世の中は僕のスキルアップなどに興味はない

「神は乗り越えられない試練は与えない」
 
「これをクリアすれば次のステージに上がれる」
 
とか、そういう類の言葉ってあるじゃないですか。
 
その言葉自体は何ら問題ないのですが、
最近の自分は、これらの言葉を口にするのはやめよう、と考えています。
 
それはなぜか。
 
「主語が自分すぎる」気がするからです。
 
 
僕が何かの壁を乗り越えたり、パワーアップすることで、利益を享受できる人からすれば、この言葉は、僕以外のその人にとっても主語となりうるとは思います。ただ……
 
 
僕のスキルがたとえどうであろうと、結果として求めていたもの以上のものを出すこと。
 
かなり破綻した文章になっちゃいましたけど、そういう心持ちが、少なくとも僕自身には必要なのかな、と感じています。
 
 
たとえば、「世界平和」という目的があったとして、それは別に僕じゃなければならない理由はないはずです。
 
僕がどんなスキルの人間であろうと、結果的に他の誰かが世界平和を実現するのであれば、それでいいと思います。
 
一方で、たとえば「今、目の前にいる怪我した人を助ける」というのは、今、僕にしかできないこと、僕がやらなければならないこと…だと思うのです。
 
たとえ僕が医者じゃなくても、レスキュー隊じゃなくても、「目の前の怪我した人を助ける」という目的に対し、最大限の力を発揮しなければならないのです。助けを求めたっていい、道具を使ったっていい。今できる最大限のことをやる……
 
そんな状況下で、
やれ「これをクリアすれば、俺は力がつく」とか考えるのは、何か違う気がするのです。
 
 
だから、僕のスキルやメリットは、この瞬間どうでもいいのです。
 
心の中で唱えるべきは
『今、目の前で困っている人を助ける。』
 
もちろん、そんな近視眼的な考えだけでは人生足りないとは思いますが、目の前の事象に夢中になってやり切る……そんな時期や瞬間が必要なんだろうな、と感じます。
 
 
心で唱える言葉の主語が自分じゃなくても、この人生はどうせ自分のもの。他人を主語にして、自分の行動を選択していく。
 
今は、その取り組みの真っ只中です。

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