていれば「購入を考えているから本の中身を見せて欲しい」と頼んでいただろう。本当はどんな本かを確認してから買いたかったのだ。

帰宅してすぐに本の紐をとき、うちの一冊を手にとって目次を眺めたときに私は嫌な予感がした。期待していた文字列がそこになかったのである。いやでも、もしかしたら...と本文にざっと目を通してみるが、予感が確信に変わっただけであった。私が日本の工芸史についての網羅的な全集だと思って買い求めたものは、現代の日本の工芸についてのシリーズものの刊行物だったのである。私の興味のあるのは学術的な工芸史の話であり、手に入れた書籍に書かれているようなことにはほとんど興味がない。はっきりいってしまえば今しがた手に入れてきたこれらはほとんどただの大荷物になってしまったのである。

今はとりあえず突如発生したこの大荷物について考えることをやめて本棚の横にそれらしく積んである。折角だから読んでみようかという気持ちと、それでも興味は湧かないという気持ちと、いやこれは最初から意味を持って買ったんだぞという風にこの間違いをなかったことにしたい気持ちである。まあ、このまま置いておいても害はないのだから良いか、と思っている。

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