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ジョバンニの活字拾いとピンセット:ますむらひろしと宮沢賢治

ジョバンニといえば、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』である。今回は『銀河鉄道の夜』に出てくる活版所の章の描写について書きたいと思う。

きっかけは小石川にある印刷博物館の印刷工房ツアーに参加したことだった。元々は卒論で近世の出版物/文化を扱うために企画展の和書ルネサンスを目当てで訪問したのだが、ちょうど印刷工房ツアーも開催されていたので申し込んだのであった。

ツアーの中で最も印象的だったのは、やはり活字の並ぶ棚であった。実際に職人さんが使っている棚、との説明の通り、ツアー中にも職人と思しき黒いエプロンをかけた年配の男性が奥の部屋から出てきては何かを取り出して戻っていく。私の中での活版印刷といえば、ますむらひろしにより漫画化された『銀河鉄道の夜』シリーズと、それを原作としたアニメ映画「銀河鉄道の夜」における活版印刷所の描写であった。活版印刷では原稿を元に活字のパーツを組んで組版をするのだが、その工程で必要な活字をそれぞれの棚から拾って手元の小さな箱に集めていく作業が必要になる。これが活字拾いである。ジョバンニは印刷所でこの作業をして働いているようだった。ジョバンニが自分の背よりも高い棚に挟まれて、暗がりの中活字を拾っていく……印刷工房で目にした活字の棚はまさにそのイメージがそのまま現実に出てきたようなものであった。

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右にあるのが活字を組んだ版。それを印刷したものが左。

一方で、自分の中の想像と違っていたこともあった。広い印刷所の中には棚がいくつも並んでおり、職人たちは必要な活字を探し求めてこのいくつもある棚の中を歩き回らなければならないと思っていた。しかし、実際には一人分の作業するスペースは腕を広げたくらいの範囲に収まっており、棚の一面を左右で一人ずつ割り当てられる形で作業する方式であった。基本的にはこのスペースにある仮名と漢字で事足りるので歩きまわる必要はない。棚は列ごとにフォントとポイント(文字の大きさ)が異なり、職人は自分の割り振られた原稿に合致する棚の区画で作業する。たまに珍しい文字があればそういった登場率の低い文字が集められた棚にそれを取りにいくことになる。

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ここに写っている範囲がおおよそ一人分の区画

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ますむらひろしの描写の中で見ると区画が分かりやすい

一人分の区画の中での活字の配列も興味深かった。登場率の高い活字群が「よく出ていくから」ということで「大出張」と名付けられていたのがなんだか面白かった。その次によく出るものが「小出張」、そして「第二」と続く。郵便番号や二重マルといった記号類は点物としてまとめられている。袖と称された活字群は、漢数字の他に住所に用いられる漢字(県や丁目など)や単位を含むものであった。

それぞれの活字は鉛を中心とした金属でできており、柔らかいとのことだった。そのため活字の成型も容易で、ほんのひと作業でできてしまう。滑り台のように、出来上がった活字が機械横の傾斜から手元に落ちてくる。一方で、活字を成型するときの鋳型となる母型は機械を用いて手書きの文字をベースに手作業で作るものであり、印刷所によって独自のフォントを持つことからも、母型はかなり重要になるものであるようだった。

活字が柔らかいということは、成型が容易である一方で傷つきやすいということでもある。そのため、活字拾いにおいては柔らかい指の腹で活字を持つ必要があり、ピンセットなどの器具を用いることはないとの説明があった。ここで私が思い出したのが『銀河鉄道の夜』における描写である。どうしても私の記憶の中ではジョバンニがピンセットで活字拾いをしているイメージがあり、直接手で活字を拾うという説明はこれと矛盾する。ますむらひろし氏の宮沢賢治作品ビジュアル化における本文の検証の丁寧さについては十分に知っているつもりだったので、まさか彼がこの矛盾を知らないはずはあるまいと思い、帰宅してからそれぞれの作品を見返してみた。

まずは1985年公開のアニメ映画版「銀河鉄道の夜」である。こちらの描写では、ジョバンニは印刷工房での説明どおり手で直接活字を拾っていっている。一方で、2020年に出版されたますむら氏の漫画『銀河鉄道の夜』最新版である《四次稿編》では「小さなピンセットで まるで粟粒くらいの活字を 次から次へと拾いはじめました」との文字とともに、ジョバンニがピンセットでアルファベットの活字を器用に拾う様子が描かれている。一度は手で拾う形でビジュアル化した活字拾いを、のちになってピンセットを用いる描写に変更したのはなぜであろうか。

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ますむら氏が宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を漫画化したのは実は一度だけではない。それだけではなく、そもそも宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』自体が改稿を繰り返された作品であり、現在一般に読まれている『銀河鉄道の夜』の他に幾つかのバージョンが存在している。活字拾いの描写の違いは、漫画化にあたって典拠とした銀河鉄道の夜のバージョンの違いに起因していると思われる。

まず、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には第三次稿までの初期形と第四次稿の最終形が存在しており、現在一般に読まれているのは後者の最終形の方である。私の手元にある新潮文庫版『新編 銀河鉄道の夜』にも最終形が収録されている。初期形と最終形との違いには、章の追加・削除の他に、結末の違い、そして初期形にのみ登場するブルカニロ博士という人物の存在がある。

ピンセットの活字拾いの描写が出てくる『銀河鉄道の夜 四次稿編』は最終形・銀河鉄道の夜を典拠として漫画化された作品である。ここで、典拠となった最終形・銀河鉄道の夜における活字拾いの部分を下に引用してみる。

その人はしばらく棚をさがしてから、「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを渡しました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次へと拾いはじめました。

ピンセットの描写は、漫画化にあたってますむら氏が付与したものではなく、典拠となる宮沢賢治の文章の中にあるものだということがわかる。そもそもますむら氏の賢治作品漫画化においては、基本的に宮沢賢治の文章をそのまま漫画中の文字やセリフとして置いており、ますむら氏が独自で文章を足したり消したりすることは無い。実際、上に載せた該当部分の漫画のコマの文章も、宮沢賢治の文章からそのまま引用されているのがわかる。このことからも、ますむら氏は実際の活字拾いと宮沢賢治の描写との矛盾を知った上で、あくまで宮沢賢治の文章をビジュアル化するという点に拘ってジョバンニがピンセットで活字拾いをする様子を描いたのだと考える。この矛盾をそのまま描写することに対する抵抗がおそらくますむら氏の中にもあったであろうことは、活版印刷所の描写の中でジョバンニ以外の活字拾い職人の手にはピンセットが握られていないことからも推測できる。

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ピンセットを握っているのはジョバンニのみで、他の職人は曖昧な形で手で拾っているように見える。前に載せたコマでも他の職人の手にはピンセットが登場しない。

2020年の『銀河鉄道の夜 四次稿編』よりも前、1985年の「銀河鉄道の夜(映画)」の公開と同年、ますむら氏は『銀河鉄道の夜』[初期形]ブルカニロ博士篇との名前で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を漫画化している。ここでは「ブルカニロ博士」との言葉の通り、私の知らない初期形・銀河鉄道の夜がその典拠となっている。アニメ映画版とブルカニロ博士篇が同年であることを考えると、アニメ映画版の典拠は最終形完全準拠というよりも、初期形の存在も念頭に置かれていた可能性がある。

実は初期形では、ジョバンニの仕事について記した「二、活版所」の章が存在していない。この点からアニメ映画版の活字拾いの描写について考えると、初期形でそもそも存在しない活字拾いの描写については、最終形で出てくるピンセットの存在を無視して実際の活版印刷との矛盾を解消しても問題ないとますむら氏が考えたのかもしれない。

ますむら氏の賢治作品漫画化については、その検証の丁寧さと、既存の作品をビジュアル化する巧みさについて普段から思うところが数多くあり、語ると長くなってしまうのでこの辺りでやめてまた別に稿を用意したい。自分が美術史の人間でなかったら、宮沢賢治とますむらひろしの研究をしてみたかったと思う時がしばしばある。宮沢賢治の作品についてのあれこれも、そのうち一つの形にまとめたい。


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