SFプロトタイピングって、つまり「本物のSFを目指す」ということなので。

SFプロトタイピング、というパワーワードをあちらこちらで見かけるようになりました。私自身も、仕事として関わる機会が増えつつあります。簡単にいうと、きたるべき社会を物語(SF=サイエンスフィクション)のように想定し、それを一つのプロトタイプ(試作品)とみなして、現在の技術開発に反映させる行為です。ガンダムが必要だと思ったら、二足歩行する巨大ロボットをどうやって作ろうか、それを今から考えるということ。噂では今年(2020年)、横浜に「歩くガンダム」が誕生するそうですが……これぞまさにSFプロトタイピングな行為。でしょう。

ところで、これってどんな立場の誰にでもできる「行為」なんだろうか? というと……どうやらそうでもないぞ、ということがわかってきました。というのも今現在、私はさまざまな立場の方々と(←あんまりおおっぴらに言えない)SFプロトタイピング的行為の真っ最中ですが、そこで関わるメンバーの一人が「ブロックチェーン」というキーワードを提示した結果、議論が白熱したからです。

SFが危うい

そもそもブロックチェーンはまったく不完全な技術とみなされており、あちこちでその不備を補うべく研究され、バリエーションが多く乱立気味です。関係者はイニシアティヴをとるべく躍起になっている。ところが、私が関わる「SFプロトタイピング」の現場には、たまたまストーリーテリングの専門家しかおらず、ブロックチェーンについてはまるで未来を感じさせるパワーワードのように捉まえられていました。

もちろん、私は強くツッコミを入れました。かくいう私だってブロックチェーンの専門家ではありません。ですが、SFの純粋な創作ではなく、あくまでSFプロトタイピングをやろうとするなら、現場に間違った指針を与えることはできない。最低限の「技術や社会の動向を正しく捉える」態度が必要になります。ここが、いわゆるSF小説やSFコミックやSF映画をヒットさせればいいという態度とは、大きく違う部分です。

こんなこともありました。まったく別の現場ですが、とあるアニメ系脚本家が未来を舞台にした作品(いわゆるSFアニメ)を構想中で、人工知能まわりの科学考証を手伝ってくれという話を承ったのです。しかし、私自身が脚本を読んでもっとも気になったのは、台詞の中にとりいれられていた「量子通信」というキーワードでした。ちょっとした洒落で入れた、ということだったみたいですが、未来の台詞として適当かどうか不安だから、調べさせてくれと言って持ち帰ったのです。ところが、なんと2020年1月に量子通信技術は実用化され、東芝から量産品が登場するというオチがついてしまいました。このアニメ作品は2020年3月の今現在も企画開発中で、まだアフレコは終了していないことは、ある意味ハッピーでした。「量子通信」に変わるフレーズを台詞に埋め込むべきなので、今からその作業にとりかかるところです。

こんな風に、SFプロトタイピングで危機に瀕しているのは、テクノロジーを専門に働いている方々ではなく、むしろストーリーテラーの方だ、ということが明らかになってきました。

「コブラ」ではダメ

昔、SFコミックとして人気を博した「コブラ」という作品がありました。その中に「ラグボール」という、野球のような競技が登場します。今の野球とはルールが決定的に違って、身体で相手のプレーを阻止することが許され、しかも相手が死亡しても罪に問われない。そして、怪我人がでても選手交代が許されない。激しい格闘が繰り広げられ、そのたびにメンバーが減るというサバイバルマッチなのです。

これは、間違いなく「面白いSFコミック」でした。しかし、決定的に欠けている視点があります。そもそも野球は1800年代に考案され、以来100年以上、フォーマットをほとんど変えていないという視点です。実は、伝統的な競技であればあるほど「長く続いている理由」が存在し、だからこそ、ルールがこのまま継続される見込みが少なくないのです。

これはあくまで私見ですが、いま現在楽しまれているスポーツの多くは、テクノロジーの変遷と切り離されて存続する可能性が高い。つまり「コブラ」は面白いけれど、面白いだけではSFプロトタイピングとしては不適当。企業に指針を与えるべく関わる限り、少なくとも、コブラは超えなければいけないという制約を、自らに課すことになります。言い換えると、SFプロトタイピングを突き詰めれば、軽薄で面白いだけのSFではなく、より本物指向のSFを目指すことになる。それが、いま現在の私の実感です。





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