「明るく」なる博物館

 私が幼少期から足繁く通っている博物館のうちに国立歴史民俗博物館、通称「歴博」という施設がある。先史・古代から現代までの5つの展示室に加え、民俗を合わせた合計6つの展示室を持つ非常に充実した博物館である。私が初めて歴博を訪れた時にはまだ現代の展示室は存在していなかったように、10年通ううちに各展示室はリニューアルを重ねその姿を変え続けている。今回は数年がかりのリニューアルを終えた先史・古代の展示室を見るために歴博を訪れて感じたことを残しておこうと思う。

リニューアルした展示室を見て

 先史・古代の展示室は最初の展示室であり、以前は壁にずらりと並んだブラウン管テレビの画面に生命の源としての海の映像が映し出され、最初はいつもそのトンネルのような空間を通って先に立っている細身の土偶にお目にかかるところから歴博が始まるのだった。しかしリニューアルした展示室に入ってみるとこの土偶がいない。寂しいなどとまでは思わないものの、「いない…」と思わず頭の中でつぶやいてしまった。
 その先の展示はあまりに以前の展示室の姿を留めていないので驚いた。まず展示室が明るい。私は幼少期考古学や古代史に興味があったのでこの展示室に一番興味があったのだが、客観的に見れば展示物そのものに色彩が少なく地味なように見える前半の展示室は印象として地味だったであろう。しかしリニューアルを経て当時の自然環境や作業風景を含んだ色鮮やかな模型が加わり、キャプション自体もカラフルになって非常に明るい展示室となった。先史・古代の展示室の次にある中世の展示室などは他の展示室に比べて最もリニューアルといった変化がない展示室であるが、先史・古代の展示室を見た後ではなおさら暗く見えてしまう。(もちろん、中世の展示室には他の展示室に比べて展示条件の厳しい素材の展示物が多くあり、照度を上げることが難しいので物理的に暗くなってしまうというのもある。)
 先史の先、古代の展示はテーマの方向性が以前よりも歴博独特のものになっていたように思う。「日本」という一つの括りで見るのではなく、当時は地域ごとに環境や文化が様々な様相を見せていたことや、半島や大陸との対外関係の中で日本が古代国家として成立していく過程が細かく取り上げられている。教科書では言及されないようなことやテーマとしては取り上げられることが少なくこれからの研究が期待されるようなことについても言及されているのは、歴博の実態が大学共同利用機関法人であり研究者を多数抱えていることも関係しているだろう。先日の投稿で紹介した『都はなぜ移るのか 遷都の古代史』の著者である仁藤敦史氏も歴博(総合研究大学院大学 文化学研究科 日本歴史研究専攻)で研究をしている教授であり、書籍の中で取り上げられていたトピックが展示の中でも取り上げられている。
 全体を通してみると個人的には沖ノ島のコーナーが興味深かった。民俗の展示室以外の展示においても民俗分野からの視点が鍵になっていることが随所で感じられる。

「明るく」なる博物館

 さて、タイトルの話をしよう。「明るく」なる博物館、と書いたが、これは私が近年の企画展や展示替え・リニューアルに伴う博物館常設展の変化を見て感じたことだ。
 具体的にどう明るくなったかということのうちに展示室が物理的に明るくなったことがまず一つある。基本的に博物館や美術館で展示されるような物は保存の観点から照度を厳しく制限されることが多く、そのために展示室は往々にして薄暗い空間になってしまう。今回の歴博のリニューアルで感じたのはそうした制限を受けない復元模型やジオラマ、複製が新しい展示の中に多く組み込まれており、これによって展示室を物理的に明るい空間にすることが可能になったのではないかということである。
 そしてもう一つが展示空間の構成やデザインが明るくなったということである。博物館や美術館の常設展示や企画展における「ディスプレイ」を請け負う業者がいることをご存知だろうか。丹青社や乃村工藝社といった例がある。施設の規模にもよるが、大きな展示や企画においては学芸員だけではなくこうしたディスプレイのプロが展示室という空間のデザインに関わっているのである。近年の大型の企画展などを見ていても、その展示にこうした企業が関わっているかどうかを確認することはできないものの展示を「見せる」ことに対してプロの手が入っていることは分かりやすい。嫌な言い方をすれば博物館や美術館の展示は年々「商業的」になってきているということである。博物館や美術館の展示といえばある程度説明の体をとってはいるものの、よく見てみれば専門用語が淡々と並ぶ、いってみれば初心者には優しくないのがその特徴だった。そのとっつきにくさが個人的には好きだったりもしたのだが、近年では専門性に対するとっつきにくさをなるべく無くすという方向に進んできているように思う。展示空間も単調にならないように視覚的に分かりやすい模型やデバイスを取り入れたり、配色やデザインに気を配った空間にするなどの工夫が多く見られる。

「明るく」なる博物館について思うこと

 博物館学芸員の資格を取得するために必要な博物館学関係の授業を踏まえても、こうした「明るく」なっていく博物館の動向は自然なものであると感じる。しかし一方で、以前の暗い展示室に思い出がある自分もいる。歴博の民俗の展示室は今回の先史・古代展示室に先駆けて2013年に全面的なリニューアルが行われている。以前の暗い展示室は幼かった私にとってかなり不気味なものであり、そのキャプションも抽象的な図に「ヤマ」「ムラ」といった言葉が添えられた難しいものであった。民俗がテーマであるので展示物も必然的に神や霊といった緊張感のあるもので、当時民俗分野の知識が乏しかった自分には深い理解ができず、その空間に対する印象だけが私の中に残った。今ならきっと理解して楽しめるのに、と悔しく思う。
 そんな展示室も今は「明るく」なって以前の暗い展示室の影は見当たらない。「民俗」といってまず思い浮かべる妖怪や死といったテーマを含みながらも展示の対象は生活習俗や職にまで広がり、純粋に楽しめる空間になった。こうして増えた展示テーマは非常に重要な観点であると思うし展示も充実したと感じるのだが、どうしてももう一度リニューアル前の展示室に行って、あの独特の空気の中で当時理解できなかった展示を見直して楽しみたいと思ってしまう。
 「明るく」なった展示は見やすく、分かりやすく、楽しい展示であると思うと同時に、どれも似通っているというような印象を受けることもある。もちろん細かく見ていけばどの展示も施設や企画ごとの観点があって独特なものを持っているのだが、全体として同じような展示にまとまっているように感じてしまう。前述の博物館学関係の授業において現在の博物館展示における改善点と今後の展示のあり方を考えさせられる課題があったが、教育機関としての門戸を広げるために展示分野に対する知識が乏しい人に展示を合わせた結果、知識のすでにある人が十分に展示を享受できなくなってしまうという事態は避けなければならないと常に私が考えていることである。また、展示空間を設計していく上でデザイン性は非常に重要だが、それを求めるあまりにかえって鑑賞の邪魔になっていることもある。実際、今回見た先史・古代の展示室ではそうした部分があった。博物館や美術館が持つ「展示」の特性(展示の持つ攻撃性、編集性について。後日書くかも。)についてはつい最近学ぶところがあったトピックでもあり、将来的に学芸員として展示空間を作ることを考えている自分にとって、展示のあり方については今後も注意深く考えていきたいところである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?