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宮沢賢治の宇宙(96) 北海道旭川市にある賢治の詩碑

北海道、旭川市に行ってきた

4泊5日の行程で、北海道の旭川市に行ってきた。羽田―旭川のフライトがあるので、行くのは簡単だ(図1)。今回の旅では天気も良く、大雪山や十勝連峰の山並みを堪能することができた。

図1 帰りの飛行機の手荷物受け取り場に出ていた到着便のお知らせパネル。

賢治も訪れた旭川中学校

今回の旅の目的の一つは、旭川市内にある賢治の詩碑を見ることだった。

賢治が旭川を訪れたのは1923年夏のサガレン(樺太、サハリン)旅行の途中のことだった(表1)。

 

あまり知られていないが、賢治の作品の中に「旭川」という詩がある。『春と修羅』補遺に収められている(表1)。この詩は次ように始まる。

植民地風のこんな小馬車に
朝早くひとり乗ることのたのしさ
「農事試験場まで行って下さい。」
「六条の十三丁目だ。」
馬の鈴は鳴り馭者は口を鳴らす。 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、463頁)

さらに次の文章がある。

この辺に来て大へん立派にやってゐる
植民地風の官舎の一ならびや旭川中学校
 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、464頁)

ここで、旭川中学校という名前の学校が出てくる。じつは、この旭川中学校は私の母校、北海道立旭川東高等学校のことだ。住所は六条の十一丁目。元々は北海道庁立上川中学校として1903年に設置されたが、1915年に旭川中学校と改名された。そして、旭川東高等学校になったのは戦後の1948年のことだった。まさか私の母校が賢治の詩の中に出てきていたとは驚いた。なんだか不思議な縁を感じてしまう。

目的地は農事試験場だった

詩「旭川」を読むとわかるように、賢治の目的地は旭川中学校ではなく、農事試験場だった(正式名称は上川農事試験場;上川 [かみかわ] は旭川市の属する郡の名前 、上川郡)。では、学校の側に農事試験場があっただろうか? まったく記憶がない。

最近刊行された本『サガレン 樺太/サハリン境界を旅する』(梯久美子 著、角川書店、2020年)に、その答えが出ていた。

賢治が旭川にやってきた当時、農事試験場はすでに別の場所に移転していたことが調べてみてわかった。移転先は永山というところで、ここから10キロほど離れている。 (180頁)

私の記憶にないのは当然だったのだ。

しかし、賢治は小さな馬車で移動している。旭川での滞在時間はわずか七時間(第十六巻、下、247頁)。自動車ならいざ知らず、馬車で10キロの往復は難しそうだ。そのため、梯久美子も心配している。

目的の農事試験場がないとわかった賢治はどうしたのか。 (180頁)

「いったい賢治はどうしたのだろう?」 そう思っていたら、解決策はすでに議論されていたことがわかった。

農事試験場を訪ねて、永山停車場から宗谷線に乗った可能性、訪ねずに新旭川停車場または旭川停車場より乗った可能性もある。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十六巻、下巻、筑摩書房、2001年、261頁、註36)

盛岡高等農林学校の農芸化学科を卒業した賢治のことだ。農事試験場では何か専門的なことを質問したかったのだろう。果たして、賢治は農事試験場に立ち寄って目的を果たすことができたのか? 気になるところだ。

「旭川」ではなく(旭川。)

ところで、詩のタイトルだが、「旭川」ではなく(旭川。)(括弧は二重括弧)だった。これは『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、校異篇、筑摩書房、1995年、200頁に説明されている。

題名 最初、二字下ゲで「(旭川。)」と書かれたのを、濃いインクで消してその下のマス目に 旭川。 と書き直している。 (なお、括弧は二重括弧)

なぜ、詩のタイトルに読点の「。」が付けられているのだろう? 他の詩では、そういうことはされていない。これまた不思議だ。

賢治の詩碑

それはさておき、最後に旭川東高校の正門の脇に設置された詩碑を見ておこう(図2)。2003年に建てられたそうだ。

 
図2  旭川東高校の正門の脇に設置された詩碑。

図2をよく見てほしい。詩のタイトルは 旭川。 になっている。

さすがである。


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