見出し画像

無人劇 unmanned play のもたらす余白

京都の東九条で劇場Theater E9を運営するあごうさとし コンセプト・演出の無人劇を見た。

人のいない劇。それは、出演者もスタッフも受付も、そして観客もいない劇。 その場合、できることは、呼びかけること、呼び声を発すること。
おそらく唯一可能であろう原理のみを用いて、演劇を行う。
公演にあたって -note-
作品のコンセプトの都合上、どなた様もご来場なされませぬようお願い申し上げます。開演時間になりましたら、その時間にお客様のおられる場所で、一度、大きく呼吸をいただきますことをお願いいたします。入場料収入は、THEATRE E9 KYOTOの運営費として活用させて頂きます。        引用 https://askyoto.or.jp/e9/ticket/20200429?fbclid=IwAR0TSZu0RUvrrYlQlJ6g6t_HGCTB_WtXsZaPcY8zqI8JP72gon9ul9Zh3xo

朝から今日は無人劇を見るのだと予定を立てながら、自分の行動を作る。
劇は始まる時間があるし、遅れるのは良くない。しかも今回は、劇場に決して行ってはいけない。大きく息を吸って下さいという自分の意思で劇の始まり立ち会うしかないので、時間が迫るにつれて遅れないように、ぼんやりして時を逃さないようにと少し緊張をしながら開演を待つ。

14:00 になる15分前。いつも私が暮らし、作業をする机の前に着席。机の上には書きかけのメモやノート 閉じられたパソコンがばらばらと置かれている。何が見られるのかなと、いつもの観劇前のぼんやりした態度を始める。あんまり考えすぎていると始まりがわからないし、劇に集中できないか途中で疲れてしまうから。トイレに行きたいかどうかも確認する。大丈夫だ。

まだ14:00にはならない。始まったら、現在は閉館しているTheater E9の受付や、劇場内の様子に思いを馳せるのだろうかと少し想像する。窓の外がきになる。うちの前の庭の塀の上を野良猫は通り道にしているから、14:00になったら猫が通るくらいには劇的なことが起こるんじゃないかとか。何人くらいの人がこの劇を待っているのかとか、考えながら、携帯の画面で時間を確認するがあまり時間は進んでいない。

次に携帯を確認して14:00を過ぎていたら、呼吸すればいいやと思いつく。演劇だって、その時間になったら始まるけれど、別に時計がその刻を指したとたん急に始まるわけではない。

そうして14:00になったのを見て、私は目をつぶって大きく息を吸った。その後は息を吐いた。目をつぶったままその次の呼吸が続いた。目を開けたら、何も変わらず私は部屋の中にいた。
別に他の観客の息遣いや、何となくの連帯感を感じることもなく私は一人であったし、あごうや劇場のことを想ったりもしなかった。

観劇をしても人生は変わらない。
あごうは呼びかけるという演劇の原理、それだけを使って演劇をすると言っていた。呼びかけたものの中身はわからない。観劇をしても、生き方の指針をもらって勇気付けられる、大感動があると時ばかりではないから。

ただ、私は観劇の時間を受け取った。

そして、自分で考えたり決めたり、している頭の中に余白ができたのを見た。ぽあんとした空間が私と見ているものの間にあった。一生懸命何かを分からないといけない、なんてことはないんだと思い、ぼんやりした。劇的なことは何も起こらなかったし、庭では私が今朝干した洗濯物が風にゆらゆらしているだけだった。


それでも観劇の時間は充たされたという言葉が似合うもので、私は作品に立ち会えてよかったと思った。
それで、こんな風に文章を勢いよくつづっている。


spice
https://spice.eplus.jp/articles/268267


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?