暇空茜氏とギフテッド、文科省と厚労省は早急に発達障害教育の見直しを
令和5年4月に内閣府にこども家庭庁が立ち上がります。
この新庁が注目されるにあたり「Colabo戦記」の背景にある「困難女性救済法」もあります。
ですが今回、私は別の視点で注目している分野があります。
それは「ギフテッド教育」です。
発達障害とADHD、いわいるアスペ集団の中にギフテッドもいる
日本ではギフティッドの定義はあいまいで、精神医学の経緯から「アスペルガー症候群」「ADHD症候群」「発達障害」と診断されてしまいます。
どういうことかというと、ギフティッドの子供たちは「その特定分野限定の高い能力のせいでボトムアップ型の日本教育に馴染まない」ということが発生しています。
つまり集団生活に溶け込めないという「知的障害者以上、平均IQ以下」と同列に判定されてしまい、特別な能力をもつ子供とその家庭にとっても「生きづらい原因」となってしまっていると感じています。
これにより小学校の教育現場で何が起こるかというと、ギフティッドの子は「授業がつまらないので、授業をちゃんと受けない」「飛び級がないので集中力がないと評価される(実は興味がなくなっているだけだったりする)」という状況が発生してしまいます。
ギフテッドぽい人、最近SNSで見たよね
さて、特定分野で秀でた能力を発揮する人、最近Colabo問題で見たことありませんか?
そう、あの「暇空茜氏」が大変いい例です。
高校時代からの破天荒なネットゲーム生活のグラニ戦記の前章は、ギフティッドの能力を余すことなく発揮しているかと思います。
小中学校時代のことはほとんどnoteなどに書かれていませんが、明らかに授業がつまらなく、なんでも100点を取ってしまう生徒だったのではないでしょうか?
他サイトによるギフテッドの特徴(あくまで一例)を転載しておきます。かなりいいサイトで、結構長いので抜粋しています。全文は引用元にて。
かくいう自分も、暇空氏ほどではないせよ、こういうのの似た記憶があります。特に算数はケアレスミス以外は何をやっても100点、国語は先生が出題する問題を先読みできるような小学校生活でした。
これについては、中学受験勉強時代のことなのですが、ひとつエピソードをおいておきます。
小6の秋頃、クラスの大半(特に男子)がお互い私語を交わしあい、授業にならない状態、いわいる学級崩壊という状況になっていた記憶があります。私は冬に向けて中学受験を控えていたので、自習をしたくても周りがうるさくイライラする日々でした。
何日かその状況が続いたのち、担任の先生がこう切れます。
「そんなに私の授業が嫌なら、君たちで勝手にやりなさい!」と宣言し、担任の席で黙りこくってしまいました(当時の小学校は教室と職員室にそれぞれ担任の席がありました)。
当然教室は、静かになります。黙っている担任は無表情ですが、おそらく内心ニヤニヤしていたことでしょう。
そこで私は、ある行動にでます。つかつかつか、と黒板にいき、おもむろに歩いていきます。
そして国語の教科書のあるページを開き、クラスメイトに向かってこう言います。
「では〇〇君、xxページを朗読してください。」…そう、まるで国語の先生のように。
そして数段落後に朗読を区切り、「このときのたかし君の気持ちを、20文字以内で答えよ」と黒板に大きく書きます。
このあたり、実はうろおぼえなのですが、私が先生役を30分近くやり続けたそうです。
あとで学年主任に生徒指導室に呼び出され「お前はそんなにできるのになぜ学級崩壊に加担しているのだ?」と説教されました。どうも後に母から父母会での出来事を聞くと、その内容がほぼ学習指導要領にそっていて、担任が持っている教師用教科書を見せていたというあらぬ疑いをかけられていたそうです。
もちろん、私は静かに自習したいからでしかなかったわけです。まぁこの事件のあと、卒業まである程度いじめられるわけですが、それはまた別の話。
今思うとこれ、中学受験勉強でやっていたことがまさに「出題者の意図を読み取る練習」を小学校低学年からずっと続けていたのを考えると、小学校の学習指導要領なんて感覚的に察することができたのでしょう。
受験勉強のトレーニングの結果で、問題の小説を読んでいる最中に「ここがあとで設問になる」と読んでる最中に察知することができるんです(もちろん設問数の都合なのか予感が外れるときもあります)。
ですが、私にとっては「たかしくんの気持ち」が出題されることは察知できてたので、あとは設問の制限文字数を確認するだけなのです。
この内容だけでは何とも言えませんが、私が「ギフティッド」の端くれであったと思い出すエピソードと感じています。
日本でのギフテッド教育は遅れている
EUや米英いった先進諸国では「飛び級」に示されるようなギフテッド教育を推進している国は多いです。天才を排出する大きな要因であることは間違いありません。
日本でも文部科学省を中心に有識者会議が開催されていたものの、ボトムアップ教育をベースとする日本の義務教育にギフテッド教育の概念はほぼなく、より平均を押し上げる「落ちこぼれを作らない」スタイルでは、ギフテッドの研究は進まず、世界へ人材が流失しているのが真実でしょう。
実際ノーベル賞の受賞者も、日本人であったとしても国籍が異なっていたり共同研究だったりと、ギフテッドを重視しないがゆえの弊害が出ていると感じざるをえません。
台湾のオードリータンのような人材をどんどん排出できる国の底力は、将来の遺産となるに違いありません。
日本もColaboのような「困難女性救済法」などで底上げするのではなく、ギフテッド側への予算を配分してはいかがでしょうか。
一説には近代日本で発達障害(ADHD含む)と診断される児童は6-7%を超えるという話もあり、下限を救済するより上限を無限に引き上げてもいい時代かもしれませんね。
ですが、Colabo問題に代表されるように、こども家庭庁はボトムアップ型で、ギフティッドは切り捨てる考え方を持っているように思えて危機感が高まります。
ではでは、次の話題は後日。
またギフテッドの話題を取り上げたいと思います。
もし私の文章に共感できたとき、気が向いたらポイッとしてくだされば、次回作の推敲のモチベーションになります。 誰だって他人に評価されることは嬉しいものです!ありがとうございます。 ですが無理/無茶はしないで下さいね!