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バルコニアン(22) 竹を買った!

そうだ、竹を買いに行こう、と思いついたものの・・・

「そうだ、竹を買おう!」

竹には独特の風情がある。久しくバルコニーには竹がなかった。そこで、竹を買いに行ったのだが、残念ながら、これはという竹は売っていなかった。そのため、また紅葉を買ってしまった。この話は以前のnoteに書いた。

やっぱり、竹が欲しい

諦めきれずに、その後も園芸店に行くたびに竹を探していた。そして、先週の土曜日。ようやく、美しい竹に出会った。黒竹(くろちく)だ。

高さは私の背より高い。私の車には積めそうもないので、配送にしてもらった。それが昨日、我が家に届いた(図1)。

図1 ようやく買い求めた黒竹。とりあえずバルコニーに置いたところ。

とりあえずバルコニーに置いたものの、これをどこに置くか? 思案のしどころだ。

バルコニーのいいところは、鉢植えなので、移動が簡単なことだ。地植えの庭だと、植木のレイアウトを変えるのは大変だ。スコップで地面を掘り起こし、植木を掘り出す。そして、植え替える場所に行って、地面を掘り起こし、そこに植木を埋め直す。結構な作業になる。バルコニーの場合は、鉢植えを移動するだけなので、あっという間に作業が終わる。レイアウトを変えるのは、まさに気分転換になる。バルコニーが新しい風景に変わるからだ。

竹林というわけには・・・

庭に竹。なんだか竹林を思い浮かべてしまう。

京都に行くと、よく嵯峨野に出かける。あの素晴らしい竹林を見るためだ(図2)。多くの人が歩いているので、ゆっくり味わうのは難しい。それでも、嵯峨野の竹林は心を落ち着かせる力を持っているように思う。

図2 京都嵯峨野の竹林。人が歩いていない竹林は羨ましい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/嵯峨野#/media/ファイル:2021_Sagano_Bamboo_forest_in_Arashiyama,_Kyoto,_Japan.jpg

とはいえ、バルコニーに竹林を造るわけにはいかない。とりあえず、買ってきた黒竹が映えるようレイアウトを考えてみることにする。

中国三国時代の末期から晋代の初期(3世紀頃)、竹林の中で哲学的な議論(清談)をした7人の賢人がいたという。「竹林の七賢」のことだ(図3)。なぜ竹林が議論の場所として好まれたのかはわからない。竹林には人を鼓舞する何かがあるのかもしれない。

図3 長谷川等伯(1539-1610)の描いた竹林七賢図屏風(京都・建仁寺山内両足院所蔵)。 https://www.sumitomo.or.jp/html/culja/jp0727.htm

今回買ったのは一鉢の黒竹である。今度、普通の青竹も買ってみようか。並べておいて、眺めるのも、また一興である。

日本画家の福田平八郎(1892-1974)は竹の絵を残しているが、青、緑、茶色の竹が並んでいる。

福田には「対象の形」ではなく、まず「対象の色」が目に入ってくるという。オランダのポスト印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)や日本の作家、宮沢賢治(1896-1933)は星にさまざまな色を見た。芸術家の眼は、私のように芸術に疎い人の眼とは違うのかもしれない。少し、竹に学んでみようかとも思う今日この頃である。

まずは、黒竹が快適に感じる場所においてあげることにしよう。


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