水星の魔女【感想】

2023年もすでに一ヶ月を切ってしまい、焦りぎみに遅ばせながら水星の魔女を視聴。
私はガンダムシリーズにちゃんと触れるのが初めてなので、不安感も混じりつつ完走した次第。
なんとなくウテナ感があるとの話を聞いていたので、楽しめるかなと思ってはいましたが、想像以上でした。
語れば多くなるので、とりあえず三つにしぼって良かった点を書きます。

・構成
・キャラの扱い方
・命を削りながら戦う女の子

まずなんといっても構成が素晴らしかったです。
始まりはスレッタの入学。からの決闘。花嫁の獲得。と、これなんてウテナとつっこみたくなりそうですが、学園の設定を描きつつ、実は壮大な前振りになっていたのが後に判明して、この構成がただのオマージュではなく考え抜いて視聴者に納得感を与えるものだったと気づいたときは盛り上がりましたよ。
始まりは学園。命のかからない、すなわちゲームのような決闘。
それが、ガンダムの登場により命が見えてきて、同時に世界観をさらに拡げる。ここまでが1クール。
学園という小さなところから、徐々に徐々に拡げていくのは、分かりやすくてなかなか構成が光ってましたね。

しかも同タイミングで、スレッタの母親とミオリネの父親の評価に、あれ?  っと疑問を持つようになるのもすごかったです。
この静かに現れた対比が、後の展開でまざまざと見せつけられるというのはある種の恐怖すら覚えたぐらいです。

「人殺し……」という衝撃的なところで終わった1クール。ここからいわゆる伏線回収パートなのですが、私はそちらより、やはり構成に目がいきました。
伏線と構成の何が違うのか。解釈次第でたぶん同じものを指すことにもなると思いますが、今回指す構成は、対比とスケールアップです。

全てあげていればきりがないのですが、やはり重要なのは『人を救う技術』と『人を殺す技術』の対比でしょうか。
最初に現れたのは、医療のガンドと軍事用のガンド(ガンダム)でしょう。
人を生かす、人を殺す。
二つを提示されて、皆がみな前者を選ぶわけではない。たとえば、それで稼いでいる企業とか。
死の商人と揶揄されることもありますが、やっぱり戦争というのは相互の意思のぶつかり合い以外の要因も絡んでくるんですよね。
ただ、それを変えようとした人間がいた。
そうです。ミオリネの父親です。

『人を救う技術』と『人を殺す技術』。これがどどんとスケールアップして、クワイエット・ゼロに繋がっていく。
ちゃんと地道に描いてきたからこそ、このクワイエット・ゼロに納得感が抱ける。
クワイエット・ゼロの理念として、全兵器の技術的コントロールによる戦争の停止。つまるところ『人を救う技術』なわけで。
しかしスレッタの母親は、それをそのまま転じて『人を殺す技術』にした。
とはいえ殺人が目的というわけではなく、エリーの居場所を作ること、そして奪ったものへの復讐だった。

クワイエット・ゼロを止められるのはガンダムだけだからこそ、犠牲になったガンダム製作者。
平和のための礎。仕方のない犠牲。『人を救う』ために『人を殺し』、『人を救う技術』で多くを救う。
だからこそ、殺人が目的ではなかったとはいえ、その技術を使うことがある種の復讐になってたわけです。
スレッタは、それのためにせっせこエアリアルのレベリングをさせられていたという話。

まったくもって無駄がなさすぎる。
対比、そしてスケールアップ。2クールかけて、段階を踏んで上っていったからこそ、見終わった後に素直に面白かったが呟けたってもんです。

・キャラの扱い方
上記の構成にもかかってくる話ですが、キャラの扱い方が非常に上手かった。
一人一人にフォーカスして語れば、途方もない時間がかかりますが、裏を返せば、それだけ論じれるキャラクターが多かったということ。
見せ場があって、役割があって、退場させるときも唐突感がない。
ちゃんと描いて、ちゃんとキャラクター一人一人に向き合っていたと感じました。
スレッタだけじゃない。ミオリネだけじゃない。みんながちゃんと意思をもって、成長したところを見せてくれて、本当によかった。
ちなみに私はスレッタ推し。

・命を削りながら戦う女の子
これは単純に趣味の話です。これ良いよねって話です。
瞳孔をひらいて、呼吸も浅くて、苦痛に顔を歪めながら、それでも譲れないもののために戦う。
これは萌えです。

実際、作中用語とか私が評価しているキャラクターのこととか、難しいなって思う点がなかったとは言えません。
しかしそれでも、順を追って丁寧に描写してくれていたため、咀嚼して呑み込むことに難儀はしませんでした。
こう纏めるのは少し浅いかもしれませんが、深い満足感を得られるアニメでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?