小石川さんとの思い出

元・仙台市天文台の職員であられた小石川正弘さんが8月26日に亡くなられました。都合が合わず御葬儀などへの出席が叶わなかったので、追悼の意を込めて、小石川さんとの思い出をここで振り返ってみようと思います。

私が初めて小石川さんにお会いしたのは結構最近で、2007年9月のことでした。実は私は、移転リニューアルする仙台市天文台の最初の職員募集に応募していまして、書類審査は無事に通過し、この日が面接試験の日でした。で、試験が終わった後、当時は西公園にあった旧・仙台市天文台に伺い、投影を見て、その後、職員の方に御挨拶したときに対応してくださったのが小石川さんでした。
何を話したかはあまり覚えていないのですが、アポなしでいきなり訪ねてきた大学院生である私に、丁寧に対応してくださいました。そして、そこで”宿題”をいただいたのです。それは、新・仙台市天文台に設置される予定の口径1.3 m反射望遠鏡(ひとみ望遠鏡)でどんな観測研究ができるか、10テーマ考えておくように、というものでした。公開天文台として、ただ来館者に星を見てもらうだけでなく、しっかりサイエンスの研究をしていくべきだ、というのが小石川さんの考えだったのです。

その後、残念ながら採用試験には落ちてしまったのですが、奇遇にも指導教員であった渡部潤一さんがひとみ望遠鏡の仕様決定などに携わっていた関係で、渡部さんの名代(?)として私もオープン前の仙台市天文台に何度か足を運ぶことになりました。分光器の搬入やエンジニアリングファーストライトに立ち会ったわけですが、小石川さんは宿題のことを覚えていらして、天文台に伺うたびに進捗を訊かれたことを覚えています。

そうえいば、そんな最中に渡部さんや小石川さんと秋保温泉に行く機会がありました。折しもホームズ彗星がバーストした直後だったのですが、なんと小石川さんが露天風呂に双眼鏡を持ち込んだんですよね。で、湯に浸かりながらホームズ彗星を見ようと(笑)露天風呂に双眼鏡ってかなりアウトだと思うのですが、一台の双眼鏡を回してみんなでホームズ彗星を見ましたね。いや、湯気のせいであまりよくは見えなかったのですが、露天風呂で双眼鏡を覗いたのは後にも先にも唯一の経験でした(笑)

ひとみ望遠鏡の調整が終わると仙台市天文台に行く機会もなくなり、私の最初の就職先が兵庫県だったこともあって、小石川さんが在職中に仙台市天文台に行くことはできぬままでした。それでも、就職先が公開天文台だったこともあってJAPOS(日本公開天文台協会)の会合などでしばしば小石川さんにはお会いし(一時期、小石川さんはJAPOSの会長でもあった)、任期つきの嘱託職員だった私の次の就職先について非常に気にかけてくださいました。「(仙台市天文台に)落ちたのは、ほかにもっとふさわしい職場があるからだ。だからそれまでの辛抱だ」と励ましていただきましたし、今の職場への採用が決まったことを報告したときには、「地元で正規職として働けて、(仙台に)落ちて良かっただろう?」と笑いながらおっしゃっていたのを鮮明に覚えています。

小石川さんは私の父の2歳年下で、私にとっては文字通り業界の「お父さん」の一人でした。もっといろいろなお話をしたかったですが、私の不義理のせいでほとんど仙台に足を運べず、申し訳ありませんでした。もっと恩返しをしたかったのですが、突然の訃報に驚くばかりです。
これまで大変お世話になりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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