ざまぁみろ!第2章          止まらない夢

新しい自分
 翌週から、僕のジム通いがスタートした。
夕方の部活の練習も終えてから一度帰宅してジムに
向かった。学校では嫌われ者でもジムへ行けば選手も
練習生も大人は皆、中学生の僕と対等に接してくれた。
 大人は、中学生でジムに来る僕を珍しがって可愛がって
くれた。当時は、ジムに通う中学生なんていなかった。
 僕以外はみんな社会人で、昼間仕事してから夜に練習に
来ていた。そんな大人たちを見て、子供心に苦労を感じた。
ジムにいると、自分も大人になれたような気がした。
 ジムで大人と接しているから、学校で煙草を吸う先輩や
同級生、昼休みにシンナーを吸っている同級生がとても
小さく見えた。昼休みに校舎裏の体育倉庫脇でシンナーを
吸っている同級生の脇で僕は縄跳びをしていた。               
 
 僕がキックボクシングを始めたという噂はすぐに広まって、
嫌がらせはなくなった。本当はそれなりにあったのだろうけど、
自分のやりたいことが見つかった僕は、嫌がらせを嫌がらせ
だと感じなくなっていた。ジムに入ってそんなことでは
動じない自信を持った。根拠などない自信、それは自分に
とっての何かを始めたことからくる自信だった。だから、朝、
下駄箱に上履きがなくても、靴下で1日過ごした。給食を1人で
食べても気にならなくなった。そして僕自身、服装や髪型で
虚勢を張る学校や同級生を見ても怖がることはなくなった。
それよりも顔に青痣を作ったジムの先輩の方が僕には怖かった。
 
 それにしても、みんな、つくづく馬鹿だと思う。始めて
すぐに強くなるわけがない。噂を聞いて怖がったのか、嫌がらせは
少なくなった。人間、そんな簡単に強くなれるのなら誰でも
チャンピオンになれる。キックボクシングをやっているという
肩書きに恐れたのだろうけれど、僕の練習メニューは鏡に
向かってワンツーと便所掃除だった。

「まだやってんの?」
 当時は、キックボクシングなんて世間に忘れられていた。
学校で先生は言った。ジムでもらったポスターを、練習帰りに
行った銭湯で選手と風呂上りに見ていた。
「キックってなくなったんじゃねぇの?」
 あえて聞こえるように呟く、わざとらしい独り言も聞こえた。
確かにキックボクシングの人気はないに等しかった。専門誌も
なかった。あるといっても同人誌みたいな雑誌が1種類だけだった。
発売日も決まっていないくらいだから、すぐに廃刊になった。
そんな人気のない競技だったけど、僕は全然気にならなかった。  
 
 人気がないなら自分が人気者になってやる、くらいにいつも
考えていた。日本チャンピオンになっても、ファイトマネーなんて
10万円程度のチケット、しかも、身内や友人に売って小遣いに
する。売れなければ無償で戦わなくてはならない。確かに稼げない
競技かもしれない。だけど、稼げないなら自分が有名になって
稼げるようになればいい、僕はそう考えた。物事をプラスにしか
考えようとしななかった。
 当時はキックボクシングも僕も、マイナスからのスタートだった
から、プラスに考えるしかなかった。前途多難というより、僕の
近い将来は明るすぎて眩しいくらいだった。サッカー部だったから
蹴ることと走ることには自信があった。ボールを蹴らないで人間を
蹴るなんてとても新鮮に感じた。それに、サッカーとは蹴り方や
当てる場所も違う。僕には練習の1つ1つが真新しく楽しかった。
 
 地味でつまらない練習も、中学生でやっているのは自分くらい
だろうと考えれば楽しくて仕方なかった。裸で練習するところも
男らしい。僕は貧弱だったけど。鏡の前で様になっていないファイ
ティングポーズを構えるだけで胸がときめいた。鏡の中の自分に、
体一杯に夢を実感できた。
「これ履け」
 ワンツーが少しまともに打てるようになった頃、会長がトランクスを
くれた。前に大きく入っている意味の理解できないタイ語が格好よく
感じられて気に入って履いていた。学校に持っていくと、みんなは笑った。けど、僕は気にならなかった。初めて履いたトランクスは何故か
ピンクだった。
 サンドバッグを打たせてもらえるようになって、拳に巻くバンテージが
必要になって、近所のスポーツ店で購入した。それは、ゴムが入った包帯で、短く使いづらい。先輩たちは医療用の9mの包帯を使っていた。
試合ではこの医療用の9mの包帯を拳に巻く。市販のバンテージは
初心者臭くて嫌だった。しかも、練習中に手がゴムで締め付けられ、
血液の循環が悪くなる。本当は使いたくなかったけれど、医療用の
それの入手方法がわからないから、毎日、指先を紫色に変色させていた。
 少しでも早く上手に拳に巻けるようになりたかったから、家でも拳に
バンテージを巻いて、解いて、巻き戻してからまた拳に巻いて、それを
何回も続けた。
 学校でも先生の話なんか聞かないで机の下でバンテージを巻く練習を
した。一度、授業中、先生に見つかったことがある。
「どうした、手が痛いのか」
 先生は僕の拳の心配をした。ジムから帰宅するのはいつも21時半頃
だった。帰り際、駅前のコンビニでいつもポカリスエットを買って
飲みながら自転車に乗って家路に着いた。渇いた咽を潤しながら、
暗い道から夜空を見上げてペダルを漕ぐ、この時が1日の中で一番
好きな時間だった。練習の疲れや筋肉痛も心地よかった。家に着く頃には、みんな眠っていた。裸の炬燵の上に置かれた晩飯を食って眠る毎日だった。足りない睡眠時間は授業中に補った。
 勉強なんてどうでもよかった。僕は、自分が強くなる夢を見るのに
忙しかった。強くなった自分を想像するだけで楽しかった。強くなるために毎日忙しかった。
 今まで殴った奴、蹴った奴、無視した奴、上履き捨てた奴、机の中を盗んだ奴、バッグの中身を溝に捨てた奴、唾を吐きつけた奴、女子便所に閉じ込めた奴、そんな奴らが僕にしたことを後悔しているのを想像するのが楽しくて一人、にやけていた。強くなりたい、有名になりたい、金持ちになりたい、そう思い続けた。強ければ嫌がらせを受けない、金持ちになれば羨ましがるだろう、有名になれば仲良くしなかったことを後悔するに違いない、そうに違いない。
 
 みんなから一目置かれる存在になることが僕の目標だった。キックボク
シングを始めてから、僕の考え方も次第に変わっていった。もう、周りと
一緒の価値観を持った振りをして安心する自分に疲れていた。それまでは、先生に反抗したり、太いズボンを履いている先輩や同級生を見て格好いいと思ったこともある。でも、そう思うことはなくなった。自分から何も始め
ない同級生が子供に見えた。ジムで大人と接するようになって、自分の
なりたい格好いい男像が明確になった。そんな自分は周りよりも大人に思えた。目標を早く見つけた僕は格好よかった。でも、もてなかった。    
 現実は、キックボクシングの日本チャンピオンになっても金持ちにも有名にもなれない。プロなのに働かないと食べていけない。そして、働いた後に練習する。
「好きじゃなきゃやってらんねぇ」
 先輩が嘆いていた。ある程度の話は、先輩たちから話を聞いて知って
いるつもりだった。それでも、僕なら金持ちにも人気者にもなれるだろう、そう信じて疑わなかった。

プロのリング
「来るか?」
 会長が人差し指と親指で挟んだチケットを目の前にちらつかせて言った。フェザー級のタイトルに挑戦する先輩と、ウエルター級の先輩、弾正勝さんのカードが印刷されていた。会長はチケットを1枚僕にくれた。
 試合が決まって先輩たちの練習態度が豹変した。それまでは普通に話せたのに、気合の入った練習ぶりを見ると怖くて声を掛けることができない。
そんな先輩たちの頬が日に日にこけていった。そう減量、毎日の練習が
見るからに辛そうだった。試合まで毎日、僕も緊張していた。中学2年の
3月、僕は初めてキックボクシングを生で観戦することになった。
 試合当日の夕方、後楽園ホール一階にある喫茶店、雅で会長とセコンドの先輩と待ち合わせた。そして、エレベーターで5階に上がる。扉が開くと
正面に会場入り口がある。まだ開場していないため誰もいない入り口の
扉を開けて中に入った。エレベーターから出て以来、メンソールの臭いが
辺りに漂っている。
 僕らはまず、先輩たちのいる控え室に向かった。薄暗い通路からは、
誰もいない静かな客席、そして、中央には無人のリングが大きな口を開けていた。そして、通路を抜けて、階段を降りた。5階ホールの1階下に控え室がある。僕は緊張しながら扉を開けた。すると、いかつい大人たちが一斉に僕を睨んだ。僕は泣きそうになった。3月で外はまだ寒いというのに、控え室の中は暖かかった。それもそのはず、6畳しかない控え室の中に、出場する選手とセコンド数人、その友人など、十数人が酢飯の如く詰められていた。
 みんな所狭しと、試合の準備や選手のマッサージに励んでいた。裸で
横になっている選手にセコンドが何やら黄色い液体を塗っている。それが
タイオイルというメンソールの臭いの主だった。タイオイルを身体に塗る
ことによって血液の循環がよくなり、身体が熱くなる。すると、興奮作用が働いて、傷みを感じにくくなる。控え室にはタイオイルとワセリンの臭いが充満している。試合前だというのに、セコンドたちは汗でTシャツを濡らしていた。生暖かい息苦しい控え室の中に、時折、酸っぱい臭いもした。
 出番の早い3回戦の選手は、マッサージやタイオイルを塗り終えると、シャドーやストレッチをしてアップを始める。5回戦の選手は、拳にバンテージを巻いてくつろいでいた。
                           
 弾正さんも椅子に座り、コーヒーを飲んでリラックスしていた。僕に
気づいた弾正さんが笑みを返してくれた。
「篤史はまだ若いんだからこれから、これから」
「篤史だったら強くなれるよ」
 そう言って、いつも僕を励ましてくれた弾正さんに勝って欲しかった。
メインでタイトルに挑戦する別の先輩は、緊張しているらしく挨拶しても
聞こえていない様子だった。僕は、息苦しい控室を出て、階段を上がった。薄暗かった通路は明るくなっていて、眩しいほどのライトがリングを
照らしていた。
 客席は閑散としていた。まだ前座だから、そんな程度の入りなのだと
思っていた。そんな中、第一試合のゴングが鳴った。拍手が寂しく響いた。

 それは、前座の3回戦の試合とはいえ14歳になったばかりの僕には
衝撃的な出来事だった。客が疎らのリングサイドに紛れて座った僕の席に、汗や鼻血が飛んできた。客の歓声が耳に入らない僕がそこにいた。     
心臓の音が、耳の中で大きく響いた。普段耳にすることのない骨と骨が
当たる音や、膝が入った時の鈍い音、言葉になっていない呻き声、時折、
我に返った時に聞こえる喧嘩腰の相手選手への中傷が耳に残った。この日、何故か負けた選手や、倒された選手の苦しんでいる姿が僕の目に焼きついた。僕は、今まで格好いいところだけを見ていい気になっていた自分を
反省した。
 普通、勝負の明と暗を見るなら、まず、明を見るだろう。その世界で
生きていこうとするなら尚更そうでなくてはいけない。でも、その日の
僕の目には暗しか映らなかった。下を向いてリングを降りる選手を見て、
そうなりたくないという気持ちと、そうならないための覚悟が必要だと
いうことを痛感して、これまで軽く考えてきた自分の甘さを強く恥じた。
 陽の当たらない3回戦の試合を観て、これから先、この世界に両足を突っ込むことが怖くなった。
 3回戦が終わって、5回戦が始まった。キャリアのある選手同士だから
技術もあって安心して試合を楽しめた。さっきまでの3回戦が、ただの
喧嘩に思えた。試合数も残りわずかになった頃、弾正さんの試合が
始まった。危なげない落ち着いた試合運びをして2ラウンド、KOで
弾正さんは勝った。メインに出場した先輩は、判定でタイトルを獲得した。
 結局、この日はタイトルマッチがある興行だというのに、客が全然入っていなかった。客といえば酔っ払いとパンチパーマのその世界の人達ばかりだった。とんでもない世界に足を突っ込んでしまったという危機感と、それでも自分ならなんとかなるという前向きな気持ちが僕の中で混ざっていた。もちろん、前者が2割で後者が8割ではあったけれど。
 試合後に新チャンピオンになった先輩と会長とファミレスに入った。
ささやかなタイトル獲得祝いを行った。注文した飯類が来る前に、
コーヒーとジュースで祝杯をあげた。
「ね、いいでしょ、一杯だけ、ね」
 乾杯してから新チャンピオンになった先輩が会長にビールをせがんだ。
「駄目だ、試合が終わったばかりだろ。それに、今日打たれたじゃないか」
 会長は強気に拒んだ。
「でも、ね、勝ったんだからいいでしょ、一杯だけでいいから」
 しかし、ジム初の日本チャンピオンが出て嬉しかったのか、根負けして
会長は了承した。先輩は旨そうにジョッキに入った生ビールを呑み干した。             そのやり取りを見て、僕は意味もわからずに、ただ笑っていた。半年後、この甘さのつけを払うことになる。

ここから先は

5,922字

¥ 300

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。