河原先生との思い出

長年、天文博物館五島プラネタリウム、神奈川県立青少年センター、かわさき宙と緑の科学館(川崎市青少年科学館)でプラネタリウムの投影に携わられていた河原郁夫さんが去る3月21日、ご逝去されました。→訃報

河原先生は天文博物館五島プラネタリウムの初代解説員のおひとりで、1957年以来、64年にわたってプラネタリウムの投影を続けてこられました。私が河原先生と出会ったのは2002年のこと。大学入学からほどなくして、川崎市青少年科学館でアルバイトを始めたときです。当時はほぼ毎週、土日曜日の最後の投影を担当されていたような記憶があります。投影の前後に先生にコーヒーを淹れるのがアルバイトに入ったときの日課でした。

生まれも育ちも川崎市という自分ですが、実家は幸区だったので、川崎市青少年科学館は幼いころのホームグラウンドではありませんでした(たぶん横浜こども科学館/現・はまぎん こども宇宙科学館の方がよく行ってた)。とはいえアルバイトを始めてからは月に何度も足を運んでいたわけで、これまでの人生で最も数多く観たのが河原先生の投影なのは間違いありません。「丸天井を仰いでください」とか「富士山のてっぺんに出かけてみましょう」とか、いろいろな台詞が耳に残っています。今の職場への採用が決まったことを報告しに行ったときにかけていただいた言葉は今でも忘れられません。投影について直接ご指導いただいたわけではありませんが、尊敬する大先輩であり、自分の師匠(と勝手に思っている)の一人(若宮崇令さん)の師匠でもありました。

実は亡くなる前日、かわさき宙と緑の科学館の「星空ゆうゆう散歩」の投影をされていました。コロナ禍のためにしばらく休止になっていて久しぶりの再会、ということで、運よく抽選に残り観に行くことができました。当日いただいたパンフレットには今回が最後の旨が書かれていましたが、投影の最後にはまた元気になって(お怪我をされていた)戻って来たいとおっしゃっていましたし、常々2035年の皆既日食を見たいとおっしゃっていたので、まさか本当に最後になるとは思っていませんでした。亡くなる前日までコンソールに立たれ、まさに生涯現役を貫かれました。

このご時世で御葬儀に列席することは叶いませんが、心より御冥福をお祈りいたします。

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