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一期一会の本に出会う (11)長さ0センチはない、時間0秒もない

京都の龍寶山大徳寺で購入した色紙。「一期一会」と書いてある。最初の「一」の字がすごいですね。


「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 こちらをご覧ください。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

物理量としてのゼロが無い宇宙

先月の天文部の部会では、「この宇宙にはゼロが無い」という話題で盛り上がった。発端は雪の研究で有名な物理学者、中谷宇吉郎(1900-1962)の次の言葉だった。

数学でいう線には幅がないが、物理で使う線には必ず幅がある

この言葉は、次のように言い換えることができる。

概念としての数であるゼロは存在するが、測定値としてのゼロはない

ずいぶん深遠なテーマで、とても天文部の部会で話すような話題ではない。でも、深遠なテーマについて語り合うことは大切だ。答えがわかるかどうかではない。まずは、考えること。天文部の部長、星影輝明はそう思っていた。
部室のドアが開いたと思ったら、元気な声がした。
「部長、ゼロは元気ですかあ?」
一年生部員の月影優子だ。深遠なテーマについて語り合うのが好きな人間がもう一人いた。
「おお、優子、無限大も元気だよー。」
とりあえず、そう答えておいた。

ゼロも無限大も元気なことは確かだ。でも、それは数学の世界だけのことだ。現実の世界は平穏だ。

作用反作用の法則 ― 手と壁はピッタリ付いている?

「部長、この前の部会で話題になった中谷宇吉郎の言葉、面白かったですね。」「そうだね。」
「結局、この宇宙には点も、線も、面も、立体もないなんて。なんだか、今まで信じてきたものが、一挙に崩壊した感じです。」
「まあ、結論を急がず、いろいろ考えてみるのが一番だよ。」
「はい、そう思って昨日は眠る前に少し考えてみました。」
「何か思いついた?」

「作用反作用の法則のことをちょっと考えてました。」
「どんなこと?」
「私が部屋の壁を手で押すと、壁は同じ強さで反対向きの力で私の手を押し返してきます。そのとき、私の手と壁はピタッとふっ付いています(図1)。」

図1 手で壁を押すと、壁は手を押し返す。二つの力の大きさは同じで、釣り合っている。ここで働いている力は電磁気力である。

「なるほど。」
「私の手と壁の距離はゼロなのかなと思ったんですが、違うんですね?」
「確かに、距離はゼロだと思ってしまう。でもゼロにはならない。」
「どうなっているんでしょうか?」
「そもそも、手と壁に働いている力は何かな?」
「手で壁に圧力はかけてますが、圧力じゃないですね・・・。」
「圧力は単位面積あたりの力だから、その力が何かということだよ。」

宇宙にある基本的な力は四つだけ

「あっ、そうか! そういえば、この宇宙には4種類の力しかないんですよね?」
「よく思い出したね。重力、電磁気力、強い力、弱い力。これら4種類の力しかない。」
「強い力と弱い力は原子核に関連する力だったと思います。」
「そうだね、強い力は原子核をまとめる力、そして弱い力は逆に原子核を壊す力になる。壊すと言っても、中性子を陽子に変換するような力だ。」
「強い、弱いはどういう意味ですか?」
「電磁気力より強いか弱いかを意味する。」
「なんか、変なネーミングですね。もっとわかりやすい名前だと助かるんですけど。」
「まったくだ。でも、こういうのは歴史的な経緯で決まってしまうことが多い。諦めて使うしかない。」
「はい、そうします。」

「ところで、手と壁に働いている力は何かな?」
「おっと、そうでした。それを考えていたんですね。この四つから選ぶなら、電磁気力しかないです。」
「うん、正解だ。」
「やったー!」

すべての力は遠隔力ー接触すると力は働かない

「四つの力をまとめるとこうなる(表1)。」
輝明は黒板にササっとまとめを書いた。

結合定数は力の強さを表しているが、ここでは強い力を1として表している。

輝明は優子に質問した。
「この表で、大事なことがある。それはなんだと思う?」
「結合定数は力の強さを示しています。重力が異常に弱いことが気になりますけど。」
「あとは?」
「相互作用距離は面白いですね。重力と電磁気力は無限大まで届く力。でも、強い力と弱い力は極端に短い距離でしか働かない。これは原子核に関連するから仕方ないのかな。」
「いいまとめだよ。重力と電磁気力は無限大まで届く力だけど、これは無限大があるという話とは別物だ。重力と電磁気力は放っておけば、どんどん伝播していくという意味だ。伝播する速度は光の速度だから、秒速30万キロメートル。無限大は気の遠くなるような遠距離だ。」

「あっ、ひとつ大事なことを見つけました。」
「なんだい?」
「それは四つの力、すべてが遠隔力だということです。距離がゼロだと働かない。」
「それが重要なんだ。」
「さっき作用反作用の法則のところで、手と壁がふっ付いているか問題になった。」
「手と壁の間に働いている力は電磁気力だ。手と壁に含まれている原子核や電子が力を作用させている。電磁気力は距離がゼロでは働かない。つまり、手と壁は接触しているように思うけど、実はふっついていない。頑張っても陽子の大きさ、10のマイナス15乗メートルぐらいしか、手と壁の距離は縮まらない。ずいぶん短い距離だけど、ゼロではない。」

宇宙はゼロを必要としない

優子は唇をキッと硬く結び、考え込んでいるようだった。
「この宇宙で働く四つの力はすべてが遠隔力なんですね。これは力を及ぼすとき、物体同士は接触する必要がないことを意味しているように思いますが。」
「物体同士が接触するのは、物体間の距離がゼロになるときだ。でも、ゼロになることはない。」
「やっぱり、この宇宙にはゼロがないということですね?」
「そうなんだろうね。物体間の距離がゼロメートルになることはない。物体の質量がゼロキログラムになることはない。そして、ゼノンの「飛ばない矢」のパラドックスで分かったように、時間の間隔がゼロ秒になることはない。瞬間はないということだ。」
「うーん、すごい・・・。」
優子は呆然としながら言った。
「この宇宙はまるでゼロを排除しているみたいです。」
「それは正しい意見だと思う。この宇宙はゼロを必要としない宇宙なんだ。」
なぜそうなのかはわからないけど、優子は何か深遠なものを見たような気がした。

プランクスケール

そんな優子を見て、輝明はもうひとつの話題を提供した。
「優子はプランクスケールという言葉を知っているかな?」
「はい、聞いたことはあります。基本的な物理定数を組み合わせて、時間や長さのスケールを評価するような話だったと思います。」
「そうだね。使う物理定数は万有引力定数G、光の速度c、そしてプランク定数hだ。プランク定数は量子力学が取り扱うようなミクロの世界を特徴づける定数だ。」
「プランクスケールはどんな値になるんですか? (追記参照)」
「プランク長さは10のマイナス35メートル。」
「うわあ、とても小さな値ですね。陽子の大きさより小さい。」
「でも、ゼロじゃない。」
「はい。」
「プランク時間は10のマイナス44秒。」
「もう、ホントに瞬間という感じですね。」
「でも、ゼロじゃない。ここで使った物理定数は僕たちが決めたものじゃない。測定したら、そういう値になっていたということだ。つまり、この宇宙自身がプランクスケールを決めている。」

「そうか! わかった!」
優子がアルキメデスのように興奮して声を上げた。
「この宇宙を支配している物理法則はゼロを取り扱えないんですね?」
「そのとおり!」
輝明は優子を褒めた。
「どんなに頑張ってもプランクスケールより小さな現象は取り扱えない。」
「私たちの宇宙はゼロを排除している・・・。」
「そういう宇宙に住んでいるんだ。逆にいうと、ゼロがないから、この宇宙がある。前にも言ったけど、ゼロとか無限大は概念だ。約束事と言ってもいいかな。いずれにしても、実測値の中にはゼロと無限大はない。それらがあるのは、数学の世界だ。」
「そういうことなんですね。」
「時空はある。しかし、瞬間と点はない。」

輝明の言葉は不思議な余韻を残して、部室に響いた。

追記:プランクスケール

物理量の名称にはプランクを最初につける。例:プランク温度。 重力定数(万有引力定数) G = 6.6743×10−11 m3 kg−1 s−2 光速度 c = 2.9979×108 m s−1 ディラック定数ħ = 1.0546×10—34 J s (プランク定数h = 6.6261×10—34 J s) k B = 1.380649 × 10-23 m2 kg s-2 K-1 (ボルツマン定数)。 m p = 1.6726×10−27 kg (陽子の質量) 単位のNはニュートン、Jはジュール。

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