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ゴッホの見た星空(22) 番外編:大望遠鏡「リヴァイアサン」、昭和の日本に降臨!

ロス卿の望遠鏡「リヴァイアサン」

アイルランドの天文学者、ロス卿(本名はウイリアム・パーソンズで、第3代ロス伯爵)は口径72インチ(183 cm)の反射望遠鏡を製作した(図1)。望遠鏡の名前は「リヴァイアサン」。「怪物」という意味だ(旧約聖書の『ヨブ記』に出てくる巨大な海獣の名前)。当時としてはまさに怪物級の大きな反射望遠鏡だった。

note「ゴッホの見た星空(21)」では、ロス卿がこの望遠鏡を使ってM51のスケッチを残し、それが世間で話題となり、ゴッホの《星月夜》に繋がった話をした。

図1 ロス卿が製作した「リヴァイアサン」と呼ばれるニュートン式の反射望遠鏡。まるで巨大な大砲のように見える。 リヴァイアサンのイラスト https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・パーソンズ#/media/ファイル:BirrCastle_72in.jpg

「ナナヨン」

実は、日本に「リヴァイアサン」の兄弟がいる。それは国立天文台岡山天体物理観測所で50年以上の長きに渡り、活躍していた望遠鏡だ。口径74インチ(188 センチメートル)の反射望遠鏡である(図2)。この望遠鏡は口径にちなんで、「ナナヨン」と呼ばれでいた。「ナナジュウヨン」ではなく、数字をそのまま続けて「ナナヨン」としている。

ロス卿の望遠鏡「リヴァイアサン」より口径が 5 センチメートルだけ大きな反射望遠鏡だ。双子というか、口径で言えば、「リヴァイアサン」とは兄弟のような望遠鏡になる。

図2 国立天文台岡山天体物理観測所で活躍していた口径74インチ(188 センチメートル)の反射望遠鏡。この望遠鏡の架台はイギリス式と呼ばれる赤道儀である。愛称は「ナナヨン」。 http://www.oao.nao.ac.jp/oaoweb/wp-content/uploads/tel188.jpg 岡山天体物理観測所には口径36インチ(91 センチメートル)の反射望遠鏡もあったが、こちらは「サブロク」と呼ばれていた。同型の望遠鏡は埼玉県の東京天文台(現在の国立天文台)堂平観測所にもあった(現在は埼玉県ときがわ町)。東京天文台は「もう一台、東北大でどうか」と打診をしたが、東北大は「いらない」と断ったそうだ。

グラッブ・パーソンズ社

「ナナヨン」がなぜ「リヴァイアサン」の兄弟なのか説明しよう。「ナナヨン」製作したメーカーはグラッブ・パーソンズ(Sir Howard Grubb, Parsons and Co. Ltd )という光学メーカーである。英国のニューカッスル・アポン・タインを拠点として、望遠鏡や双眼鏡の製作・販売を行なっていた光学メーカーだ。もともとはダブリンで産声をあげたグラッブ望遠鏡商会という名前の会社であり、その設立は1833年まで遡る。その頃の日本はまだ江戸時代であり、天保年間のことだ。

この会社の設立当初は、ロス卿とは無縁だった。ところが、1925年に転機が訪れる。ロス卿の息子であるチャールズ・アルジャーノン・パーソンズがこのメーカーを買収したのだ。そのため、社名はグラッブ・パーソンズに変更となった。岡山天体物理観測所の望遠鏡は、なんとこのグラッブ・パーソンズ社が製作したものなのだ。約二世紀の時を超えて、「リヴァイアサン」が日本に降臨したようなものである。

岡山天体物理観測所が開所したのは昭和35年(1960年)のことだ。観測は2年後の昭和37年(1962年)に開始された。開所当時は世界第7位の大きさを誇る大望遠鏡だった。半世紀以上に渡って運用されたが、現在では引退した。望遠鏡は大型化の一途を辿ってきているが、岡山天体物理観測所の「ナナヨン」は、日本にあって、多くの天文学者を育てた望遠鏡だった。

岡山の大番頭、石田五郎先生

岡山天体物理観測所の初代観測所長は東大の石田五郎先生(1924-1992)だった。大きな体躯に、深い教養。そもそもフランス文学をやっていた人だ。学生時代の指導教官は国際的にも有名な天体力学研究の泰斗、萩原雄祐先生だった。また、天文民俗学で著名な野尻抱影先生を心酔し、自らを「二世天文屋」と名乗っていた。もちろん、「一世天文屋」は野尻抱影先生だ(以下では、敬称略)。

note「『銀河系のお話し(8) 突然ですが『金河系』』で石田を紹介した。実は、このnoteのタイトルに出てくる耳慣れない言葉『金河系』という言葉は石田の造語だった。これは友人のW君から聞いた話だ。

W君いわく、石田の著書『天文台日記』に『金河系』という言葉が出てくるというのだ。この本は岡山天体物理観測所で日々起こる出来事を紹介してくれる本だ。この本は持っていたと思うのだが、いくら探しても見つからない。ということで、昨日、この本を買ってきた。中公文庫版のものだ(図3)。

図3 石田五郎による『天文台日記』(中公文庫、2004年)。なお、単行本として筑摩書房から1972年に出版されたものである。

note「『銀河系のお話し(8) 突然ですが『金河系』』でも紹介したが、ここで『金河系』が出てくる場面をもう一度見ておこう(図4)。当時、東京天文台長だった畑中武夫との会話だ。一般の銀河を天の川銀河の『銀河系』に対応させて『金河系』と呼んだらどうかという提案を石田はしたのだ。ただ、石田にとっては残念だったろうが、『金河系』は雑談の彼方に消えてしまった。

図4 石田五郎の『天文台日記』に出てくる「金河系」(『天文台日記』石田五郎、中公文庫、2004年、97頁)。

『天文台日記』を読むと、当時(1970年代から80年代初期)、天文学者がどのような観測をしていたかがわかる。現在の観測風景とはまったく異なるものなので、すぐに理解できないかもしれない。

そもそも検出器がCCDカメラのようなデジタルカメラではなく、写真乾板だ(ガラス板に感光乳剤を塗ったもの)。観測の前に暗室(本当に真っ暗な部屋)に入り、写真乾板をガラス切りで切り出し、乾板ホルダーに装着する。その後、観測を終えると、また別の暗室に入り、写真乾板を現像、定着、乾燥させる。研究室に戻って、写真乾板に写った天体情報を濃度測定器で測定する。結果は、紙にプリントされ、それをデータとして使うことになる。今のように、データが観測終了後に自動的にコンピューターに記録保存されるわけではない。天体観測は、とんでもなくアナログな作業だったのだ。

この本を読んで、昭和時代にタイムスリップしてみるのも楽しいだろう。日本に降臨した「リヴァイアサン」の活躍を知ることができる。

ロス卿よ、ありがとう!

追記:石田五郎の著書には『星の文人 野尻抱影伝』(中公文庫、2009年)もある。天文の俳句で有名な山口誓子との共著『星戀』の話も出てくる(note 「天文俳句(4)天文俳句『星戀』の世界」参照)。野尻のみならず、石田自身の話も出てきて面白い。『天文台日記』とあわせて読んでいただきたい一冊である。

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<<< 関連記事は以下でご覧いただけます >>>

ゴッホの見た星空(21) 渦巻銀河M51の渦巻はロス卿から、フラマリオン、そしてゴッホへ
https://note.com/astro_dialog/n/n891747b5b9dc

銀河系のお話し(8) 突然ですが『金河系』https://note.com/astro_dialog/n/n92e09a35c0bf

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