梅雨の希望

5月のなかば緊急事態宣言が解除されてからここまで。新しい仕事の忙しさにかまけて執筆を怠ってしまった。その間に私は疫病による非日常を感じることをおざなりにしていただろうか。スーパーに買い物に行くことさえ躊躇われて、それで持て余す時間に恐れをなして人気を避けつつ何かを探しに川辺をやみくもに歩き回った日々が少し遠く感じられる。私たちの置かれた状況で何が確実なのか答えは与えられぬまま、宙に浮き、梅雨の始まりとともにうやむやに日々の仕事や人との交わりが戻ってきた。

それでも日本で常套手段になっている(戦後や震災後や原発事故後や障害者へのヘイトクライム後に)、明日に向かって猛進するエネルギーによってばつの悪いことを忘れるということはまだできそうにない。例えば震災の被害はグラデーションを持って降りかかり、明日に進める人たちは地震が人生にもたらした影を色濃く刻む人々に光の方を向けばいいと言って、かれらのそばで、自らの責任を考えるという態度をことごとく取らなかった。今回は疫病が未知であるがゆえに、みなが逡巡しながら次の一歩、次の行動、明日を選ぶ日々が続いている。

24時間介助者が必要な障害を持つ伊是名 夏子さんがバリバラという番組の中でこんなことを言っていたように記憶している。

-みんなが今、修学旅行とかを行けないか、なんとかして行けるか方策を話し合っている。それを見てやっと障害者とみんな同じレベルになったじゃん、ってちょっと嬉しかった。私たちはいつも自分が参加できるかできないか話しをすること、議論を求めてきたから、みながその方向に動いているのはちょっと希望を感じる。ー

当たり前が自分の決定よりも先にあるんではなく、危険や選択、それに伴う責任に気づいて行く過程としてこれからの社会が出来上がっていったら。なにかを先に知っていたり、先に持っていたりする人にだけ選択権があるのではなく、まずはみんなが白紙の状態から時間をかけて次を議論しつつ、その紙に書き込んで行くことができたら。それは世界中で未知の疫病経験を進行中の私たちにとって希望なのではないだろうか。

どうしても街の本屋に行き、棚を眺めながら読みたい本を探したかったとき、どうしてももうすぐ旅立つ友人と会って手を握り、見送りたかったとき、私はそれが自分にとっての「どうしても」、大切であることを確認し、そこにあるかもしれない危険と見比べてきちんと納得してから出かけることにした。友人が関わるなら、私が確認したことも相手とも確認して、齟齬がないことを確かめてから会いに出かけた。これまでと何かがものすごく変化したわけではないのだ。私が危険に晒されたり、関わる相手を私の生で危険に晒したりすることを全く排除することはできない。それを考えて、意識するということを改めてしてこなかっただけなのではないか。そうやって考えられるようになって初めて、私は大きく息をして(マスクをときには外しながら)、外にでる、移動するということができるようになった。

マスクや衛生に気を使う行動、それをしない自由が、割り当てられたものではなく、見た目や服装をその日の心地や自分らしさや他者への気遣いで勘案し選んでいく自由を培っていくことにつながるとしたら。それは割り当てられた格好やあるべき社会というものに沿うことが苦しかった人々にとっての希望である。



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