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上智社会福祉専門学閉校記念誌への寄稿

「思春期の学び 血肉となって今がある」
現在の私はNPO法人として入院児の子育て支援を50人ほどのボランティアと一緒に活動している。子どもが病気になったとき医療費の助成はあるが、そこで長く暮らす子どもや親に福祉の手は足りていない。遠方から見知らぬ土地に来て看病する親たちに食事を運んだり、子どもと遊ぶかたわら親に休息を提供することも役割である。治療の現場にボランティアが入っていくことは簡単ではないがやりがいを感じている。社専を卒業して早、約半世紀。「働きながら、資格が取れる」が入学の決め手だった。当時19歳。児童養護施設で育った私は一人暮らしを始めたばかりで、家賃や学費も払いながらの苦学生だった。学業に合わせて学校近くの印刷屋で6時まで働き、ダッシュで教室に駆け込む日々だった。学校にはいろんな年の人がいた。白髪交じりの人やシスターもおられた。音楽ではピアノを習い、美術では絵本を作ったり、実習は地方で泊まり込んだり、いずれも思春期に貴重鮮な体験をさせていただいた。「夜と霧」を訳された霜山徳爾先生の授業ではハンカチを握りしめ、震えながら聞いたことを思い出す。上智の土手の桜はみごとだった。満開の桜を3度拝んで卒業するころ、私はすっかり別人になっていた。入学当時は親のいない不遇をなげき、校門ですれ違う昼間の学生をやっかんでいた。けれども今思うと社専だから卒業できた。仕事帰りに眠気をこらえ学ぶ学生たちや教壇に立つ先生方の存在にどれほど励まされたか。社専の理念「人々に寄与する人、人々と共に生きる人 そんな人材を育てたい」は意識せずとも血肉となって、今も受け継がれている。
 坂上和子(認定NPO法人病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア 理事長)

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