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読書「素足の心理療法」霜山徳爾著

10月9日は霜山徳爾先生の命日で雑司ヶ谷にあるお墓にお参りしてきました。この人生の中で運命を変えられるほどの恩師と出会えたことは本当に幸せだったと振り返って思うことです。
先生との出会いは20歳のころでした。当時の私は児童養護施設をでて、右も左もわからず、世間の荒海に出たばかり。昼に働きながら、四谷にある上智社会福祉専門学校で夜学生をしていました。教室には熱心な生徒たちが70人ほどいましたか。中でも霜山先生の授業は大変な人気で、授業の単位に関係ない学生たちもまじっていたほど。ときに教室はどよめき、その笑い声が外まで聞こえるほどの熱気で、外を見回る守衛さんからいったい中でどんな授業が行われているのか?のぞいてみたくなるようだったと言われたものです。
春、秋の最終テストの後、先生と近くの中華料理店でめいっぱいご馳走になったことも楽しい思い出です。先生はアウシュビッツ強制収用所を生き抜いた精神科医フランクルの「夜と霧」の翻訳で有名でいらっしゃいます。先生の授業を聞いているうちに、私は幸福の物差しがすっかり変わってしまいました。戦争のない平和な時代に自分の意思で学ぶことのできる環境、時代がどんなに貴重で幸福か、親のいない境遇などなんでもないことだと。そんな風に思えるようになったのも先生の授業を聞いてからでした。先生はたくさんの本を残されましたが中でも繰り返し読むのがこの「素足の心理療法」。含蓄ある言葉が随所に散りばめられています。先生の「夜と霧」の翻訳で有名でいらっしゃるけれど、たくさんの本を残しておられます。中でも繰り返し読む「素足の心理療法」。含蓄ある言葉が随所に散りばめられています。
「心理療法は技法であり、芸術でもある」「人間はおのれがもちいうる言葉の限度に応じてしか、患者の心の土地を耕すことが出来ない」「原則として相思の念と丁寧さとを心掛け、敬語を忘れてはいけない」「心理療法の最後の目的は患者を有り得ない幸せな状態にすることではなく、彼に苦悩に耐えさせる強さを可能にさせることである」などなど。
仕事柄、厳しい病と闘う子どものお母さんとの出会いがあります。コロナ禍における入院では面会も出来ず、お弁当も届けられない。つまり直接対面で会えない中で、入院の不安や眠れない思いが小さなスマホ画面から発信されます。何か一言でも励ましになるような言葉を探したいとこの本をめくると「対話の内には沈黙も含むべきである。沈黙、、、、これもまた重要である。」

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