今のオレには、くす玉は買えない

今日は気分転換がてら、小1の娘の100均ショッピングに同行。
 
「何がほしいの?」と聞くと、
 
娘曰く「行ってから決める」
 
お小遣いをもらうようになり、“買う”という体験がしたくてたまらないようです。
 
所持金は291円。
 
ぬいぐるみ、キーホルダー、ペーパークラフト、キティちゃんの着せ替え人形……
 
店内を物色すること、約1時間。。。
 
その間、私は特に娘に話しかけることなく、金魚のフンのごとくくっついて、娘の様子を観察しました。
 
というか、何も言わずにただ見守ろうと思い、そうしただけです。
 
“買う”という体験の前にある“選ぶ”という体験。
 
彼女は今それを全身で味わっている。
それを邪魔しちゃならん。そう思ったのです。
 
 
一番長い時間見ていたのが、キーホルダーのコーナー。
 
(キーホルダー買うのかな……)
 
と予想し、ずっと見守っていましたが、
 
ふと彼女は、違うコーナーへ歩みを進め、今まで手にしてなかった商品をつかみ、私にこう言ったのです。
 
 
「これ買うー」
 
 
それが、、、くす玉。
 
 
(……なぜ?!)
 
と思いながらも、買うものには全く触れず、レジへの誘導と、お金の払い方をレクチャーし、無事“買い物体験”を終えたのです。
 
 
お店を出てから聞いてみました。
 
「どうしてこれにしたの?」
 
すると娘はこう言いました。
 
「持ってなかってから」
 
……そりゃそうだろうな……
 
 
そもそも、欲しいものもなく買い物に繰り出す……ということすら、僕には最初のうちはよくわからなかったのですが、
 
「選ぶ」「悩む」「探す」「見つける」といった「買い物をする」という一連の動作や流れ自体が、今の娘には「ワクワクすること」なんだろな、
 
と娘を黙って見ていて感じました。
 
そういう感覚、忘れちゃってるよなー。
 
合理化であるとか、無駄を省くとか、そういう観点では感じられないもの。
 
その感覚“も”なくしちゃならんよね。

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