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私は未だに神の一存でコクッパが単なる部下にされたことに納得がいかない

注:あくまでこの記事は私の個人的な意見を書いたものです。
  厳しいと思われる意見もあるかもしれませんがご了承ください。

この記事を書くきっかけはフォロワーさんとのDMでの会話からなんですが、受け入れられた人がいるとしてもコクッパ(現・クッパ七人衆)の設定変更はファンの思い入れを無視しすぎて酷くねえか?と思うし、そもそも親子だった設定を赤の他人にするのも情がないと感じてしまった。

私とマリオ

私はゼルダシリーズの大ファンですが、マリオシリーズも好きです。
全ての作品をプレイしているとまではいかなくても、触れてきた年月ならばゼルダよりも上です。

マリオで特に好きだった作品を応えろと言われるとスーパーマリオRPGとマリオストーリーとペーパーマリオRPG辺りがとにかく好きでした。

RPG系マリオいいですよね。
普段のアクションとは違う空気でユニークなオリジナルキャラクターも多く出てきて、彼らと共に知恵と勇気と力で敵と立ち向かう。

特にペーパーマリオ系は普段の作品なら敵として出てくるクリボーやノコノコなどにも個性がある者がいて、彼らの全てがキノコ王国と敵対しているわけではないのも好きでした。

しかし、それらのオリジナル要素もある時期から姿を消しました。
オリガミキング発売の時期にネットでもそのような記事が出てたと思うのですが、今のマリオは派生作品でのオリキャラが禁止されています。

話によると宮本さんの一存らしいのですが、別にRPG系マリオのオリキャラの評判は悪かったどころか、むしろファンもいたはずなのにどうして……。

神の手により親子の絆を奪われたコクッパたち

最初にもあったコクッパの設定変更の話に戻りますが、これもサンシャインでクッパJrが出たからか、どこかのインタビューで宮本さんがクッパの実子はJrだけであり、コクッパたちは息子ではないと言った気がします。

せめて、実子ではなくともコクッパは養子であると言えんかったのか?
別にクッパの子に兄弟が増えたところで問題ないと思うし、Jrは実子だからこそ正当な後継者で養子であるコクッパたちは親子関係だけでなく上司と部下の関係も学ぶために七人衆になったという風のが納得出来ました。

これに悲しくなったのは私がエニックスなどから出ていたマリオ4コマでクッパファミリーの団欒ネタを多く見てきたからでしょう。
親子だった存在が突然神とも等しい存在により、赤の他人で単なる上司と部下の存在にされてしまうのはあまりにも心がなく感じてしまいます。

別にコクッパの下に末の弟が出来ても良いじゃないですか。
Jrは末っ子で幼いから七人衆に追加出来ないのも分かりますし、上のお兄ちゃんたちが養子であってもゲーム的に不都合はなかったはずです。

長く続くシリーズである以上、設定変更は避けられませんが、せめて養子であると言ってくれれば救われた人間がここにいたのに……と思います。
ゼルダの方がまだゲーム内容や時系列の矛盾などのやむを得ない事情によって設定変更されているだけ納得出来ます。

いきなりカメ族と言われても……

これは宮本さんが言ったものではないですが、スーパードラゴンだったヨッシーがカメ族であるという唐突な後付け設定も???と思いました。
鞍みたいなものがカメの甲羅の名残だからとのことですが、竜であったヨッシーがカメであると言われても頭の上にはてなが浮かびます。

せめて、クッパが火を吐くことからカメ族は竜族から分かれた種であり、ヨッシーはその狭間にいる種だと言ってくれた方が私的に納得でした。
事情が分かるゼルダと比べるとマリオの設定変更や後付けには???となることが多いのに頭を抱えてしまいます。

マリオにストーリーは必要か

最低でもRPG系には必要だと思います!!!!
宮本さんは遊びを重視するクリエイターでシナリオやキャラクターなどは軽視している節が見えるのですが、昔ならそれで上手くいってもゲームを取り巻く環境が変わった今だと難しいところがあると思います。

かつてペーパーマリオの新作を前作と変わってないとちゃぶ台返しをして、あの悪名高きスーパーシールが出来てしまったという話があるらしいです。
でも、今の宮本さんを見ると新しさを求めるよりはマリオというコンテンツを変えたくないという気持ちが見えてしまうのは気のせいでしょうか?

作品にもよりますが、私はマリオにストーリーがあっても面白いと思いますし、事実スーパーペーパーマリオはストーリーの評価が高い作品でした。
宮本さんはいつものマリオしか望まないかもしれないけれど、マリオというコンテンツは彼一人のものだけではない。

マリオとして誤った方向への変化を危惧するのは分かります。
ですが、かつてのRPG系マリオのオリジナル要素やギャラクシーのロゼッタの絵本は批判されたどころか新たな驚きを与えて評価されたものです。

厳しいことをいいますが、プレイヤーから評価されたそれらすら全て否定し、自分の思うマリオ像にしがみつく宮本さんの姿には、かつての偉大なゲームクリエイターの面影は残念ながらもうないでしょう。

神は絶対ではない

誤解されないよう言いますが、マリオというコンテンツは公式がおかしな方向に暴走しがちな昨今では安心感があり、私も好感を抱いています。

宮本さんがオリキャラ禁止の考えに至ったきっかけのオリキャラは典型的なキモオタ系だったらしいと聞いたのですが、マリオというコンテンツがオタク方面に染められるのを恐怖しているところもあるのでしょう。

ですが、それを恐れるがゆえにマリオというコンテンツから自由をなくし、可能性を奪うことは果たして良い方向に進むものだろうか?
本家のアクション作品は問題ないかもしれませんが、オリキャラに支えられていたRPG作品に大打撃になってしまったと感じています。

外部スタッフに好き放題されたくなければ、無理してペパマリシリーズをを開発させ続ける必要もないと思うのですが、大人の事情があるのでしょう。
でも、初期のぺパマリが大好きだった身としては切なく思います。

ゼルダは宮本さんから青沼さんにバトンタッチして上手くいっている。
カービィだって生みの親がいなくなっても問題なく元気に活動している。
FEだって色々あったけど、今や新たなファンを会得し続けている。

小人数開発のインディーズならともかく、ある程度の規模の商業作品となるとコンテンツは生みの親一人のものではなくなってしまう。
世界観を守るのは大事だと思う。だけど、縛り付けを強くしすぎてそのコンテンツが持つ可能性を奪ってしまうのはとても悲しい。

マリオというコンテンツにおいては宮本さんは神にも等しい存在ですが、神であっても誤ることはあるし、絶対ではないと私は感じています。
宮本さんは認めなかろうが、私の中ではコクッパたちは養子であったとしても正真正銘クッパの子であると信じています。

宮本さんがいなくなった後のマリオおよび任天堂がどうなるかは分かりませんが、愛されるゲームを作り続けて欲しいと心から願っています。
マリオは世界中の人々のヒーローですから!!

続き→https://note.com/asteria_note/n/n1ad1505f7dd0

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