給食の納豆と、マインドの話

『マインドが違うと、こうも違うものか……』
 
 
さかのぼること約30年前。
 
僕は納豆が食べられませんでした。
 
その理由は、今となってはわかりません。
味だったのか、匂いだったのか、ねばねばだったのか……
現在は全く平気ですが、当時は嫌いな食べ物筆頭でした。
 
しかしながら、無理にでも食べなくてはならない時がありました。給食です。
 
給食後の掃除の時間になり、机を教室後方に下げられながらも、僕は泣きながら納豆と対峙し続けました。
 
どのような結末を迎えたのかは……覚えていません。
 
 
そんな昔話を、ある時カミさんに聞かせていたら、
 
「わたしも、時間内に給食食べられなくて、掃除の時間も教室のベランダで食べていた」と言うのです。
 
しかし、その後彼女はこう続けたのです。
 
「ベランダで友達と楽しく食べてた」と。
 
 
なんだそれ?!
 
 
そんなん、ただ掃除サボってるだけじゃん?!
 
 
と、思わず言いかけた言葉を、喉元でなんとか抑えた私は、冒頭の言葉を頭に思い浮かべたのでした。

 

『マインドが違うと、こうも違うものか……』
 
 
もちろん、対峙している食べ物が嫌いなのかどうか?という違いはあります。
 
でも、それを差し引いたとしても、そもそものマインドが違うのです。
 
 
当時、僕が納豆の前で流した涙は、

・自分だけ納豆を食べられない不甲斐なさ
・時間内に食べられない申し訳なさ
・掃除に参加できず、なんなら邪魔になっているいたらなさ
・なんでこんなもん食わなきゃならねーんだという苛立ち
 
……などなどの感情が漏れ出たものです。
 
それに対し、彼女の話からは僕が抱えていたような感情が感じられなかった。
 
なんなら、ベランダで給食食べられてハッピーぐらいな……
 
 
自分の感情を決めているのは、他ならぬ自分なのだと、つくづく感じました。
 
 
もちろん、給食を決められた時間内に食べられないのは、褒められた話ではないのですが、
 
自分の感情をいつでも「晴れ」の状態にするってのは、こういうところにヒントがあるのかな、と思います。
 
 
結局はどんな状況にあっても楽しんだもの勝ちなのかな。ま、人生は勝ち負けじゃないけど、たとえ厚顔無恥な感じであろうとも、明るい気持ちを携え続けられた方が、他ならぬ自分の人生がハッピーになるのだろうと思います。

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