見出し画像

2020ブンカのキロク 春(1)

小さな画面で映像をひとりで見続けるとすぐに飽きてしまう。溢れる無料コンテンツにあるときは喜び、あるときには辟易とする。詩人は人々を覗き見て詩を綴る。今は、書けることを少しずつ文字に残しておき、誰かに読まれるかもしれない形で開いておこう。

noteでの執筆をコロナから始めなければいけない。去年まで大学院に所属していた私はようやく組織から離れて、仕事を始めた。人に話を聞き、活動を始め、生きていくぞとワクワクしていたわけだが、全て現在進行中の新型コロナウィルス への感染対策のために白紙に戻ってしまった感じがある。

家の近所は住宅地や商店街があり、高齢者も多い。昼間は行き所のない老若男女が街をウロウロ出回って、買い物をしている。商店街は3割り増しで人が多く、消費意欲を掻き立てるためなのかポップミュージックがアーケードの下流れている。「お祭り騒ぎやん」と通りがかりのおばちゃんが笑った。スーパーレジに立つ人たちはもう5年も住んでいるので見知った顔だが、在宅ワークや自粛が叫ばれるようになってもレジに立ち続け、混み合うレジをいつも通り捌いてくれている。

新型コロナウィルスは実際に身の回りで接触するしかない人たち以外の人間に会うことをどんどん妨げていく。2ヶ月前に会った友人、仕事でインタビューをした他県で暮らす人、電車に乗らないと会えない両親。接触頻度と接触回数。私は、人との出会い方を統計し、制御しなければならない。

写真家の星野道夫は、アラスカでの撮影のために、人間と出会わない、時には生物とさえ出会わないような圧倒的な自然の中で、孤独を過ごし、その孤独から自然を見、私たちに向けて言葉を紡いだ。彼が体験した孤独と今、家にこもらざるを得ない私が感じているものは何が違うのだろう。人間に出会っているのだけれど、相手から傷つけられるかもしれないとか、相手を傷つけるかもしれないという不安や恐怖で、麻痺したような感覚で人間を遠ざけている。お祭り騒ぎ、の商店街では、一瞬ウィルスのことを忘れ、忘れていてはいけないと自分を戒める。孤独というよりも緊張で、肩の力が抜けない。

スーパーでは、ぽとぽととはっきりしない足取りで、俯き加減に食品を買い物かごに入れていく人たちが目につく。私は声をかけることもできずに息をひそめて買い物を済ませ、店を出る。相手との間には、静かな孤独よりも、動きを阻む沈黙が横たわっている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?