ざまぁみろ!第4章 カリスマ

公式デビュー
 高校入学を決めた3月下旬、ついに僕の国内デビューが
決まった。会長から手渡された計量通知なる1枚の葉書には
試合日と契約のウェイト、そして対戦相手の名が記されていた。
 年齢を1年誤魔化して17歳で試合することにした。
日時は4月24日、場所は後楽園ホール、対戦相手は
小川孝治(目黒ジム)、契約ウェイト55kg、計量通知には
そう記されていた。
ついに憧れの後楽園ホールのリングに立てる。僕は熱を入れて
毎日練習した。減量も順調で、緊張感がありすぎてウェイトを
早く落としすぎて2週間前だというのに、残り1.5kgという
ところまで落とした。ウェイトは各階級のリミットで契約する
場合とお互いの納得のいく中間の通称、契約ウェイトの
2種類の方法がある。
タイトルマッチ以外の試合ではこの契約ウェイトが使われる
場合が多い。

 2週間前のその日、体重を落とすため、目前に迫った
デビュー戦に何としても勝つため、練習している最中の
僕に会長が言った。
「篤史、試合なくなったから食べていいぞ」
 身も心も力が抜けた。
「明日から全日本(キックボクシング連盟)だから」
 会長は続けた。試合直前に団体が変わるという。
決まっていたデビュー戦がなくなった僕の心と体は、
水を吸ってふやけた食パンのようにだらしなく中弛みした。
  幻のデビュー戦がなくなった4日後、会長は、再び
僕に計量通知を手渡した。
「デビュー戦が決まったぞ、今度は間違いないから」
 一度計量通知をもらった後にキャンセルになったことを
考えると、半信半疑だった。通知の試合日を見ると、
キャンセルになった5日後の4月29日と記されてある。
場所は同じく後楽園ホール、対戦相手は田中将文(ニシカワ)
というキャリア2戦の選手だった。
 
  契約ウェイトはフェザー級リミットの57.15kg、
7ヶ月前にスーパーフライ級(52.16kg)で試合を
した僕の体は大きくなって体重が63kgに増えていた。
「バンタム(53.52kg)がいいです」
 4日前に消えた幻のデビュー戦では55kg契約
だったし、上げるのも嫌だった。そして、まだフェザーの
体ではない僕は言った。けれど、
「お前には落とせない」
 会長は却下して、フェザー契約になった。
「はい、ファイトマネー」
 手渡されたのはその試合のチケットだった。2千円の
自由席10枚、全部売っても2万円。そして売った代金を
会長に渡す。
 そこから30%引かれた分が僕のファイトマネーに
なるという。
「今度、試合するんだけどチケット買ってくんない」
 試合前、予備校に行って、定時制に行って、ジムに
行って、夜、一度帰宅してから同級生の家を回った。
「ただなら行くけど」
 くれるなら行く、その言葉に何度落胆したか知れない。
結果、ほとんど買ってくれなかった。これで自分もプロに
なったなんて浮かれていたけれど、所詮、プロなんて
名前だけだった。
 それでも一応、プロはプロ、金は安くても体を張らなく
てはいけない。悔しければ頑張って有名になればいい。
 絶対に稼げるようになってやる、毎夜、そんなことを
思いながら友人宅を回った。結局、無理を言って名良橋や
彼の兄、母まで買ってもらい、自分の父にまで売りつけて、
売りさばいた。
 4月29日、当日朝、計量に後楽園ホールへと向かった。
ホール5階、エレベーター裏の会議室で計量は行われた。
計量が始まる10時丁度に着いたのに、すでに会場は出場する
選手や付き添いのジム会長たち、関係者で一杯だった。
 殺伐とした雰囲気の中、痩せた男たちがパンツ一枚で
一列になって秤の前に並んでいた。
                       
 その日は全試合が3回戦の新人戦興行で、20試合が予定
されていた。20試合あるということは、自分も含めて40人
もの選手が並んでいる。そして、計量は試合順ではなく早く
来た順で行われたため、最後に入った僕は最後尾だった。
大分待ってからようやく自分の番が来た。計量通知を手渡して、
秤に乗った。
「ОK 55kg」
 どうせ落ちないという会長への反発心と、フェザー級
リミットでは体が重くて動けない気がしたため、2kg余分に
落とした。
 計量が終わって、ホール1階のレストランに場所を移した。
メニューが来て、どれにしようか考えていると、
「敵に勝つんだよ」
 会長の一言でとんかつ定食になった。食後、重たくなった
腹を抱えて、同じくホール内のサウナに移動して会長は言った。
「ゆっくり休めよ」
 休めなかった。競馬目当ての中年達が、テレビの音量を
目一杯上げて、大声で騒いでいる。そして、フロアの中は白く
濁るほど煙草の煙で一杯だった。夕方にサウナを出て、
5階に場所を移して会場入りした。誰もいない客席、薄暗い中に
数時間後間違いなく自分が上るはずの無人のリングが大きな口を
開けて待ち構えている。
 僕はリングに吸い込まれないよう、大きく深呼吸した。
 そして、階段を下りて控え室へ向かった。扉を開けると、
先に会場入りした選手が数人いた。通路でミットを蹴って
いる選手もいた。試合前に疲れちゃうだろう、しかし、
そんな心配が届くはずもない。控え室と通路に会話はない。
シャドーの風を切る音とミットを叩く擬音だけがそこに
響いていた。
 不思議と緊張はなかった。ただ、リングに早く立ちたかった。
第1試合に同じジムの平田選手がリングに上がった。僕は、
試合前だけど落ち着かなくて、リングの下から声を出して
応援した。
 会長のお気に入りだった彼は1ラウンドKОで負けて
しまった。僕はプロの厳しさを痛感する。
 第12試合目に、僕の出番がやってきた。子供の泣き声、
酔っ払いの笑い声、まだらな拍手の中、僕はリングに上がった。
 リングアナに名前を呼ばれて、リング中央に歩み寄り、
レフェリーの注意を受けた。そしてコーナーに戻って試合開始の
ゴングを待つ。
 相手の田中という選手は20歳で、3戦目だった。でも、
俺だってタイで試合してるんだ、僕も図太く相手を舐めていた。
 
 ゴングが鳴った。リング中央に両拳を出して合わせようと
頭を下げようとしたところ、ハイキックが飛んできて、頬を
掠めた。
 汚ねぇ、しかし、ゴングが鳴ったら試合開始、情け容赦
いらないということを、身をもって教わった。ベテラン選手の
真似をして余裕を見せた自分が馬鹿だった。
 相手はキャリアの分、自分よりも上手かった。上下の打ち
分けに惑わされ、いきなりの奇襲にすっかり相手のペースに
はまった。そんな僕の攻撃は力んだローキック一辺倒だった。
 
 何とかしなければ持っていかれる、わかってはいるのだけど
身も心も力んで硬くなりすぎていた。ワンパターンのローキックは
カットされて、時折放つ、力んで脇の開いた右ストレートなんて
相手まで届かない。
 力みながらも焦るばかりの自分に苛々して、被せ気味の右を
叫びながら放った。それが当たった。それを切掛けに少しずつ
ペースが変わり始めた。
「篤史、ローが効いてるぞ」
 1ラウンドが終わって、コーナーに戻るとセコンドが檄を
飛ばす。
 そういえば、カットの上からでも嫌がっているような気は
した。だけど、僕の臑はあまりにもカットされたので腫れ上がって
血も溜まって、酷いことになっている。膝から下の感覚がなかった。

 2ラウンドが始まって、コーナーを出た僕の攻撃は、相変わらず
右ロー、一辺倒だった。血が溜まって硬くない臑で思い切り蹴った。
トマトが潰れる音がした。試合が開始した直後の臑は硬く、
カットの上から蹴ると、臑の骨と臑の骨が当たっていい音がする。
 しかし、その時の血が溜まった僕の臑は水風船のようだった。
そんな臑で蹴られても痛くはないだろうと思えるくらいの状態に
なっていた。
 右ローと右ストレートという自分の攻撃のワンパターンさに
気づいた僕は、ある仮説を立ててみた。
 仮説というよりはありきたりの上下の打ち分けなのだけど、
そんなことすら気づかないほど力んでいた。思い付きが見事に
的中した。
 1発当たって、そこから一気に畳み掛けた。閑古鳥の鳴いていた
客席が一気に沸いた。2ラウンド1分14秒、デビュー戦を大逆転で
飾った。
 僕は腫れ上がった敗者の顔で勝ち名乗りを受けた。勝利者
トロフィーと一緒にKО賞と記された封筒ももらった。中には
金一封が入っていた。
 リングを降りた僕に、応援に来ていた後輩や同級生が数人
集まってきた。                     

 帰り道、見事に集られて僕はラーメン屋で金一封を使い
果たした。腹一杯堪能した僕は、千葉方面に向かう電車に乗る
ために水道橋駅改札を抜けた。しかし、階段を、僕だけ上がれない。
足首は見事に腫れ上がってローを蹴られた太腿も腫れ上がって、
踏ん張れない。
 両脇から1人ずつ肩を抱えてもらって、階段を上がった。
電車に乗ると、乗客が舐めるように僕を見た。
 サングラスが鼻にかからないほど腫れ上がった顔から、
鼻血が絶えず止まらずに垂れていた。老人でもないのに、五体
満足で好き勝手なことをやって勝手に怪我をしたにも拘らず、
僕は席を譲られてしまった。
 一旦は断ったけれど遠慮されて、ありがたく座った。
それからしばらく、和式の便所ではうんこが出来なかった。
翌日、膝の関節まで曲がらなくなった僕は松葉杖を使う羽目に
なった。
 夜、ジムに顔を出すと、
「今日は篤史の祝勝会だ」
 ジムを閉めてから、会長とその日来たジム生全員で近くの
ファミリーレストランに場所を移した。全員が注文をし終えた後、
「えー、今日は篤史がおごります」
 会長が言い出した。一瞬、驚いたけれど仕方ない。みんなには
手伝ってもらったし、おかげで勝つことができた。食べ終えて
会計をしていたら、脇から会長が領収書を奪った。
「今日の記念に領収書は大事に取っておきます」
 会長は、その領収書をバッグに締まった。僕のデビュー戦の
ファイトマネーと領収書は綺麗になくなった。

白紙の退学届け
 デビュー戦を終えて、それまで練習のために遅刻と早退続き
だった。夜学も予備校も、きちんと通えるようになった。練習が
再開されるまでの間、しばらくは大嫌いな勉強をすることにした。
昼は予備校、夕方から夜学に通った。
 大検の予備校といっても本当に大検に合格して大学に進学したい
という生徒は少数で、中学を卒業してやることがないからだとか、
高校を中退したのはいいけどすることがないから、というような
生徒が多かった。僕は何としても大検に、というわけではなかった
けれど、僕なりに目標はあった。                      
 試合の翌日、腫れた顔で夜学に行くと、担任は退学を勧めた。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。