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銀河系のお話し(11) 番外編:百吋(百インチ)と二百吋、ならば三百吋

一戸直蔵の夢を繋いで

前回のnote「一期一会の本に出会う(14)」では、百年も前に活躍した一人の日本人天文学者、一戸直蔵(1878 - 1920)を紹介した。一戸は台湾の新高山(にいたかやま)の頂上に天文台を作り、天体物理学の観測的研究を推進することを提案した。しかし、一戸の勤務していた東京大学の天文台は一戸の提案を無視して、現在の国立天文台のある三鷹市に移転した。一戸は古色蒼然としていた当時の日本の天文学を一新したかった。だが、残念ながら一戸の夢は破れた。このnoteでは一戸の夢を繋ぐべく建設された「すばる望遠鏡」への道を紹介したい。

「フッカー望遠鏡」と二つの「ヘール望遠鏡」

銀河の研究と言えば、米国の天文学者エドウイン・ハッブル(1879-1953)が思い浮かぶ。銀河の形態分類、宇宙膨張の発見など、ハッブルが銀河の研究を牽引した。

ハッブルの銀河の研究が凄い勢いで動き始めたのは、ウイルソン山天文台「フッカー望遠鏡」(1917年11月1日に稼働)のおかげだ(図1)。口径は2.5メートル。百吋(100インチ)。当時、世界最大、世界最高性能の望遠鏡だった。

図1 ウィルソン山天文台の「フッカー望遠鏡」。口径2.5メートルの反射望遠鏡で、1917年から運用された。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィルソン山天文台#/media/ファイル:100inchHooker.jpg

それまで、ウイルソン山天文台で活躍していた望遠鏡は口径1.5メートルの初代「ヘール望遠鏡」だった。六十吋(60インチ)である。こちらは1908年12月8日に運用を開始した。望遠鏡の観測能力は当然のことだが、その口径が大きくなれば良くなる。光を集める能力(集光力)は口径の二乗に比例する。また、観測対象を細かく見極める能力(分解能)は口径に比例して良くなる。「フッカー望遠鏡」と初代「ヘール望遠鏡」を比較すると、口径比は2.5/1.5 = 1.7倍。したがって、分解能は1.7倍向上し、集光力はその二乗で2.8倍も向上する。1等級の差は2.512倍なので、「フッカー望遠鏡」は初代「ヘール望遠鏡」に比べて1等級以上も暗い天体の観測ができるようになる。大した差ではないと思われるかもしれないが、自然科学の実験や観測では、「装置の性能が3倍良くなると、見える世界が変わる」と言われている。「フッカー望遠鏡」の登場は、銀河の研究に僥倖をもたらしたのである。

カルフォルニアにはウイルソン山天文台とは別に、もうひとつ有名な天文台がある。パロマー山天文台である。ウイルソン山天文台の南東、約150キロメートル離れたところにある。

1948年6月2日、このパロマー山天文台に口径5メートル(正確には5.08メートル)の望遠鏡が誕生した(図2)。この望遠鏡も、のちに「ヘール望遠鏡」と呼ばれるようになった。口径は「フッカー望遠鏡」の二倍、二百吋(200インチ)もある。そのため、この望遠鏡は「ビッグ・アイ(大きな目)」という愛称になった。

図2 (上)口径5メートルの「ヘール望遠鏡(ビッグ・アイ)」。(下)パロマー山天文台の風景。 パロマー山天文台 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a3/P200_Dome_Open.jpg ヘール望遠鏡。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/HaleTelescope-MountPalomar.jpg

ちなみに、この天文台には、口径1.5メートルの広視野望遠鏡(シュミット望遠鏡)もある。こちらは「リトル・アイ(小さな目)」と呼ばれていた(図3)。広視野(6度四方の宇宙を一挙に撮像できる)を活かし、パロマー山天文台から観測可能な北天をすべて観測した。撮影された写真はパロマー・チャートと呼ばれ、さまざまな天体の探査に用いられた。名前は「リトル・アイ」だが、大きな仕事をした望遠鏡だ。

図3 パロマー山天文台の口径1.5メートルのシュミット望遠鏡「リトル・アイ」を操作するハッブル。パイプを咥えて、優雅な観測風景だ。今なら、ドームから叩き出されることは間違いない。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/HaleTelescope-MountPalomar.jpg

JNLTを作ろう!

こうして可視光の観測天文学は、20世紀の前半から中盤にかけて、百吋と二百吋の望遠鏡が時代をリードすることになった。1970年代に入ると、口径4メートルクラスの望遠鏡の運用も始まった。米国国立光学天文台はアリゾナのキットピークと南米チリ共和国のアンデス山中に、ヨーロッパは協力して、やはり南米チリ共和国のアンデス山中にヨーロッパ南天天文台(口径3.6メートルと口径3.5メートルの新技術望遠鏡)を、そしてオーストラリは国内にアングロ・オーストラリアン望遠鏡(口径3.9メートル)の運用を始めた。一方、日本では口径1.88メートルの反射望遠鏡が最大なので、厳しい時代を送り続けた。

しかし、「このままではまずい」という意識はあった。百年前の一戸直蔵の心境だ。そして、1980年代。日本も大型望遠鏡計画を議論するようになった。その中で浮かび上がってきた計画が、JNLT計画だった(Japanese National Large Telescopeの略称;図4)。問題は望遠鏡の口径をどのぐらいに設定するかだ。望遠鏡の価格は口径の約3乗に比例すると言われていた。

図4 JNLT計画を議論するために開催された国際研究会の集録。Japanese National Large Telescope and Related Engineering Developments: Proceedings of the International Symposium on Large Telescopes, held in Tokyo, Japan, 29 November – 2 December, 1988, Springer, 1989

当時、日本で運用されていた最大の望遠鏡の口径は、先に述べたように、1.88メートルだ。普通なら、その2倍程度の口径の望遠鏡を計画する。口径3メートルから4メートルぐらいが目標になる。しかし、長い暗黒時代を経験してきた日本の光学天文学者たちは決断した。「百吋と二百吋、ならば三百吋だ」三百吋は7.5メートル。

でかい! 夢のような大望遠鏡である。「身の程知らずも、ここに極まれり」という感じだ。私はふと思った。こういうのを「量子跳躍というのだろうな」と。ここで量子跳躍とは、原子内の電子がある量子状態から、別の不連続な量子状態にポーンと遷移することである。

果たして、予算は獲得できるのか? 量子跳躍するのだから、予算はもう二の次という感じだ。つべこべ言わずに、獲得するしかない。

新高山からマウナケアへ

もう一つ考えるべきことがあった。それは設置場所をどうするかだ。ユーラシア大陸の東に位置する日本は、偏西風が大陸の山や谷で乱されて日本にやってくる。そのため、日本の夜空はシーイングが悪い。大気の乱れが星像のサイズ(シーイング)を大きくする。天体のイメージは、晴れていても、ピンボケの状態で見えてしまうのだ。

当時、東京天文台が運用していた口径1.88メートルの望遠鏡は岡山県の瀬戸内側に設置されていた。晴天率が比較的よいためだ。よいと言っても、たかだか40パーセントである。例えば、トータル五晩の観測があったとして、二晩は晴れるが、残り三晩は曇りか雨ということだ。さらに、シーイングもよくない。国内のベストサイトでもこの状況だ。事態は深刻だった。今から百年前に一戸直蔵が台湾の新高山に目を付けたのは、とても重要なことだったのだ。

そこで、日本の光学天文学者たちは、またもや驚くべき決断をした。「米国ハワイ島のマウナケアに行こう!」標高は4200メートル。酸素は地表の6割しかないが、その分、空気は澄んでいる。晴天率も高い。天文台を運用するには理想的な場所なのだ。

そして、すばる望遠鏡へ

日本の大学や研究所の施設を海外に建設する例はそれまでなかった。しかし、それを禁じている法律は幸いにもなかったことが幸いした。なかなか大変だっtが、予算が付き、ゴーサインが出たのだ。

結局、東京大学の附置研究所であった東京天文台は国立天文台に改組され、JNLT計画を実現させることになった。それが、口径8.2メートルの「すばる望遠鏡」だったのである(図5)。前回のnoteでも述べたが、一戸直蔵の夢はこれで叶った。

図5 ハワイ島マウナケア山の山頂(標高4200メートル)に建設された口径8.2メートルの「すばる望遠鏡」のドームと望遠鏡本体(左のインセット)。(国立天文台) https://www.subarutelescope.org/Gallery/gallery_images/dome_sunset2_s.jpg https://www.subarutelescope.org/Gallery/gallery_images/dome_full_s.jpg

たまには清水の舞台から飛び降りろ!

日本の光学天文学者たちは「清水の舞台から飛び降りた」と言ってよいだろう。ライバルはいる。カリフォルニア工科大学の口径10メートルの「ケック望遠鏡」(ケックIとケックIIの2台)、米国国立光学天文台の口径8.2メートルの「ジェミニ望遠鏡」(ジェミニ北と南の二台)、ヨーロッパ南天天文台の「VLT」(Very Large Telescope;これは南米チリ共和国のパラナル天文台に設置され、四台で運用されている)。「すばる望遠鏡」はこれらの望遠鏡に伍して大活躍している。すばる望遠鏡のおかげで、日本の光学天文学は、ようやく世界レベルに追いついたのだ。

たまには、清水の舞台から飛び降りてみる(図6)。その心意気が大切なのだ。

図6 京都の音羽山清水寺の舞台。ここから飛び降りたら、痛いだろう・・・。いやいや、痛いでは済まされない。遺体になるかも知れない。ただし、今までの統計では、生存率は85パーセントもあるそうだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/清水寺#/media/ファイル:Kiyomizu-dera,_Kyoto,_November_2016_-02.jpg


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