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吾奏の妄創力①アニメミライ短編「デス・ビリヤード」考察 (祝「デス・パレード」TV化!)

文化庁主催の若手アニメーター育成事業「アニメミライ2013」にて発表された話題作「デス・ビリヤード」。皆様、どんな感想をお持ちですか?……すんげーモヤモヤします? 本作が残す様々な謎を個人的に整理・分析・解釈してみました。この作品は結末が曖昧ないわゆる「リドル・ストーリー」で、解釈を楽しむことが作品の一貫であると思われます。なので、あえて「楽しんでみよう」というわけです。それなりの答えを用意できたと思うのでスッキリするかもですよw ……ぜひご一読ください。ちなみに私は映像業を営んでいますが、この作品の脚本家や監督とは何のご縁もございません。あくまで勝手な解釈をしたにすぎませんので、誤解なきよう。また、本文章のラスト三分の一はぜひ本編をご覧いただきたいと思うので敢えて有料としました。作品を観ていない人が読んでも面白くなるようにストーリーを紹介するなどの工夫は施しますが、本来なら作品をしっかり観てから読んでいただくのが筋。TSUTAYAでレンタルができますのでどうぞ。



以下、ネタバレが多く含まれます


(1)エレベーターに乗ったおじいさんは、謎のプールバーに導かれます。ここへ来た理由や記憶は曖昧。カウンターにはスーツの男(三十歳)が先客として座っています。二人はバーテンダーによってビリヤードで闘うよう誘導されます。遊び方は8と描かれたボールを落とした方が勝つ「エイトゲーム」。そして「命をかけて闘ってください」と指示もされます。スーツの男は店の外へ出る方法が見つけられず、仕方なくおじいさんとのビリヤード勝負に挑むことになります。勝ったらどうなるか、負けたらどうなるか。そういった質問には答えてもらえません。ただ「出られる」ということだけは教えられます。(このバーテンダーは「お答えできません」と「秘密です」を徹底して繰り返します)

(解釈>)
二人が死後の世界にいるということと、同時刻に死んだ場合はこのゲームによって何かが「判別」されるという決まりがあるということ。それらはゲーム終了後、自らを裁定者と打ち明けるバーテンダー自身によって明かされます。ビリヤードで遊んだことがある人なら「エイトゲーム」は最後の8を落とすかどうかで勝負が決まる遊びで、途中どの玉が落ちても勝負に影響しないということがわかります。作中「8」の玉のデザインが、立体的でメビウスの輪のごとく見えるのはヒントでしょう。8ではなく∞(無限大)であると考えれば「∞を落とせば勝ち」イコール「∞を落とせば人生が無限に伸びる(生還する)」あるいは「輪廻転生する」という解釈が正しいと思われます。とにかくビリヤードに勝ちきれば現世へ帰ることができる。ただし別人になるのかどうかはクエスチョンです(その答えは後ほど議論します)。

(2)ビリヤードの「エイトボール」で勝つためには、盤上にならべた15個の玉のうち、まず「∞」以外の玉を落としてしまわねばなりません。残り14個の玉は7個ずつ色分けされ、青はスーツの男の、赤はおじいさんの臓器がデザインされた(しかも心臓の玉については図柄が鼓動していて、心拍数までが一致していて、それは単なる演出だという説明もある)玉であり、スーツ男とおじいさんは各々が相手の色の玉を落とそうと争います。7個落とせば8個目にチャレンジできるわけです。そんなゲームを続けるうちに、スーツの男は「負けたら死ぬのではないか」と恐怖します(自分が死んだということはまだ理解できていません)。更に、おじいさんのビリヤードの腕前が尋常でないことも彼の恐怖に拍車をかけます。スーツの男は劣勢。最後に残った「∞」を落とすだけになったおじいさんの番がくるタイミングで(負けがほぼ確定した時に)スーツの男はビリヤードのキューを振り回し、阻止しようと襲いかかります。ところが、おじいさんもキュー捌きが達者で、結構激しいバトルになります。途中、二人は走馬燈のように人生を想起する。どうやらここが運命の分かれ道。最後はおじいさんが水槽に頭をぶつけて(その際、入れ歯が口から飛び出す)気絶。スーツの男は相手を殺したと錯覚し、後悔の念に襲われますが、バーテンダーは「暴力は禁止していない、ゲームを続けてくださって結構です」と宣言する。男は自嘲気味にビリヤードを続け、「∞」を落とします。ゲームに勝ったのはスーツの男だとバーテンダーは宣言します。

(解釈>)
スーツの男はおじいさんより随分若いし、負けそうになって格闘に持ち込み相手を気絶させた行動は、一見卑怯なように見えますが、実はそうでもありません。確かに「本来ならスーツ男に勝ち目はなかった」とバーテンダーが言うように、おじいさんの回想ではビリヤードの大会で優勝する場面があります。ところが、それにくわえておじいさんは若い頃剣道に励み、喧嘩に強かったという描写まである。他方、スーツ男の回想はサラリーマンとして頭をさげていたり、浮気の現場で彼女に泣かれたり、その彼女がビリヤードが得意で、だからビリヤードに励んだという場面こそありますが、キューを振り回す格闘についてアドバンテージはなさそうです。むしろ喧嘩になったら彼にとっては損かもしれない。

ところで、バーテンダーは「この店に来たタイミングで二人は平等だった」と説明します。スーツの男はそんな筈はないと怒る。どうみてもおじいさんはビリヤードが上手い。よくよく観察すると、作中でおじいさんは目を閉じていることが多い。瞼が開くのは二、三度で、過激な格闘場面であっても(突きつけられたキューを素手で叩き割る時でも)目は閉じている。つまり盲目もしくは弱視という意味にとれる(バーのカウンターでメニューを見ようとせず、「(スーツ男と)同じ物をくれというのも、字を読むのが面倒くさいから)。他方、スーツ男はそれに気づいておらず、ゲーム開始当初から目がかすみ、腹に違和感もある。これはスーツ男が現世で殺された(女の嫉妬により腹を包丁で刺された)シチュエーションの影響と理解できますが、おじいさんが圧倒的有利というより、むしろスーツ男は目が見えている分だけリードしているとも考えられる。しかしそれに気づいていないのです。ちなみにおじいさんは弱視でありながら、廊下を真っ直ぐ歩くぐらいの芸当は可能なので、健常者なみに鋭敏な感覚を持つと解釈すべきでしょう。

こういった描写を通じて、二人が現世での感覚をひきずっていることははっきり見て取れます。そこでビリヤードの玉のデザインについて考えましょう。スーツ男が危険を察知しておじいさんに襲いかかった時、盤上にはおじいさんの玉が多く残っており、スーツ男の玉はほとんど落とされていました。結局、おじいさんが気絶したおかげでスーツ男が勝つ。この関係を見る限り、どうやらスーツ男は身体的に有利な状況があった。実は「相手の臓器が描かれた玉を落とす行為」は「お互いの臓器を健全に戻す」行為である、と考えれば辻褄があう(その証拠に、スーツの男は「ボールを落とされる度に違和感を感じる」という台詞を吐きます。本人は臓器を失っていくようなイメージに恐怖しますが、違和感の正体は機能の回復だったと考えられる)。となると、達人のおじいさんがビリヤードを有利に進めれば進めるほど(相手に自分のボールを落としてもらえないので)身体的には不利なまま勝負を続けることになる。逆にスーツ男はビリヤードを続けるにしろ素手で闘うにしろ、実は能力は低いけれど、元気になってきているので勝てないとも限らない。どちらか一方が有利だとは言い切れない状況の中で、勝負は延々と続いていたのです。スーツ男は格闘に持ち込んだことで自分が地獄に落ちると思ったり、最初からおじいさんが圧倒的に有利だったと主張しますが、総じて勝負は紙一重だったと考えられます。

最終的には15個すべてのボールが落とされたため、両人とも五体満足に回復したとみるのが適当でしょう。気絶したおじいさんがゲーム終了後に目覚めたのも、スーツ男がすべてボールを落とし終えたからという解釈が可能になります。

(3)ゲーム終了後、バーテンダーはこう告げます。「基本的に人間は死後、天国か地獄へ送られることになっています。もちろん例外も数多くございます。そして同時刻に亡くなった方のみ、ここへお招きする決まりがあるのです」果たして自分はどっち(地獄か天国か)へ送られるのか? スーツ男は暴力沙汰を起こした自分を苛み、裁定者を名乗るバーテンダーが地獄へ落とす腹だと考え、エレベーターに乗ることを必死に拒絶します。平等ではなかった、とかく人間の生き死には平等ではない、と訴えます。それを優しく抱きとめるバーテンダー。男は泣き崩れ、最終的に裁定を受け容れます。一方、目を覚ましたおじいさんはスーツ男に「ひさしぶりにビリヤードで身体を動かせて楽しかった。御主に殴られてやっと(寝たきりだったことを)思い出した」と感謝します。その際、スーツ男も自分が彼女に刺し殺されたのだという事情に思い当たる。エレベーターに乗る直前、おじいさんはバーテンダーに一言告げますが、その中身は聞こえません。バーテンダーの返事も然りです。その後、おじいさんは二台あるエレベーターのうち左の方(般若面があしらわれている)に、スーツ男は右(能面)に乗って、どこかへ運ばれます。扉が閉じる瞬間、スーツ男は失望しており、おじいさんは不敵な笑みを浮かべている。エレベーターが上に行ったのか下に行ったのかは表現されない。そこで物語は終わります。

(解釈>)
バーテンダーは極めて冷静かつ杓子定規なキャラクターとして描かれるため、恣意的な解釈を加えたりしない人物であろうことは読み取れます。つまりゲームの結果がすべての基準になっている。ここで四つの可能性を考えましょう。(A)死なずに現世へ生還(蘇生)する(B)死んで天国へいく(C)死んで地獄へいく(D)別人として現世へ転生する。各々が(A)をもとめて争いますが、ビリヤードに勝った(∞の玉を落とせた)スーツ男のルートは、先に述べたとおり(A)もしくは(D)で決定と考えられる。しかし、そのどちらでしょうか?

ちなみにエレベーターは二台ありましたが、二台は上下に移動できるため四方向へ移動できるということになります(ボタンが二つあったので、一方通行ではない)。それぞれが(A)(B)(C)(D)に相当すると考えれば、冒頭でおじいさんが左のエレベーターに乗って上から来たことを考えると(A)が左側の上方、つまり現世でありかつ同一の人生に蘇生するルート。スーツ男が右に乗せられたことを考えると(A)はありえない。つまりスーツ男は(D:転生)した。すなわち右(の上方)には現世かつ別の人生がルートとして設定されていると考えられる。スーツ男が別人になって生まれ変わったのだという解釈は、彼の回想の順序が生まれた時点へ遡る方向になっていることにも示唆されているように思えます(逆におじいさんは子供時代から大人へ順を追って回想する。死へのベクトルを持っているという理解ができる)。

次に興味深いのは、おじいさんは何処へ旅立ったのかという事。ここで注目すべきは、ビリヤードの一発勝負だけでは四つの選択を決めきることはできないということです。実は……

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