ざまぁみろ!第6章 それから

ラストチャンス
 僕は星のない黒い空を眺めている。空は上下に揺れながら回る。
右回り、そして左回り。僕は気持悪くなって枕脇のブザーを押す。
 2001年10月、デビューから所属した全日本キックボクシング連盟を
脱退してニュージャパンキックボクシング連盟に移籍した。しかし、
2003年3月の試合を最後にそのニュージャパンキックボクシング連盟を
脱退して、僕はフリーになった。
 僕自身はまだ、引退するつもりはなかった。自分が好きで始めたこと
だから辞める時も自分で決めたい。でも、現実は厳しかった。所属団体を
辞め、すでに過去の人になった僕には、どこからも声はかからなかった。
 それから2ヶ月ほど経った2003年5月に
「今年の8月に試合をやらないか」、
 IKUSAという新しい団体から声がかかった。場所は六本木のヴェル
ファーレだという。
 後楽園の興行がいいなんて選り好みはできない。試合がしたい僕は、
二つ返事で了承した。でも、できるならもっと早く試合がしたい。
場所よりも期間の方が気になった。
 つまらないブランクはもう嫌だった。金も欲しかった。こうして、
6月に僕の試合が決まった。対戦相手の名前やジムなんてどうでも
よかった。
 これまで通り練習して、これまで通り減量した。今、思えば焦って
いたのかもしれない。試合当日のことはあまり覚えていない。もしか
すると、記憶から消そうと思っているから思い出せないだけなのかも
しれない。対戦相手のジムの会長は、昔、僕と因縁のある選手だった。
 昔から専門誌を通して知る引退後の彼の発言には、僕の名前を
使った発言が多く、損得勘定を感じた。6月の試合当日、試合を行う
目的で作られたわけではない不便な会場のリングに初めて上がった。
 リングに上がって僕は、深呼吸する。景色もリングの広さもいつもと
違う。相手コーナーを見ると、対戦相手の足元から白い煙が立ち昇って
いるのが見えた。相手側のセコンドが、選手の足首のアンクルサポーター
にコールドスプレーを噴きかけている。それは反則だけれど、でも、
どこの団体にでも通用する訳ではない。クレームをつけようとは
思わなかった。どうにもならないのなら、文句を言っても精神的に
疲れるだけだから黙っていた。そのまま第1ラウンド開始ゴングを
待った。

 その3ヶ月前、ニュージャパンキックボクシング連盟最後の試合
でもそうだった。
 1991年、スリップした僕の頭をタイ人が蹴って倒れた。
 レフェリーはダウンを取った。1996年、タイトルマッチで割って
入ったレフェリーが僕を突き飛ばして後頭部をリングに打った。
これまでの積み重ねから僕は、レフェリーを信用していない。
いつからか、リングの中の敵は2人になった。相手を見ながら
レフェリーにいつも注意を払うようになった。伏線はいくつもある。
積み重ねた過去が僕を変えた。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。