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どうして「藪塚通信」なのかの話


「藪塚通信」でインスタグラムをやっています。足掛け7年目です。

https://www.instagram.com/yabuduka_tushin?igsh=N2syeGVnOG5nZW9q&utm_source=qr

どうして「藪塚通信」を名乗っているのかについて語ります。

私が7年前から群馬県太田市藪塚町に住んでいるからです。そして、文豪坂口安吾が隣市の桐生市に住んでいた頃に書いた「桐生通信」を真似しているからです。以上。

インスタのプロフィールに書いてある通りですが、「太田通信」ではなく「藪塚通信」にしたのには理由があります。

群馬県太田市藪塚町は、新田郡藪塚本町藪塚町が平成17年に太田市と合併しました。
藪塚本町は、桐生市と合併する可能性が高かったそうですが、桐生市みどり市の合併がうまくいかず、痺れを切らして太田市になった、と聞いています。
文化圏としては、太田市よりも桐生市の影響を強く受けています。
群馬県内では、自動車産業で栄える太田市の経済力がすこぶる強く、桐生市は主要産業の繊維が衰退しているので、藪塚本町の選択は賢明であったと思われます。

太田市の北西部にある藪塚町は、旧太田市内とは標高200mほどの八王子丘陵を挟んでいることもあり、「ど田舎」「昔のままの農村」「忘れ去られた秘境」と揶揄されるエリアです。つらい。

太田市内、桐生市市内に比べて地価が安く、畑が耕作放棄されがちなので住宅建設が盛んです。ミニ開発が多くスプロール化が進んでいます。新築の建売が多いので、他の地区より子供が多いような気がします。

私は藪塚藪塚と言ってますが、前橋市出身です。高校から太田市に引っ越しました。その後私は上京し、家族は前橋市へ戻ったものの、17年前から太田市に住んでいます。紆余曲折は省きます。

要点をまとめます。私は20年ぶりに群馬県にUターンしたよそ者です。
太田市藪塚町に移住して、環境サイコー!と超ご機嫌で暮らしていたので、古い人たちから「藪塚は住みたくない」「藪塚みたいな辺鄙なところ」「ホコリっぽい」「牛の臭いがする」と言われてもdisられていると気づくまでしばらくかかりました。
群馬県民は本音をハッキリ言うので「ぶぶ漬け」的な物言いは一切しません。私が藪塚町を気に入っていたので、悪口に気づかずごめんなさい。

秘境扱いされている藪塚ですが、群馬県の中でも東京にはとても近い地域です。
藪塚駅からは急行りょうもう号で浅草駅まで1時間50分で着きます。北千住駅なら1時間40分です。
東京への通勤はギリギリできませんが、日帰りなら余裕です。
北関東自動車道太田藪塚インターもあるので、高速に乗れば都内まで90分。多くの大企業が工場や物流拠点を太田に作っています。

大企業の工場や支店が多いので作業着が嫌でなければ働くところはたくさんあって、お給料も安定してもらえることから、新築の建売がよく売れます。
子供も多く、バイリンガルを育てるインターナショナルスクールもあります。
有名チェーン店は、概ね進出しており、ホームセンターやショッピングモールも充実し、スーパーも多く、埼玉県北部から群馬県南部へお買い物に来る人が多いそうです。

太田市にないのは百貨店とハイブランドのショップくらいで、勤め人や庶民が日常生活で必要なものはだいたいなんでも揃います。東京から転勤してきた人たちも車さえあれば不便はないようです。

オシャレなものやお店が少ないと言われますが、東京に住んでてもそんなに高いお店にしょっちゅう行きませんよね。
私は東京の真ん中でOLやってましたが、普段は駅ビル、スーパー、無印、UNIQLO、古着屋、百均、カルディ、ドラッグストアくらいで暮らしてました。デパートなんて地下の食料品くらいしか立ち寄ってません。

前置きが長くなりました。ごめんなさい。

東京でOLやっていた私が「もう東京は飽きた。これからは地方の時代」と気づいてから、各地をリサーチした結果。「東京にも近いし、田舎すぎない環境だけど、田園風景が広がってる藪塚町は穴場じゃないか」とUターンしました。

田舎に戻ると決めた日に、ネットで見つけた土地に運命を感じました。
藪塚駅徒歩4分、目の前は山。藪塚温泉という歴史の古い観光地もあります。
田舎ゆえ敷地が広いので駐車場もひろびろ。なにここ便利すぎるのに市内より地価が安い。即決。ここ買う。家建てる。

私は「藪塚町に呼ばれた」と感じています。地元の人から「藪塚温泉? 行ったことないよ」「何もない」「ど田舎で住みたくない」と言われている鄙びた場所の良さをインスタグラムで情報発信することで町おこしにチャレンジしてみたのです。

坂口安吾が「桐生通信」を書いたように、私は「藪塚通信」を書いてみようと思いました。

当時は「藪塚推し」でInstagramを発信している人はほとんどいませんでした。孤独に負けずコツコツとInstagramを更新しつづけてるうちに、顔も知らない近隣の同志たちと繋がっていきました。
Instagramを介して地元の情報を発信する同志が可視化されることで、私が見逃した情報は誰かが拾ってくれます。ありがとう! 同志のおかげで補完されています。

私は手を挙げた瞬間から日本で唯一の「藪塚推し」のインスタグラマーになりました。
レッドオーシャンでニッチを極めるのが私の戦略なのです。ええ、本気です。

「藪塚通信」を通じて独自の文化を作ろうと思っていましたが、具体的な成果は見えていません。そんな簡単ではなかったです。なめてました。

しかし。私が無知で能天気だからこそ、続いたとも言えます。賢かったらそんなのやらないです。

へこまずたゆまずInstagramを続けていますが、近隣のイベントに行くと「藪塚通信、知ってる」と言ってもらえることも増えてきました。
昨年、模様替えの不用品処分に困ってミニフリマをやったら「前から藪塚通信が気になってて」と来てくれた方がいました。びっくりしました。
青竹踏みを作り始めてイベントに出ることにしたら、一気に人間関係が広がりました。

Instagramで発信するだけではなく、イベント的なもので人がつながれる場が必要なのかもしれません。

なにもないまちに、「文化」を作りたいという壮大な夢と野望を抱いて私はこの町にやってきたのです。

「文化」ってなんですか。
「面白いこと」であってますかね。