カレー

「満腹中枢を持たない身体障害者。」


先日、予約に隙間が出来たので、昼飯を食べに移動しました。
そして、カレーを食べにとある店に入りました。
天気が悪かったからか、昼時だというのに店内には僕と、
先客の20代前半から半ばくらいの4人がいました。

入り口にその数人は座っていたので、注文して奥に場所を
取りました。

注文を待っていると、店主が4人に向けて云いました。
大食いの方らを揶揄、今風にいうところのディスるという
ことをしていました。

あまりいい気分はしませんでしたが黙っていました。
大食い用のメニューがあり、その方らの来店でも賄って
いるところがあるのだから、その様な発言は控えた方が
よいのになと思いながら待ちました。

注文をしたのはカツカレーです。

カツカレーなどの類のメニューで、ソースを置かない店が
僕は好きではありません。
頼めば出してくれるのなら構いませんが、

「カレーで食べてください。」


その親切というか、ルールの押し売りが好きにはなれません。
カツはソースで食べたいのです。
勿論、カレーでも食べますが、でも、やはりソースをつけた
カツとカレーの味の混ざり具合が、口の中でより旨さを
増殖させる組み合わせだと思っているので、納得はしかねます。

その際、やはり出してくれない店側と、渋渋出してくれる
店側、普通に出してくれる店側とあります。

結果、微妙な気持ちになります。
その店は、店内に置いてありました。

でも、決して横柄な扱いを受けた訳でもないのに微妙な
気持ちになりました。
折角の昼食が無駄になってしまった気がして残念な気持ちに
なってしまいました。

店に他意はありません。
そんな冒頭の文言を耳にしなければおそらく、何事もなかった
でしょう。

自分の仕事で置き換えて考えました。
些細なことであれ、一言であれ、同じ様に会員や練習に
訪れた方らに対し、似た様な思いをさせるようなことは
していないだろうか、今もそのことを考えています。

勉強と反省を繰り返し繰り返し、少しでもよくなるよう
努力したいと思います。


「カレー」

「無性に食べたくなるもの何?」

僕の定番の質問、それで必ずとはいわないまでも頻繁に
返ってきたのが、それです。
幾度も記している通り、減量中に選手同士の戯言が始まりです。

疲労困憊の練習後の雑談、決まった僅かしか食べることが
許されない状況で、会話だけとはいえ食べ物の話はいつも
盛り上がりました。

減量中、カレーライスは3本の指に入る程よく耳にしました。
疲れていると、腹が減ると、当然ご飯が食べたくなるのは
普通ですが、少し刺激があるからでしょう。
あの匂いと食感が堪らなく愛おしくなるのです。

そして、きっと水に合うということもあるでしょう。
減量中、水を兎に角飲みたくなるのです。
その水と合う食べ物の1つがカレーライスです。
口の中のカレーライスを流し込むのでもそう、そして、
口の中をさっぱりしたいからだけで飲むそらもそう。

水とカレーは合うのです。
炭水化物、香辛料、そして水、完璧です。
失礼、ノーヒットノーランです。
最後に食ってやった感、ええパーフェクトです。

そんなカレーライス、それを嫌いだという方に遭遇したことが
ありません。
きっとどこかにいるでしょうが、でも、兎に角少ない数でしょう。

幼少期、団地の5階に住んでいました。
夕方、階段を登りながらカレーの匂いがするや否や、足取りは
早くなり、より小刻みな回転で更に速度を速め、慌てて扉を
開けるのです。

「カレー?」
ただいまよりも先に確認をするのです。

「違うわよ。」

素気ない母の返しで両肩を落とすのです。
落ち込むとはこういうことだ、見事に体現出来ていたと
思います。

そんなメニューがいくつかありましたが、今はカレーです。

減量中、無性に食べたくなるのです。
ナンで食べるそれも確かにカレーではありますが、でも、
それも確かに食べたくもなるのですが、でも、ここでいう
カレーはカレーライスです。

ナンで食べるそれはまた、別の機会に。

ファミレスでも蕎麦屋でも、定食屋でも何なら弁当や缶詰でも
自分で作っても美味しくいただけるのがカレーライスです。

忘れていました。
給食も、です。

母親のカレー、ある程度の年齢が来ると男は、そんなことを
分かったように嘯くようになるのです。
散散感謝するべきことを踏み倒して、さも大人に肩を並べたかの
如く、そう粋がるのです。
「昔はさ、」
そう目を細めたところで、大して生きてもいやしない癖に。

でも、各ご家庭の母親の味というものは間違いなく存在します。
遠くに目をやって僕が語ったとしても、それはただ遠くを見ている
だけです。

「カレーは2日目が旨い。」
よくそんなことを耳にします。
いえいえ違います。
カレーが旨いのはもっと後です。

僕の母は、カレーを作る際はいつも、寸胴で作ってくれました。

なので、一度作ると1周間は毎日カレーです。
カレーが旨くなるのは3日目以降です。
見事に味がまとまり、丸くなるのです。
まろやかという意味ではありません。
確かにまろやかにはなりますが、そういう意味ではありません。

尖った所所が纏まるのです。
料理のことなんて分かりもしないくせにすみません。
でも、カレーとはこういうものだといわんばかりの味に
なります。

夏休み、なくなるまで3食カレーでしたが、喜んで食べました。
カレーの凄いところは、それを元にしてカレーうどんなどに
出来るところです。
土曜日の午後、もしくは日曜日に父が作ってくれました。
サンドウィッチにもしてもらったことがあります。

食パンを焼いて、トーストを千切ってそれをナンの様にして
食べていました。
まだ、巷にインドカレーなる店が出没する前です。
都心にはそのような店はすでにあったのかもしれませんが、
存在を知る前の幼少期のコンビニすら出来る前のことです。

食パンにカレーを乗せて、その上にチーズを乗せて焼いたりも
しました。
まぁ、誰もが思い浮かべて似たような安定感のある、そして
損しない旨さが共有出来ると思います。

ここ20年ちょっとはルーを使わず調合されたスパイスで
作っています。
独学ですので、作る度に味は違います。

作り始めて5日くらいに丸くなります。
そこを目指して作ります。
その5日目を常時維持出来ないのが自分如きの勉強不足
甚だしいところです。

でも、驚くほど旨く感じるのです。
そこを維持出来ればと思うのですが、工夫が追いついていません。
調理師免許もありませんし、素人ですから。
ということで逃げてはいます。
でも、そこは理解しながらも、でも、悔しいので時折
調べたりはしています。

幼い頃、カレーライスに母は醤油をかけて食べていました。
「さっぱりするから。」
それがその理由です。
僕も真似して食べるようになりました。
分かったふりして、でも、好きです。
ソースをかけて食べるのも同様に。

ある時、カレーに何をかけて食べるかという話になりました。
「醤油。」
僕は云いました。
酷い言葉が返ってきました。
みんなに合わせてソースでなければいけない世界がそこに
ありました。

大人になってからも、レトルトを買ったり自分で作ったり
した際につい、醤油をかけて食べます。
小学生の頃に口にしたあの味がさっぱりと広がります。
確かにソースも合うのです。
でも、醤油も合います。

大人になってからも説明しても意外に思われるというか、
馬鹿にされるかのように否定されましたが。


でも、考えてみてください。
カツカレー、もしくはメンチカツカレーを食べる際に
カツにソースをかけて食べるではないですか。
だから、ソースと合うのです。

醤油ではなくソースではないか、そう思われる方、
剥き出した感情を一度、鞘に収めて読んでください。

カレーに目玉焼き、合うではないですか。
目玉焼きに醤油は勿論のこと、合いますよね。
醤油とカレーも合うのです。

AとCが合わなくても、BとCが合えばAとBも合うのです。
直接合うような気がしなくても、間接的なものを通して
合う共通点があれば、合うのです。


僕はよくその間接的なものを考えて試します。
勿論、自分だけが知っている組み合わせではないのでしょうが、
でも、それまで知らなかった美味しさに遭遇出来たら、それだけで
得した気持ちになれるではないですか。

記していたらカレーが作りたくなりました。

カレーについてだけではありませんが、また記すと思います。






これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。