見出し画像

ハワイの歩きかた

ハワイにいたころその地での歩きかたを覚えた。ゆっくりと手をぶらぶらとさせて歩く。びっくりするぐらいゆっくりと。

仕事場のハワイ人のボスと並んで歩いていると、知らぬまに一人だけ前に進んでいて驚いた。彼は脳出血を起こして麻痺があったのも事実だが、とにかくゆっくり歩いたし、抜かされても置いていかれても追いかけることはなかった。日本では相手の歩調に合わせて歩くことが多かったから、気づかずにボスを置いていってしまったことに驚いた。ハワイの人々は車社会に生きているからほとんど道は歩いていないのだけど、何とは無しに滞在が終わる頃にはゆったりと何も考えずに歩くそんな歩きかたを覚えたのだった。帰ってきてからは日本ではみんな早く歩くんだなと感じるようになった。

今家に巣ごもり状態の(英語では蝶のまゆなんかを意味する単語からcocoonedというらしいことを英語のニュースで知った)私が気晴らしに出かける散歩で、歩きかたがハワイ風に戻っていることに気がついた。4月初めの散歩では花見をしながら歩く人に接近しすぎないようにわざとゆっくり歩かないといけないくらい、いきりたつように歩いていたのだ。

ハワイは楽園だからみんなゆっくり歩いていたのではないと思う。緩やかな大自然に囲まれ暖かな気候。穏やかな気持ちで歩くにはもってこいの場所ではあったけれども、住宅地には全く同じデザインのコンドミニアムが立ち並び、安いからと大型チェーンのスーパーでメインランド(ハワイの人々は周縁化された自らの土地をアメリカ本土と比較してこう呼ぶ)からやってくる商品を大量買いをし、安いガソリンを求めてそのチェーンのセルフスタンドに並ぶ。そのスーパーでは巨大なピザの一片が一ドルで売られていて、普通のお店でランチをしようと思えば20ドルは当たり前にかかる。

資本が中心となって支配されたハワイ。大きな資本に生活は飲み込まれるしかないけれども、人々はささやかに大切なものを受け継ぎながら、家族と暮らし、文化を受け継ぎ、奪われたものを訴え、取り戻すべく運動をしてきた。ゆっくりと歩き、座り込みながら。

大きな流れを変えるにはあまりに個であることを自覚するしかない今の私は、日々何を失わなければ安心であり、明日に進む力を失わないのかを確かめつつある。マスクがいまだに出回らないことにうんざりしながらも、手作りしたマスクをおすそ分けしてもらった。そんな友人がいることを思い浮かべるより先に、フルーツやら甘いお菓子やらがすぐに思い浮かんだのは食いしん坊だから仕方がない。ゆっくりとした歩みを取り戻したのは大きなものを傍目に見ながら、大切なことに集中する準備ができつつあるのを意味しているのかもしれない。ゆっくりと歩けばそれだけ風は通り抜け、立ち止まりやすい。(書きぶりも見事にゆったりと落ち着いている)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?